基本事項として、古代エジプトは末期王朝まで青銅器時代である。鉄器の使用は、紀元前1,000年以降に開始される。それまでに使用された鉄は全て隕鉄だ。
エジプトだけでなく、西アジア全般でもそのくらいであり、ヒッタイトだけ先駆けて鉄の使用が盛んだったというわけでもない。なので、それまでの時代の古代エジプトや周辺国との戦争で使われた武器は、全…
スペインは16世紀以降、「世界帝国」というにふさわしい広大な版図を抱える帝国を築く。その帝国スペインの中における、異なる文化が組み合わさった美術様式についての本である。
帝国スペイン 交通する美術 - 岡田裕成, 岡田裕成
切り口はいくつかある。
・レコンキスタ後、スペイン領内に残ったイスラム様式とキリスト教文化の融合…
少し前、トトメス2世の墓が見つかったというニュースが流れて盛り上がっていた。この墓自体は2022年に発見されており、このたび確信が持てるようになったのでエジプト政府が発表した。ということのようだが、英語ソースのニュースとか見ていると、日本のニュースで流れて来ない部分もあるので、ちょっとまとめておくことにした。
トトメス2世の墓、新…
適当に図書館で掘り出して読んでいた本に、目を引く仏像があった。
というか、仏像と呼んでいいのかこれは…?という感じのもので。生きた木の幹にそのまま仏像を掘り込んで、木として生きていながら仏像でもある、という融合した存在である。「生き木仏」というらしい。本のタイトルどおり「ミステリー」な存在だし、そんなものがあると知らなかった。
正直…
写真はない。
というか観光客めっちゃいて写真とりまくってるところで自分もスマホを出す勇気が出なかった…w
おみやげのあわぜんざいだけ写真あるよ!
というわけで、仕事のついでに、たぶん10年ぶりくらいに浅草を通りかかった。黄金のウ●コが記憶よりちょっと色褪せて、輝きが薄れているような気がしたが、季節が季節なので黄砂のせい…
1929年、トルコのエフェソスで貴人の墓らしきものが見つかった。八角形に作れらたその霊廟は、エジプト最後の女王クレオパトラ7世との政争に負けてローマに連れて行かれた異母妹、アルシノエ4世の墓ではないかとされ、この100年、ずっとその説がプッシュされてきたーー伝説上の死亡年齢よりずっと若い骨にも関わらず。
だが、今回の調査によって、…
年度末ですこんばんは。定時で上がれる日はもうありません。
でも、王家の谷からトトメス2世の墓がついに発見された、というニュースが流れていて、よく分かってない人に適当な解説書かれてイラッとするよりは先に自分で書いといたほうがマシだなと思ったので書いておきますよウフフ。
Long-lost royal tomb of King Th…
ナイルティラピアは、頻繁に古代エジプトの護符や調度品、墓室内の装飾として使われるポピュラーな魚。
こういうやつなのだが、たぶん展覧会や図録などで見たことある人は多いと思う。
※大英博物館所蔵、遺物ページはこちら
このティラピア、護符にもよく使われていて、古代エジプト人にとって特別な意味を持つ魚だったらしい。
護符の例…
少し前、古代エジプトの穀物倉庫の構造について調べていた時、下ヌビア(現在のエジプト国境付近から隣国のスーダンにかけての地域)の要塞に付属する穀物倉庫についての記述が沢山出てきた。
ナイル川上流のあまり人の住んでない地域なのでアスワン・ハイ・ダムに水没したもの以外は遺跡の残りが良く、近くに現代の集落などもないので発掘しやすいんだろうなと…
ナツメヤシといえば、エジプトでは広く食べられているポピュラーな果物。古代から壁画などに登場する、おなじみの作物だ。
だが、ふと考えてみると、その栽培方法とか食べ方とか諸々の情報をよく知らない。
というわけで! ちょっと図書館の園芸コーナー行って本を探してみた。
一番わかりやすかったのがこれ↓。お馴染みのメシテロ・シリーズだが、…
適当に論文検索して遊んでたら、面白いものがヒットしたのでメモがわりに。
古代エジプトの歴代の王たちが、どのように脅し文句を碑文に刻んだのか、という話である。
文字が読める人が少ない世界で、警告文を書いたところで読んで意味まで理解できたとは思えない。これはどちらかというと呪詛に近く、文字という形にして「逆らったらどうなるかわかって…
末期王朝時代のメンフィス周辺にあった、異国人コミュニティの一つに「カリア人」という見慣れない名前があったので、ちょっと調べてみた。
英語で書くとCarians、もとはアナトリア西南部の住民だ。戦士、船乗りとして知られ、エジプトには傭兵として雇われてやって来たのが住み着いていたと考えられるという。
使用文字はギリシャ語。ただし書いてる…
本屋通りかかった時にふと見つけて、なんとなく立ち読みしてみたけど内容がよくわからん…というわけで買ってきてじっくり読んでみたら、だいたい言いたいことは分かった。というか歴史本ではない。ジャンル的には社会学、それも社会心理学寄りの内容という、タイトルや表紙からだけでは分からない、珍しいテイストの本であった。
イスラエルの起源 ロシア…
まず前提として、古代エジプトは農業国であり、主要な作物は麦(小麦と大麦)である。
収穫は基本的に1年に1回。のちの時代になると、通年で灌漑できるファイユームなど限られた場所でのみ二期作が行われたとされる。つまり、基本的な収穫は1年に1回のみで、その1回ぶんで1年を食いつなぐ必要がある。穀物を、最低でも1年は保存しておける建物は必須なの…
古代エジプトの歴史の中で、「第二中間期」とは、ヒクソスを筆頭に、アジア方面からの移民が多く流れ込み、ナイル川下流ののデルタ地帯に異国人王朝が立てられて国土が分裂していた時代である。
アジアから人が流入した原因は良くわからない。気候が悪化していたからなのか、そっちで戦乱があって難民化した人たちがいたのか、単にエジプトの内政が弱っていた時…