「エジプト神 イシスとオシリスの伝説について」(プルタルコス)
前から読もう読もうと思いつつ、本屋に行っても無く取り寄せなので面倒くさがって後回しにしていたのを漸く手にとってみました。
著:プルタルコス となっていることから分かるように元はギリシャ語で、エジプトはローマ属州時代。ローマでイシスが豊穣や魔術の女神として人気を博していたのは知る人ぞ知る話だが、その時代のイシス・オシリス伝承をまとまった形で紹介してくれている書物、というのがこれです。
ただし… この書物、非常に扱いが難しい。
「エジプト神話の本」というよりは、「エジプト神話がエジプト古代王国の終焉後、ローマ人に(正確にはプルタルコスに?)どのように解釈されていたか」という本かもしれません。
個人的にではあるが、エジプト神話は、末期王朝時代とプトレマイオス朝時代では全く別物だと思っています。もちろん、中王国時代までの時代と、ヒクソスなど異国人の流入後の新王国時代の間にもある一定の断絶はありますが、中王国時代と新王国時代の間の断絶は、それほど決定的なものではないように思います。
プトレマイオス朝以降は、単にトップに立つ王が変わったのみならず、神々を信仰する人々の精神面が大きく変化しているように感じられます。神々の姿や解釈の仕方を見ても、それは顕著なのではないでしょうか。
前置きはさておいて、この書物の注意点を。
●明らかに事実と異なる部分がある。
他の資料との整合性がとれない、同じ書物の前後で意味が違う、地理・気候的に正しくない記述、など。
翻訳者のセンスかもしれませんが、学術的な書物というよりは、ちょっと軽めに書いてみたエッセイ…のような雰囲気です。
●俗語解釈が多い。
神々の名前に関する語源解釈は、ほとんどが間違い。
たとえば、元はエジプト語の神名の由来をギリシャの単語から推測していますが、これは無茶です。(笑)
●出典不明な部分が多い。
エジプトのテキストには無い伝承が出てきます。
プルタルコスの勘違いなのか、ローマ時代に作られたオリジナルバリエーションなのかの判断がつきません。
これらに注意して考えながら読む必要があります。巻末の解説を見ないで読むと何がなんだか分からなくなると思います^^;
既にヒエログリフが解読されて長い年月が経ち、多数の比較書物が存在する現代ならば注意さえしていれば根本的な勘違いはしなくて済むでしょうが、もしギリシャ語しか読めず、この本や、同時代の人々の書物のみを信ずるならば、エジプト神話は全然違うものとして認識されることでしょう。
資料としての扱い、位置付けが難しい、という点を除けば、全体として、非常に面白い本です。
たとえば
太陽神アメン・ラーはアポロンに、大地の神ゲブはクロノスに、天空の女神ヌトはレアとなり、レアとクロノスの交わりから世界が誕生する。しかしアポロンはレアに横恋慕し、クロノスの子を産むことを禁ずる。そこに手助けに入るはヘルメスことトト。ヘルメスはレアを助けるかわりに自分も交わり、結局レアはクロノス、アポロン、ヘルメスの子を産むことになる…
そして、デュオニュソス(オシリス)と大ホルスの父がアポロン、イシスの父がヘルメス、テュポン(セト)とネフティスの父がクロノスとなる。
という神話が紹介されているのですが、これなどは、エジプト神話とギリシャ神話が良い感じに混同されてよく分からないことになってますね。オシリスがデュオニュソスなのは、人々に知恵や快楽をもたらしたから、らしいです。イシスがヘルメス(トト)の娘、というのは、イシスが魔術や神秘的な知恵の女神とされたからでしょうか。セトがテュポンなのは暴れるからだろうなーと思いますが、ここでネフティスが勝利の女神ニケと呼ばれているのはよく分かりません。
全体的に、このような感じで{(エジプト神話+ギリシャ神話)÷2+プラトニズム}な感じ。
最後のプラトニズムの部分は、大雑把に「ギリシャ哲学」と言ったほうがいいかもしれません。水はあらゆる恵みの根源でありオシリスは水をつかさどるものである、だとか、セトの属性は火である、だとかいう思想が端々に登場します。これは多分、元々のエジプト人の思想には無いですね。うん。
エジプト神話の資料というのは、意外なところでギリシャ語資料の影響を受けていて、意図しない場所で「あれの出典はギリシャの哲学者だったのか!」などと気が付きます。
出典元が何処かというのは、難しいけれど、注意しないといけないところなのだなあ、と、いまさらながらに思う次第です。
エジプト神イシスとオシリスの伝説について (岩波文庫)
*追加考察1
*追加考察2
著:プルタルコス となっていることから分かるように元はギリシャ語で、エジプトはローマ属州時代。ローマでイシスが豊穣や魔術の女神として人気を博していたのは知る人ぞ知る話だが、その時代のイシス・オシリス伝承をまとまった形で紹介してくれている書物、というのがこれです。
ただし… この書物、非常に扱いが難しい。
「エジプト神話の本」というよりは、「エジプト神話がエジプト古代王国の終焉後、ローマ人に(正確にはプルタルコスに?)どのように解釈されていたか」という本かもしれません。
個人的にではあるが、エジプト神話は、末期王朝時代とプトレマイオス朝時代では全く別物だと思っています。もちろん、中王国時代までの時代と、ヒクソスなど異国人の流入後の新王国時代の間にもある一定の断絶はありますが、中王国時代と新王国時代の間の断絶は、それほど決定的なものではないように思います。
プトレマイオス朝以降は、単にトップに立つ王が変わったのみならず、神々を信仰する人々の精神面が大きく変化しているように感じられます。神々の姿や解釈の仕方を見ても、それは顕著なのではないでしょうか。
前置きはさておいて、この書物の注意点を。
●明らかに事実と異なる部分がある。
他の資料との整合性がとれない、同じ書物の前後で意味が違う、地理・気候的に正しくない記述、など。
翻訳者のセンスかもしれませんが、学術的な書物というよりは、ちょっと軽めに書いてみたエッセイ…のような雰囲気です。
●俗語解釈が多い。
神々の名前に関する語源解釈は、ほとんどが間違い。
たとえば、元はエジプト語の神名の由来をギリシャの単語から推測していますが、これは無茶です。(笑)
●出典不明な部分が多い。
エジプトのテキストには無い伝承が出てきます。
プルタルコスの勘違いなのか、ローマ時代に作られたオリジナルバリエーションなのかの判断がつきません。
これらに注意して考えながら読む必要があります。巻末の解説を見ないで読むと何がなんだか分からなくなると思います^^;
既にヒエログリフが解読されて長い年月が経ち、多数の比較書物が存在する現代ならば注意さえしていれば根本的な勘違いはしなくて済むでしょうが、もしギリシャ語しか読めず、この本や、同時代の人々の書物のみを信ずるならば、エジプト神話は全然違うものとして認識されることでしょう。
資料としての扱い、位置付けが難しい、という点を除けば、全体として、非常に面白い本です。
たとえば
太陽神アメン・ラーはアポロンに、大地の神ゲブはクロノスに、天空の女神ヌトはレアとなり、レアとクロノスの交わりから世界が誕生する。しかしアポロンはレアに横恋慕し、クロノスの子を産むことを禁ずる。そこに手助けに入るはヘルメスことトト。ヘルメスはレアを助けるかわりに自分も交わり、結局レアはクロノス、アポロン、ヘルメスの子を産むことになる…
そして、デュオニュソス(オシリス)と大ホルスの父がアポロン、イシスの父がヘルメス、テュポン(セト)とネフティスの父がクロノスとなる。
という神話が紹介されているのですが、これなどは、エジプト神話とギリシャ神話が良い感じに混同されてよく分からないことになってますね。オシリスがデュオニュソスなのは、人々に知恵や快楽をもたらしたから、らしいです。イシスがヘルメス(トト)の娘、というのは、イシスが魔術や神秘的な知恵の女神とされたからでしょうか。セトがテュポンなのは暴れるからだろうなーと思いますが、ここでネフティスが勝利の女神ニケと呼ばれているのはよく分かりません。
全体的に、このような感じで{(エジプト神話+ギリシャ神話)÷2+プラトニズム}な感じ。
最後のプラトニズムの部分は、大雑把に「ギリシャ哲学」と言ったほうがいいかもしれません。水はあらゆる恵みの根源でありオシリスは水をつかさどるものである、だとか、セトの属性は火である、だとかいう思想が端々に登場します。これは多分、元々のエジプト人の思想には無いですね。うん。
エジプト神話の資料というのは、意外なところでギリシャ語資料の影響を受けていて、意図しない場所で「あれの出典はギリシャの哲学者だったのか!」などと気が付きます。
出典元が何処かというのは、難しいけれど、注意しないといけないところなのだなあ、と、いまさらながらに思う次第です。
*追加考察1
*追加考察2