ひざまづいてアテン様のアンクをお舐め

タイトルはフェイクですよ。
なんとなく太陽が恋しい季節ということで、太陽といえばアテン神で。


アテン信仰がアクエンアテンの代ですっぱり途絶えて、ツタンカーメンは完全にアメン信仰に戻った、という記述をたまに見かけるんですが、そりゃちと乱暴な言い方かなと思うのです。

ツタンカーメンが、ツタンカーテン(トゥト・アンク・アテン)からツタンカーメン(トゥト・アンク・アメン)に改名したことは事実ですが、完全にアメン神を復活させたのか、アテン神を捨ててしまったのかは、それだけを根拠にして語るには不十分。

実際のところ、アテンにまつわるものはツタンカーメンの時代にまだ残っているわけで。

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この椅子は、有名なツタンカーメンの副葬品。

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背景にアテン神がいて、アマルナ様式で作られてます。

もしもツタンカーメンが名前だけでなくアマルナの改革のすべてを否定して破棄しようとしていたなら、この椅子は作られることはなく、或いは、副葬品として選ばれることはなかったのではないでしょうか。

ツタンカーメンのあと、短期間にアイ>ホルエムヘブと王様が代替わりしてそこで王朝がいったん途切れますが、もしもホルエムヘブがアテン神の痕跡を消したかったなら、場所を知っていたはずのツタンカーメンの墓を無傷で残しておくのもおかしな話。

ホルエムヘブの時代にもアマルナ美術を継承していると思われる美術品が作られているのだから、この王様がアテン崇拝を消去した犯人と結論づけるには、現状の証拠では想像の域が大きすぎるような気がする。どっちにもとれる。

私なら、ホルエムヘブは王様ラブのいい人だったドリームを採用するな。
主にミカ・ワルタリの影響で(笑)


とかいう冗談はさておき、場合によっては、第18王朝の終わりまではアテン信仰は残っていたと見ることも可能かと思います。

もともと一般人に受け入れられていた信仰ではないので、王家の人たちの氏神みたいな扱いで、一族のうちでのみ細々とやってたとすれば、大規模な神殿や記録が残っていないかもしれないし。もともとアテン神は礼拝のための神殿や神像を必要とせず、「ふりそそぐ太陽の光そのもの」をご神体としていたため、分かり易い崇拝の証拠が残りにくそう。



このへんは人によってだいぶ捉え方が違うところだと思うんで、何が正しいの正しくないのという話ではないですけどね。

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