ツタンカーメンのエンドウマメ
インターネットは、情報の伝達は早く、しかもグローバルであるけれど、その情報が果たして本当に正しいものなのか? という確認は不十分で、流された情報が誤りまたは疑わしいものであった場合の「誤り訂正機能」においては脆弱である、というのが問題点です。
ひとたび流されたパケットの回収も訂正も出来ず、誤ったノード一覧を半永久的に持ち続けてしまうネットワークみたいな。
まあそんな話はどうでもよく、「ツタンカーメンのえんどう豆」。
ヤグルマギクの件と同じく、どうも誤解されたまま広まってしまったっぽいネタの一つです。
ただし、この件については、既にそれは本物なのか? という疑問をもち、丁寧に考察してくれた方がいらっしゃいます。インターネット初期のころに見つけたページなんですが、まだ運営していてくださいました。感謝。
追加調査して何か面白いことでも分かったら本体サイトのネタにしようと思って長いこと寝かせていたのですが、既に先人たちが多くの調査をしてくださっていること以上の情報が手に入らず…、このままでは二番煎じにしかならなさそうでしたので、没ネタ紹介としてブログ送りになりました^^;
結論から言うと、ツタンカーメンの墓の遺物の中で「エンドウ豆」が出てくる箇所は、上記のサイトで調べてくださっているとおりの場所しか見つかりませんでした。
具体的にどの遺物、という番号はついていなくて、死後のための食料として入れられたパンやワイン壷ともに偶然まじりこんだと思われる穀物として、「ヒヨコ豆(Cier arietinum)、レンズ豆(Lens culinaris=Lensesculenta)、エンドウ豆(Pisum sp.)」が挙げられているにとどまっています。他に小麦や大麦のつぼに一緒に紛れ込んでいた種子。精米したお米に麦が入ってるようなもんですかね。(最近はもう無いか)
というわけで、ツタンカーメン墓から出てきたエンドウマメは一応存在するみたいです。
ただし、それは特別なものではなく、見つかった状況からして「当時、一般的に食べられていたものとして」墓におそなえされた食物に紛れ込んでいた… というもの。
Pisumについては、イメージ検索などすると情報が出てきますが、ツタンカーメンの時代に特有のもの、とか、エジプトにしかないもの、ではなく、エンドウマメの原種とされる野生のエンドウのことを指すらしい。
古代エジプト人が豆を好んで食べていたことは確実だし、遺物として存在するものもありますが、Pisum自体がそう珍しいものではないのだとすれば、果たして、現在日本で出回っているものが「ツタンカーメンの墓から出てきた豆の子孫」なのか、「同じ種類の豆の子孫」なのかは区別がつかない可能性が。
DNA調査でもして科学的に確認しないと確実なことは言えないかも…?
何世代も交配しているので、もはや原型がないのではという気もするんですが。
■種子の復活、という信仰
ところで、「墓から出てきた穀物」、「種子の発芽=復活」というキーワードで真っ先に浮かぶのは、植物のミイラとも呼ばれ、布にくるんだ土の中に種を植え込んでいる遺物です。
古代エジプトの信仰として、種子の発芽は死からの再生を意味していました。
死せる大地の復活、ナイル氾濫の後に戻ってくる緑は、セトに殺害されたオシリス(豊穣神)の復活=来世での復活 とされ、種を埋め込んだ”オシリス型プランター”というものが墓に一緒に埋葬されていたケースもあります。
ですので、もしかすると、この「ツタンカーメンの種子が現代において発芽した」という話は、古代エジプトの信仰と現実が摩り替わってしまった結果ではないんでしょうか?
古代エジプト人の信じていた信仰の一部が、ソース不明のまま一人歩きするうちに、現代における事実として扱われるようになってしまった、なんてこともあるかもしれません。
少なくとも、”ミイラ小麦”の話は↓コレが出所だと思います。
墓に収められた種子は、現実に時を越えて「復活」するわけではなく、王のミイラと同じく「永遠に生き続ける」ことを願われていただけなんですね。王のミイラが生き返らないのと同じく、この小麦のミイラも生き返りはしません…。
ただ、信仰の中では「今も生き続けている」と言えるわけですが。
■エンドウマメの発芽実験は過去に行われていたのかどうか?
現在出回っているものが本当に古代エジプトで栽培されていた豆の子孫とすれば、墓から出土した豆を発芽・栽培させた人が必ずどこかにいるはずで、発芽実験は、ツタンカーメンの墓が最初に開かれてから、日本にはじめて豆が登場したとされる1956年(ただし、この年代は未定。)までの3-40年の間でなくてはなりません。
これについて、こちらのブログで先に調べてくださっていました^^
参考先のURLから引用すると
カーナ・B・カーター っていうのは、カーナーヴォン卿とカーターをごっちゃにした結果でしょうか。
カーナーヴォン卿は墓の発見直後に病死されているためエンドウマメの栽培をしている暇はないだろう。ということで、カーターが栽培したのだと、ここでは仮定します。
でも、だとすると、カーター自身が何も記録していないのか? ということが気になります。
カーターは「記録」という点において かなり雑な人であったようなので、大事なことを何処にも書かずに終わった可能性は否定できないでしょうが、しかし、だとすれば由来として残るわけもなく。
「カーターの栽培していた豆」自体は存在したけれど、それはツタンカーメン墓から出たものではなく、エジプトの別の場所で手に入れたものだった。という可能性もありそうです。
画像の出典元はコチラです。
ミイラ事典 (「知」のビジュアル百科)
ひとたび流されたパケットの回収も訂正も出来ず、誤ったノード一覧を半永久的に持ち続けてしまうネットワークみたいな。
まあそんな話はどうでもよく、「ツタンカーメンのえんどう豆」。
ヤグルマギクの件と同じく、どうも誤解されたまま広まってしまったっぽいネタの一つです。
ただし、この件については、既にそれは本物なのか? という疑問をもち、丁寧に考察してくれた方がいらっしゃいます。インターネット初期のころに見つけたページなんですが、まだ運営していてくださいました。感謝。
追加調査して何か面白いことでも分かったら本体サイトのネタにしようと思って長いこと寝かせていたのですが、既に先人たちが多くの調査をしてくださっていること以上の情報が手に入らず…、このままでは二番煎じにしかならなさそうでしたので、没ネタ紹介としてブログ送りになりました^^;
結論から言うと、ツタンカーメンの墓の遺物の中で「エンドウ豆」が出てくる箇所は、上記のサイトで調べてくださっているとおりの場所しか見つかりませんでした。
具体的にどの遺物、という番号はついていなくて、死後のための食料として入れられたパンやワイン壷ともに偶然まじりこんだと思われる穀物として、「ヒヨコ豆(Cier arietinum)、レンズ豆(Lens culinaris=Lensesculenta)、エンドウ豆(Pisum sp.)」が挙げられているにとどまっています。他に小麦や大麦のつぼに一緒に紛れ込んでいた種子。精米したお米に麦が入ってるようなもんですかね。(最近はもう無いか)
というわけで、ツタンカーメン墓から出てきたエンドウマメは一応存在するみたいです。
ただし、それは特別なものではなく、見つかった状況からして「当時、一般的に食べられていたものとして」墓におそなえされた食物に紛れ込んでいた… というもの。
Pisumについては、イメージ検索などすると情報が出てきますが、ツタンカーメンの時代に特有のもの、とか、エジプトにしかないもの、ではなく、エンドウマメの原種とされる野生のエンドウのことを指すらしい。
古代エジプト人が豆を好んで食べていたことは確実だし、遺物として存在するものもありますが、Pisum自体がそう珍しいものではないのだとすれば、果たして、現在日本で出回っているものが「ツタンカーメンの墓から出てきた豆の子孫」なのか、「同じ種類の豆の子孫」なのかは区別がつかない可能性が。
DNA調査でもして科学的に確認しないと確実なことは言えないかも…?
何世代も交配しているので、もはや原型がないのではという気もするんですが。
■種子の復活、という信仰
ところで、「墓から出てきた穀物」、「種子の発芽=復活」というキーワードで真っ先に浮かぶのは、植物のミイラとも呼ばれ、布にくるんだ土の中に種を植え込んでいる遺物です。
古代エジプトの信仰として、種子の発芽は死からの再生を意味していました。
死せる大地の復活、ナイル氾濫の後に戻ってくる緑は、セトに殺害されたオシリス(豊穣神)の復活=来世での復活 とされ、種を埋め込んだ”オシリス型プランター”というものが墓に一緒に埋葬されていたケースもあります。
ですので、もしかすると、この「ツタンカーメンの種子が現代において発芽した」という話は、古代エジプトの信仰と現実が摩り替わってしまった結果ではないんでしょうか?
古代エジプト人の信じていた信仰の一部が、ソース不明のまま一人歩きするうちに、現代における事実として扱われるようになってしまった、なんてこともあるかもしれません。
少なくとも、”ミイラ小麦”の話は↓コレが出所だと思います。
墓に収められた種子は、現実に時を越えて「復活」するわけではなく、王のミイラと同じく「永遠に生き続ける」ことを願われていただけなんですね。王のミイラが生き返らないのと同じく、この小麦のミイラも生き返りはしません…。
ただ、信仰の中では「今も生き続けている」と言えるわけですが。
■エンドウマメの発芽実験は過去に行われていたのかどうか?
現在出回っているものが本当に古代エジプトで栽培されていた豆の子孫とすれば、墓から出土した豆を発芽・栽培させた人が必ずどこかにいるはずで、発芽実験は、ツタンカーメンの墓が最初に開かれてから、日本にはじめて豆が登場したとされる1956年(ただし、この年代は未定。)までの3-40年の間でなくてはなりません。
これについて、こちらのブログで先に調べてくださっていました^^
参考先のURLから引用すると
紀元前1358年~1349年にエジプトを統治したツタンカーメン王の墓は、1923年イギリスの考古学者カーナ・B・カーター氏によって発掘されました。その際に発掘された副葬品の中からエンドウ豆が発見されました。紀元前にエジプト人が食用にしていたと思われるこのエンドウ豆を持ち帰り栽培したところ成功し、その一部がアメリカで栽培されました。昭和31年に水戸の大町武雄氏がアメリカに桜、銀杏など日本独特の種を送ったお礼として、V・イレーヌ・フランソワース夫人からツタンカーメン王陵から発掘されたエンドウ豆に由来する種が送られました。この種が日立市、千葉市、水戸市などの小学校等で栽培されました。このエンドウ豆はそうして収穫された種に由来しています。
カーナ・B・カーター っていうのは、カーナーヴォン卿とカーターをごっちゃにした結果でしょうか。
カーナーヴォン卿は墓の発見直後に病死されているためエンドウマメの栽培をしている暇はないだろう。ということで、カーターが栽培したのだと、ここでは仮定します。
でも、だとすると、カーター自身が何も記録していないのか? ということが気になります。
カーターは「記録」という点において かなり雑な人であったようなので、大事なことを何処にも書かずに終わった可能性は否定できないでしょうが、しかし、だとすれば由来として残るわけもなく。
「カーターの栽培していた豆」自体は存在したけれど、それはツタンカーメン墓から出たものではなく、エジプトの別の場所で手に入れたものだった。という可能性もありそうです。
画像の出典元はコチラです。
