エジプトの南端―ハライブ・トライアングル

エジプトの国境は、世界地図を見慣れている方ならご存知の通り、えらくピッチリしています。

植民地時代にイギリスがサクっと引いた国境なわけで、まあほとんど砂漠だし、あんま人住んでないからオッケーよね! ってな具合だったんでしょうが、案の定といいますか、そのピッチリ引かれた国境線は実質の管理状況と異なっており、一部の例外が出てしまいました。

それが、”Halaib Triangle”と呼ばれる地域。
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昔、地理の授業でエジプトの国境を見たときに「…なんで端っこだけ欠けてるんだろう」とは思っていたんですが、グーグルアースが出来るまでは「山か湾か、湖でもあるんだなきっと。」と自分で勝手に理由をつけて、特に調べようとはしていませんでした。最近、航空写真を見て初めて「あれ? 何もないジャン」と、気づいた次第。

というわけで、この「ハライブ・トライアングル」についてメモを1つ。
参考記事を挙げてみます。1993年の記事です。


いつものてけとう翻訳で流れを説明すると、

・現在のエジプトの南国境、南緯22度というのはイギリスが1899年に制定。

・1902年に、実際の管理としてスーダンから達しやすい場所について、スーダン政府の支配地域として新たに2つの三角形を描く。

・1958年、エジプトの将軍Abdel Nasserはこの地域にエジプト軍を送る(のちに撤退させている)。

・1992年1月、この地域から出る石油についてスーダン政府がカナダの企業に権利を与えたためエジプトが抗議。カナダの企業はいったん退くが、エジプトとスーダンの間の敵意は冷めやらず、この記事の時点ではエジプト軍は三角地帯に留まっていた模様。

100年くらい国境について争っているような状況ですが、頂点に達したのは1992年の事件の時のようです。

記事を読む限り、「エジプトで観光客を襲撃するテロリストは、スーダンがイラクからの資金援助を得て育成しているものだとして非難している」などの記述もあるため、お互い国境以外の問題についても対立している部分があると思われます。またスーダン国内に若干いるキリスト教徒に対する迫害など、宗教問題も絡んでいるようです。

まさかここで古代エジプト王国の時代の恨み節とか持ち出しゃしないだろうなと思いつつ、でも数千年前の恨みでも残っているのがデフォルトな地域もあるので、何ともかんとも。

石油は出るようだけど、なんもない砂漠の端っこだし、果たして争うほどの魅力があるんだろうか? と、ちょっと疑問。むしろ、軍隊を駐留させる口実とか、攻撃の糸口とか、隠れてる資源があるとか、本題は別件なような気がしなくもない。

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