ジプシーとベリーダンスを巡る調査報告(2) ~ジプシーダンスの伝承
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と、いうわけで続き。
前のエントリでまとめたことを繰り返すが、ジプシーはエジプトを起源とする人々のことではない。
エジプト出身者の可能性があるジプシーは存在するが、使用する言語などから分析すると、移住したと推定される時期は、ベリーダンスが記録に登場する時期よりも前にエジプトを出たと思われる。(そして移住者たちはベリーダンスに似た踊りは持っていない)
だから、エジプトに居る/過去に居た ジプシーも、もともとはエジプト以外から来た可能性が高い。
そうすると、ジプシーダンスとベリーダンスに関連性がある(ジプシーがやってきた時代にベリーダンスが発達した)とした場合、考えられる可能性は、以下の2つになってくる。
(1) ベリーダンスは元々ジプシーたちのダンス。エジプト古来の踊りとは関係ない
(2) ベリーダンスはジプシーたちがエジプトで伝承されていた
エジプト古来の踊りを発展させて作った(若干の関連性がある)
というわけで、上記2つの可能性を考え、そもそもの発端である、みんぱくの「ベリーダンス」に関するビデオテークの内容が主張していた結を、補足を入れて単純に書き直すと、こういうことになる。
(2)の「エジプト古来の踊りを発展させて作った(若干の関連性がある)」可能性をとった場合、想定されるケースによく似た事象が、イスパニアで起こっている。イスパニアの情熱的な踊り、「フラメンコ」はイスパニアに移住したジプシー(ヒターノと呼ばれる)たちが現地の踊りを発展させて作り出したものだ。これと同じことがベリーダンスに起こったとすれば、よそ者であるジプシーがエジプトにやってきて定住した際に、現地に伝わっていた踊りを自分たち流に発展させたと考えることも出来なくはない。
ただしベリーダンスの場合、エジプトに特有のものではなく、エジプトより前にジプシーの記録が現れるトルコにも存在するから、ベリーダンスのエジプト起源を主張する場合、トルコにベリーダンスが出現する以前からエジプトにベリーダンスの起源となる踊りがあったことを証明しなくてはならないだろう。
また、古代エジプトの壁画に現れる女性の踊りは、アクロバット的な動きが目立つ。長い髪を振り乱して、半裸の少女たちが踊る姿、頭を振りながら楽器を演奏する人々。祭礼、貴人の娯楽としても踊られたものと思われる。
これらが伝承されたとすれば、何故ベリーダスにはアクロバットが無いのだろうか。また、古代エジプトの時代には存在した(壁画に現れる)男性の踊りがないことも不自然に思える。
ベリーダンスが女性の魅力を引き出す誘惑の踊りだったとすれば、その起源はエジプト古来の踊りというより、流れの芸人であるジプシーの女性たちが自分たちのものとして踊っていた踊りを原型とさせたほうが、まだすんなりいきそうだ。
歴史的背景、出身地などは個々に異なるが、ジプシーとは、基本的に定住せず放浪している、または長い期間放浪していた人々である。放浪生活の理由の一つが、彼らが「専門家集団」であったことにあるという。
踊り、占い、鋳掛け、籠作りなど専門的な技術は、それぞれ、祭り・祝い事の時だけ、とか、鍋や籠が壊れた時だけ、と、限定的に必要になるものである。一度の報酬は大きくても、必要とされる場面は少なく、定住して安定した収入を得ることは出来ない。だから、踊りを専門とする集団は祭りのある地域を順繰りに周回していくことになり、籠作りは籠を売り歩きながら旅をしていくことになる。
そうした生活では、形のある歴史記録はほとんど残らない。ゆえにジプシーの歴史を知るにはジプシーたち以外の定住する人々が残した記録に頼る部分が多く、それらは各地に散らばっていて前後関係もよく分からない。
もやもやしたものについて、少ない「点」を部分的に繋いで線を描いてみた、という状態だ。
残るは、現在伝わっているベリーダンスの、辿れる限り昔の記録… や、具体的な分類、バリエーション等の検証、というところたが、残念ながら、一般的に出回っているベリーダンスの情報サイトやベリーダンスの本に書かれている考察があまりにもアレで資料として使えそうもない。
ベリーダンスの本に書いてあるのは、単なる自称だからだ。自称するなら何を言うのも自由だし、楽しく踊るのにベリーダンスの起源の知識は必須ではない。小説を読んで楽しむ人の観点と、文学界の歴史にあてはめて楽しむ人の観点が違うようなものだ。どこかにベリーダンスを学術的に研究している人でもいないか、ちょっと探してみようと思う。
と、いうわけで、いちおう結論は出したが、疑問はまだ残っている。
「証拠がない」から可能性が低いと推測するのが限度であり、起源がはっきりしない以上、絶対に違う、とも言い切れないのが実際のところだ。「ベリーダンスの起源ははっきりしない」、これは正しい結論であると思う。いや本当に分からないんだから。
ベリーダンスは「東方の踊り」とも呼ばれるらしいが、いつ頃/誰が呼び始めたのか、何処から見た東方のことなのか、それってインドのことなのか、等も、現段階では、まだ確認がとれていない。
もし、更なる疑問を補完する資料に出会えれば、もう続きを書いてみようと思う。
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もう一冊。
こちらはドイツに暮らす「シンティ・ロマ」というジプシーについての記述が中心。
と、いうわけで続き。
前のエントリでまとめたことを繰り返すが、ジプシーはエジプトを起源とする人々のことではない。
エジプト出身者の可能性があるジプシーは存在するが、使用する言語などから分析すると、移住したと推定される時期は、ベリーダンスが記録に登場する時期よりも前にエジプトを出たと思われる。(そして移住者たちはベリーダンスに似た踊りは持っていない)
だから、エジプトに居る/過去に居た ジプシーも、もともとはエジプト以外から来た可能性が高い。
そうすると、ジプシーダンスとベリーダンスに関連性がある(ジプシーがやってきた時代にベリーダンスが発達した)とした場合、考えられる可能性は、以下の2つになってくる。
(1) ベリーダンスは元々ジプシーたちのダンス。エジプト古来の踊りとは関係ない
(2) ベリーダンスはジプシーたちがエジプトで伝承されていた
エジプト古来の踊りを発展させて作った(若干の関連性がある)
というわけで、上記2つの可能性を考え、そもそもの発端である、みんぱくの「ベリーダンス」に関するビデオテークの内容が主張していた結を、補足を入れて単純に書き直すと、こういうことになる。
エジプト起源ではない(または、エジプト発祥という可能性の低い)移民であるジプシーがエジプトに移住後、現地のエジプト人に教えて発展したのが現在のエジプトのベリーダンスである。
現地に伝わった時点で元から存在した(古代エジプトの伝承を受け継ぐかもしれない)ダンスがミックスされた可能性はあるが、そうだとしても原型はジプシーダンスなので、ベリーダンスは古代エジプトの踊りとは別物と言っていい。
(2)の「エジプト古来の踊りを発展させて作った(若干の関連性がある)」可能性をとった場合、想定されるケースによく似た事象が、イスパニアで起こっている。イスパニアの情熱的な踊り、「フラメンコ」はイスパニアに移住したジプシー(ヒターノと呼ばれる)たちが現地の踊りを発展させて作り出したものだ。これと同じことがベリーダンスに起こったとすれば、よそ者であるジプシーがエジプトにやってきて定住した際に、現地に伝わっていた踊りを自分たち流に発展させたと考えることも出来なくはない。
ただしベリーダンスの場合、エジプトに特有のものではなく、エジプトより前にジプシーの記録が現れるトルコにも存在するから、ベリーダンスのエジプト起源を主張する場合、トルコにベリーダンスが出現する以前からエジプトにベリーダンスの起源となる踊りがあったことを証明しなくてはならないだろう。
また、古代エジプトの壁画に現れる女性の踊りは、アクロバット的な動きが目立つ。長い髪を振り乱して、半裸の少女たちが踊る姿、頭を振りながら楽器を演奏する人々。祭礼、貴人の娯楽としても踊られたものと思われる。
これらが伝承されたとすれば、何故ベリーダスにはアクロバットが無いのだろうか。また、古代エジプトの時代には存在した(壁画に現れる)男性の踊りがないことも不自然に思える。
ベリーダンスが女性の魅力を引き出す誘惑の踊りだったとすれば、その起源はエジプト古来の踊りというより、流れの芸人であるジプシーの女性たちが自分たちのものとして踊っていた踊りを原型とさせたほうが、まだすんなりいきそうだ。
歴史的背景、出身地などは個々に異なるが、ジプシーとは、基本的に定住せず放浪している、または長い期間放浪していた人々である。放浪生活の理由の一つが、彼らが「専門家集団」であったことにあるという。
踊り、占い、鋳掛け、籠作りなど専門的な技術は、それぞれ、祭り・祝い事の時だけ、とか、鍋や籠が壊れた時だけ、と、限定的に必要になるものである。一度の報酬は大きくても、必要とされる場面は少なく、定住して安定した収入を得ることは出来ない。だから、踊りを専門とする集団は祭りのある地域を順繰りに周回していくことになり、籠作りは籠を売り歩きながら旅をしていくことになる。
そうした生活では、形のある歴史記録はほとんど残らない。ゆえにジプシーの歴史を知るにはジプシーたち以外の定住する人々が残した記録に頼る部分が多く、それらは各地に散らばっていて前後関係もよく分からない。
もやもやしたものについて、少ない「点」を部分的に繋いで線を描いてみた、という状態だ。
残るは、現在伝わっているベリーダンスの、辿れる限り昔の記録… や、具体的な分類、バリエーション等の検証、というところたが、残念ながら、一般的に出回っているベリーダンスの情報サイトやベリーダンスの本に書かれている考察があまりにもアレで資料として使えそうもない。
ベリーダンスの本に書いてあるのは、単なる自称だからだ。自称するなら何を言うのも自由だし、楽しく踊るのにベリーダンスの起源の知識は必須ではない。小説を読んで楽しむ人の観点と、文学界の歴史にあてはめて楽しむ人の観点が違うようなものだ。どこかにベリーダンスを学術的に研究している人でもいないか、ちょっと探してみようと思う。
と、いうわけで、いちおう結論は出したが、疑問はまだ残っている。
「証拠がない」から可能性が低いと推測するのが限度であり、起源がはっきりしない以上、絶対に違う、とも言い切れないのが実際のところだ。「ベリーダンスの起源ははっきりしない」、これは正しい結論であると思う。いや本当に分からないんだから。
ベリーダンスは「東方の踊り」とも呼ばれるらしいが、いつ頃/誰が呼び始めたのか、何処から見た東方のことなのか、それってインドのことなのか、等も、現段階では、まだ確認がとれていない。
もし、更なる疑問を補完する資料に出会えれば、もう続きを書いてみようと思う。
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もう一冊。
こちらはドイツに暮らす「シンティ・ロマ」というジプシーについての記述が中心。
