「キング・アーサーは実在したか?」(メモ)
きちんとした論にしようとすれば膨大な資料を漁らなくてはならないので、とりあえずは「メモ」という形にしておきたい。
古今東西の様々な物語に描かれてきた伝説上の王、レクス・クワンダム・レクス・ケ・フュチューラス「かつての王にして未来の王」 "アーサー"は、果たして実在した一人の人間であったのか。
一介の傭兵隊長に過ぎなかった、とか、王を自称したに過ぎなかった、という説もあるが、彼が王という役職であったかどうかは今はおいておくことにしよう。
アーサーの元になる人物が実在したか否か?
これについて、実在を証明する確固たる証拠は、現在のところ存在しない。 まずはここから始めよう。
そもそも、アーサーについての実像がはっきりしないのには、ローマが去ったのち、アーサーが活躍していた(と、される)時代は戦乱期で、何も記録が残っていないことによるところが大きい。歴史上の空白、何が起こっていたかわからない暗黒の時代である。その時代に書かれた一次資料はなく、1100年ごろに書かれたものがアーサーの名前の登場する最初の資料なので500年以上も空白期間があることになる。
そして存在を証明することが出来ないのは、アーサーが「いた」とされる物的証拠が何もないからだ。
(※)
存在を証明するものがないなら、実在したと述べる人は何をもって論拠とするのか。答えは己の信念に他ならない。火のないところに煙は立たず。何らかの元になる出来事は必ずあったはず、という経験則に基づいた信念である。そして、その信念に沿って、それらしいものに可能性を託しているのだ。たとえばグラストンベリーの地に。たとえばティンタジェルの地に。
しかし伝説は、時代とともに形を変えていくものだ。今あるアーサー王に関する伝説は、アーサーの元になった「誰か」の生きていた時代に作られたものとは限らないのである。
実在する元ネタが「いた」か「いなかった」かの二極に分かれるとは限らない。
ありふれた考察としては、次のような中間の可能性が論じられている。
(1) たとえば、アーサーの元ネタが一人ではなかったら?
史実に神話や伝承の原型を求めようとする人が最初にやりがちなのが、実在と空想が1:1で存在するという誤った前提を持って考えてしまうこと。元ネタは必ずしも一人とは限らない。たとえば、最初に剣を手にしたアーサーと、妻に浮気されるアーサーと、不義の子に殺されるアーサーは元々別人だったかもしれない。それどころかもっと複雑に、元ネタが分裂して好ましい部分だけを「伝説の王アーサー」として残したのかもしれない。
現在残っているアーサー王伝説の大枠は、ジェフリー・オヴ・モンマスによる「ブリタニア列王史」の影響が大きい。
そこで語られるアーサーは、"メドラウトとともにカムランの戦いで戦死した人物"過ぎない。その記述はおどろくほど簡素で、メドラウトとの関係も、戦死の原因も無く、彼の死によって何が引き起こされたのかも分からない。
その状態から、現在の様々なバリエーションをもつ豊かな物語に至るまでには、多くの時間と語り手を要する。
途中で全く無関係な物語がアーサー王伝説に組み入れられた痕跡も多い。(マーリンやガウェイン、パーシヴァルなどは元々は独立した伝説の主人公だった)
もしアーサーの元になる実在の人物がいたとしても、それは一人ではなく複数、場合によっては集合体という可能性だって否定は出来ない。
(2) 元になった誰かの名前がアーサーに関係なかったら?
アーサーの原型になった人物がアーサーという名前だったかどうかは定かではない。彼(ないし彼女(笑))が実在したとして、そもそも出身の民族すら分からないのである。可能性が高いのはケルト語かローマ風の名前だが、ピクト人やサクソン人という可能性も少しはあるだろうし、あるいはもっと別の民族の出身で、現地の人には言いにくいような名前だったのがアーサーにされただけかもしれない。
だから、アーサーの実在を証明しようとする人は、ただ古文書の中でアーサーという名前だけを探せばいいわけではない。
ウェールズ語では、Arth(アルス)は熊という意味だ。だからアーサーという名は語源が熊であるとされることが多い。しかしだとすると、Arth=熊 に関係した名前は普通すぎる。熊の女神に「アルティオ」というのがいるが、実はアーサーというのがあだ名や通り名の可能性はないだろうか。
もし本名ではなかったとすると、原型を探ることは難しいかもしれない。あるいは、既に目の前にいるのにそれがアーサーだと気がついていない誰かかもしれないというわけだ。
アーサーの原型はケルトの熊の神だったのではないか? と、する説も、実はある。
神だったものが人間として歴史書に記録されるようになるのも不自然なのでどうかと思うが、実在しなかったはずなのにデンマークを建国したことになっている北欧神話のフレイ神という例もあるので、可能性はゼロではない。
アーサーという名前が普通すぎるというのは、たとえばアルスから派生しうる名前、アルトゥーリウスのような、「アーサー」に変化しうる名前の候補が多数挙げられることにも関係する。だから類似した名前の刻まれた墓石がアーサーのものと信じられて盗まれたり、"アルス"に似た名前の書かれた遺物がアーサー王の実在の証拠ではないかと祭り上げられたりする騒動が過去に何度も起きているわけだ。
どこかの段階で、アーサーの元ネタになった人物と、それとは関係なく存在したアーサーによく似た名前の誰かが混同され、もとの名前が上書きされた可能性だってあるのである。ここは(1)の可能性とも重なってくる。
(3) アーサーの存在した時代がズレていたら?
文献資料は必ずしも正しいものではない。「これこれのソースにこう書いてあるからむというのは、実は理由にならないことがある。
何故かというと、歴史書はウソをつくからだ。また書き手の立場や考えを反映せずにはいられないものだからだ。それはもう現代に生きる我々なら知っているだろう。第二次世界大戦について書かれた本の、驚くべき多種多様な論調を思い浮かべてみるといい。
また、アーサーについて書かれた書物はいずれも、アーサーが「いた」とされる時代の何百年ものちの伝承をもとに書かれた二次資料だ。それらは歴史書とはいえ既に物語と化したものに歴史の体裁を与えたに過ぎなかった。
人の記憶の中では、時間はあいまいになる。そして過去は、証明不可能なものとなる。アーサーという名にしろ他の何かだったにしろ、「過去に存在した偉大な指導者」や「十字架を戴いてブリテンを守る戦士」である人物が、バドンの戦いの起きた直後から存在したのか、その100年後に突如、神話化されて作られたのかは、証明することが出来ない。
そもそも、この推測自体、バドンの戦いは実際に起きたという仮定のもとに成り立っているので、そこからして不確実だ。歴史上の空白期間は少なくとも200年は続く。(←ここらは記憶に寄るので不確実)
ならば数十年の誤差など大した話ではない。ブリトン人には華々しい勝利も決定的な敗戦もなく、ただじわじわと稀を重ねて追いやられたというのが史実で、後からそれを悲劇的な物語にしつらえる上で適当な地名を当てはめただけかもしれないのだから。
で、ここからが自分の意見というか、この方向で考えていますという持論だ。
アーサーとは、作られた英雄ではないのか?
元ネタとなる誰かが実在したか実在してなかったか以前に、自然発生した伝説ではなく人工的に、目的をもって作られた伝説なんじゃないかと私は思うんだ。
アーサーが生きたとされる時代は、ブリテン島からローマが去り、サクソン人(ゲルマン系の民族)や、北方に住むピクト人による攻撃が激しくなっていた時期。ローマ化されたケルト人、すなわち、当時の「ブリテン人」は、ローマの助けなしにサクソン人やピクト人と戦わねばならなかった。「歴史書上の設定」としてのアーサーは、これらの敵と戦って退け、束の間の平和を築いた人物とされる。
しかしアーサーはバドンの戦いで敗北し死亡する。それによって、ブリテン人たちは侵入者から身を守ることは出来なくなった。平和は終わりを告げたのだ。
だが、いつかアーサーは還ってくる。偉大なる王とともに、ブリテン島は再び正しい継承者の手に戻るであろう…。
さて、これを歴史を遺す側の身になって考えてみよう。
戦いの勝利は大々的に、力強く書き残す or 語り継ぐ べき内容であり、敗北はあくまで悲劇的でなくてはならない。また、意気消沈する人々を盛り立て、いつの日か再び独立するだけの意欲を残しておきたいと思うなら、偉大な勝利をもたらした指導者は出来るだけ神格化し、「何時の日か戻ってくる」とか「彼は妖精の島に行っただけで死んではいない」とかいう話にしておくと都合がよい。死んだことにしちゃうと、生まれ変わったと自称する人が出たり、子孫名乗る人が出てきたり、後継者争いで面倒なことになるからね(笑)。
つまりアーサーは、歴史を伝える上で都合よく、民族決起などに利用しやすそうな、いかにもエライ人が喧伝しそうな英雄なわけですよ。
「マビノギ」の中に収録された「ロナブイの夢」というエピソードでアーサー王が言う「この島は今では卑小なものたちに支配されている」という下りなども思い出して、なんだかな、ローマ支配時代を懐かしんでブリトン人の支配に戻りたかった思いが生み出した理想の存在ではないかと思ってしまう。
この予想の場合、実在した人物がどうであったかは、実はあまり関係ない。実在した誰かを都合よくカッコよく仕立て上げて、名前がダサければ強そうなのに変えても構わない。地味なただの傭兵隊長でも、100年もたてば「偉大なる王」になれる。(そう、あのローランが民族の悲劇的英雄に仕立て上げられたようにだ!)
「過去の王にして未来の王」の正体は、未来の王として存在するために過去に遡って王とされた誰かだったのではないか。だとすれば、その誰かは過去の時点では、誰でもない。完全なる空想だったにせよ、少しは元ネタがあったにせよ―― 証拠は決して見つからないだろう。
と、まあこのへんがメモ。(なげーよ!)
証拠がない、証明する手段はない、しかも今のところ実在の人物ではないので、何でも言いたい放題。このテのジャンルは、いかに格好よく魅力的な空想の提案をするか、それによって多くの人を納得させるかがカギ。実在したアーサーのモデルを探す、なんてのは世界中でやっているし、その成果ははかばかしくない。それらしい人物が見つかっても伝説のイメージからはかけ離れたアレな人たちばかりなので、ファンからは全力で拒否されている。でも実在したとすれば、たぶん下っ端の兵士とか、せいぜい将軍止まり。だって当時はブリテン島全土を支配した”王”なんていなかったんだからさ。
ならばいっそのこと、作られた存在にしちゃったほうが話進むと思うんだよね。実在モデルはいないけど、理想とご都合主義を凝縮して創造された人物像とか。
トーマス・マロリーが強姦罪で投獄された騎士だったと知ったときも「そんな汚れた過去なら証拠抹消して”作者の経歴は不詳”だったほうが百倍マシなんじゃないか」とか思ったものだが、あまりにもショボい原型が判明するよりは、永遠に謎のままで空想させてくれることのほうを望む。まあ望まなくても、存在しない過去なら蘇ることもないんだけども。
※アーサー王の実在を証明する物的証拠がない
1.
この点においてアーサーは、ルーン石碑によって ”実在だけは” 証明できる北欧のサガの主人公たちとは事情が異なる。ルーン石碑は、ある人物が生きた時代の人、多くは息子が、その人物を記念して、あるいは死を悼んで建てるものだった。いわば墓標のようなものである。石碑はたいてい街道沿いなどの目立つ場所に建てられ、通り過がる人々に訴えかけるようになっていた。
だから、石碑を建てた人物と、石碑に刻まれた人物は必ず実在し、そこに刻まれた大まかな出来事には嘘はない。(町内会の掲示板に張り出された訃報のような扱いだったと想像すると分かりやすいかも)
2.
実在を証明したいという思いをもつ人々は過去に多く存在したようで、様々な遺物が「捏造」されている。
アーサー王の「墓」や名前の刻まれた「遺物」、過去に遡って書かれた歴史書などがそうだ。
しかしそのどれもが、アーサーを一人の人間、偉大な王として設定し、つまり伝説そのままの存在として過去に在ったとしている。あまりにも直球勝負すぎて作ったことがバレバレなのだ。喩えるなら、源義経がモンゴルに渡ってチンギス=ハンになったという伝説の証拠として、「源義経」と書かれた軍馬用の鞍をモンゴルから発掘してくるくらいわざとらしい。アーサー王にまつわるとされる遺跡も多すぎて、しかも名前のわりにショボイのが多いので、なんていうか寂れた地元の観光スポットみたいな扱いになってる。
古今東西の様々な物語に描かれてきた伝説上の王、レクス・クワンダム・レクス・ケ・フュチューラス「かつての王にして未来の王」 "アーサー"は、果たして実在した一人の人間であったのか。
一介の傭兵隊長に過ぎなかった、とか、王を自称したに過ぎなかった、という説もあるが、彼が王という役職であったかどうかは今はおいておくことにしよう。
アーサーの元になる人物が実在したか否か?
これについて、実在を証明する確固たる証拠は、現在のところ存在しない。 まずはここから始めよう。
そもそも、アーサーについての実像がはっきりしないのには、ローマが去ったのち、アーサーが活躍していた(と、される)時代は戦乱期で、何も記録が残っていないことによるところが大きい。歴史上の空白、何が起こっていたかわからない暗黒の時代である。その時代に書かれた一次資料はなく、1100年ごろに書かれたものがアーサーの名前の登場する最初の資料なので500年以上も空白期間があることになる。
そして存在を証明することが出来ないのは、アーサーが「いた」とされる物的証拠が何もないからだ。
(※)
存在を証明するものがないなら、実在したと述べる人は何をもって論拠とするのか。答えは己の信念に他ならない。火のないところに煙は立たず。何らかの元になる出来事は必ずあったはず、という経験則に基づいた信念である。そして、その信念に沿って、それらしいものに可能性を託しているのだ。たとえばグラストンベリーの地に。たとえばティンタジェルの地に。
しかし伝説は、時代とともに形を変えていくものだ。今あるアーサー王に関する伝説は、アーサーの元になった「誰か」の生きていた時代に作られたものとは限らないのである。
実在する元ネタが「いた」か「いなかった」かの二極に分かれるとは限らない。
ありふれた考察としては、次のような中間の可能性が論じられている。
(1) たとえば、アーサーの元ネタが一人ではなかったら?
史実に神話や伝承の原型を求めようとする人が最初にやりがちなのが、実在と空想が1:1で存在するという誤った前提を持って考えてしまうこと。元ネタは必ずしも一人とは限らない。たとえば、最初に剣を手にしたアーサーと、妻に浮気されるアーサーと、不義の子に殺されるアーサーは元々別人だったかもしれない。それどころかもっと複雑に、元ネタが分裂して好ましい部分だけを「伝説の王アーサー」として残したのかもしれない。
現在残っているアーサー王伝説の大枠は、ジェフリー・オヴ・モンマスによる「ブリタニア列王史」の影響が大きい。
そこで語られるアーサーは、"メドラウトとともにカムランの戦いで戦死した人物"過ぎない。その記述はおどろくほど簡素で、メドラウトとの関係も、戦死の原因も無く、彼の死によって何が引き起こされたのかも分からない。
その状態から、現在の様々なバリエーションをもつ豊かな物語に至るまでには、多くの時間と語り手を要する。
途中で全く無関係な物語がアーサー王伝説に組み入れられた痕跡も多い。(マーリンやガウェイン、パーシヴァルなどは元々は独立した伝説の主人公だった)
もしアーサーの元になる実在の人物がいたとしても、それは一人ではなく複数、場合によっては集合体という可能性だって否定は出来ない。
(2) 元になった誰かの名前がアーサーに関係なかったら?
アーサーの原型になった人物がアーサーという名前だったかどうかは定かではない。彼(ないし彼女(笑))が実在したとして、そもそも出身の民族すら分からないのである。可能性が高いのはケルト語かローマ風の名前だが、ピクト人やサクソン人という可能性も少しはあるだろうし、あるいはもっと別の民族の出身で、現地の人には言いにくいような名前だったのがアーサーにされただけかもしれない。
だから、アーサーの実在を証明しようとする人は、ただ古文書の中でアーサーという名前だけを探せばいいわけではない。
ウェールズ語では、Arth(アルス)は熊という意味だ。だからアーサーという名は語源が熊であるとされることが多い。しかしだとすると、Arth=熊 に関係した名前は普通すぎる。熊の女神に「アルティオ」というのがいるが、実はアーサーというのがあだ名や通り名の可能性はないだろうか。
もし本名ではなかったとすると、原型を探ることは難しいかもしれない。あるいは、既に目の前にいるのにそれがアーサーだと気がついていない誰かかもしれないというわけだ。
アーサーの原型はケルトの熊の神だったのではないか? と、する説も、実はある。
神だったものが人間として歴史書に記録されるようになるのも不自然なのでどうかと思うが、実在しなかったはずなのにデンマークを建国したことになっている北欧神話のフレイ神という例もあるので、可能性はゼロではない。
アーサーという名前が普通すぎるというのは、たとえばアルスから派生しうる名前、アルトゥーリウスのような、「アーサー」に変化しうる名前の候補が多数挙げられることにも関係する。だから類似した名前の刻まれた墓石がアーサーのものと信じられて盗まれたり、"アルス"に似た名前の書かれた遺物がアーサー王の実在の証拠ではないかと祭り上げられたりする騒動が過去に何度も起きているわけだ。
どこかの段階で、アーサーの元ネタになった人物と、それとは関係なく存在したアーサーによく似た名前の誰かが混同され、もとの名前が上書きされた可能性だってあるのである。ここは(1)の可能性とも重なってくる。
(3) アーサーの存在した時代がズレていたら?
文献資料は必ずしも正しいものではない。「これこれのソースにこう書いてあるからむというのは、実は理由にならないことがある。
何故かというと、歴史書はウソをつくからだ。また書き手の立場や考えを反映せずにはいられないものだからだ。それはもう現代に生きる我々なら知っているだろう。第二次世界大戦について書かれた本の、驚くべき多種多様な論調を思い浮かべてみるといい。
また、アーサーについて書かれた書物はいずれも、アーサーが「いた」とされる時代の何百年ものちの伝承をもとに書かれた二次資料だ。それらは歴史書とはいえ既に物語と化したものに歴史の体裁を与えたに過ぎなかった。
人の記憶の中では、時間はあいまいになる。そして過去は、証明不可能なものとなる。アーサーという名にしろ他の何かだったにしろ、「過去に存在した偉大な指導者」や「十字架を戴いてブリテンを守る戦士」である人物が、バドンの戦いの起きた直後から存在したのか、その100年後に突如、神話化されて作られたのかは、証明することが出来ない。
そもそも、この推測自体、バドンの戦いは実際に起きたという仮定のもとに成り立っているので、そこからして不確実だ。歴史上の空白期間は少なくとも200年は続く。(←ここらは記憶に寄るので不確実)
ならば数十年の誤差など大した話ではない。ブリトン人には華々しい勝利も決定的な敗戦もなく、ただじわじわと稀を重ねて追いやられたというのが史実で、後からそれを悲劇的な物語にしつらえる上で適当な地名を当てはめただけかもしれないのだから。
で、ここからが自分の意見というか、この方向で考えていますという持論だ。
アーサーとは、作られた英雄ではないのか?
元ネタとなる誰かが実在したか実在してなかったか以前に、自然発生した伝説ではなく人工的に、目的をもって作られた伝説なんじゃないかと私は思うんだ。
アーサーが生きたとされる時代は、ブリテン島からローマが去り、サクソン人(ゲルマン系の民族)や、北方に住むピクト人による攻撃が激しくなっていた時期。ローマ化されたケルト人、すなわち、当時の「ブリテン人」は、ローマの助けなしにサクソン人やピクト人と戦わねばならなかった。「歴史書上の設定」としてのアーサーは、これらの敵と戦って退け、束の間の平和を築いた人物とされる。
しかしアーサーはバドンの戦いで敗北し死亡する。それによって、ブリテン人たちは侵入者から身を守ることは出来なくなった。平和は終わりを告げたのだ。
だが、いつかアーサーは還ってくる。偉大なる王とともに、ブリテン島は再び正しい継承者の手に戻るであろう…。
さて、これを歴史を遺す側の身になって考えてみよう。
戦いの勝利は大々的に、力強く書き残す or 語り継ぐ べき内容であり、敗北はあくまで悲劇的でなくてはならない。また、意気消沈する人々を盛り立て、いつの日か再び独立するだけの意欲を残しておきたいと思うなら、偉大な勝利をもたらした指導者は出来るだけ神格化し、「何時の日か戻ってくる」とか「彼は妖精の島に行っただけで死んではいない」とかいう話にしておくと都合がよい。死んだことにしちゃうと、生まれ変わったと自称する人が出たり、子孫名乗る人が出てきたり、後継者争いで面倒なことになるからね(笑)。
つまりアーサーは、歴史を伝える上で都合よく、民族決起などに利用しやすそうな、いかにもエライ人が喧伝しそうな英雄なわけですよ。
「マビノギ」の中に収録された「ロナブイの夢」というエピソードでアーサー王が言う「この島は今では卑小なものたちに支配されている」という下りなども思い出して、なんだかな、ローマ支配時代を懐かしんでブリトン人の支配に戻りたかった思いが生み出した理想の存在ではないかと思ってしまう。
この予想の場合、実在した人物がどうであったかは、実はあまり関係ない。実在した誰かを都合よくカッコよく仕立て上げて、名前がダサければ強そうなのに変えても構わない。地味なただの傭兵隊長でも、100年もたてば「偉大なる王」になれる。(そう、あのローランが民族の悲劇的英雄に仕立て上げられたようにだ!)
「過去の王にして未来の王」の正体は、未来の王として存在するために過去に遡って王とされた誰かだったのではないか。だとすれば、その誰かは過去の時点では、誰でもない。完全なる空想だったにせよ、少しは元ネタがあったにせよ―― 証拠は決して見つからないだろう。
と、まあこのへんがメモ。(なげーよ!)
証拠がない、証明する手段はない、しかも今のところ実在の人物ではないので、何でも言いたい放題。このテのジャンルは、いかに格好よく魅力的な空想の提案をするか、それによって多くの人を納得させるかがカギ。実在したアーサーのモデルを探す、なんてのは世界中でやっているし、その成果ははかばかしくない。それらしい人物が見つかっても伝説のイメージからはかけ離れたアレな人たちばかりなので、ファンからは全力で拒否されている。でも実在したとすれば、たぶん下っ端の兵士とか、せいぜい将軍止まり。だって当時はブリテン島全土を支配した”王”なんていなかったんだからさ。
ならばいっそのこと、作られた存在にしちゃったほうが話進むと思うんだよね。実在モデルはいないけど、理想とご都合主義を凝縮して創造された人物像とか。
トーマス・マロリーが強姦罪で投獄された騎士だったと知ったときも「そんな汚れた過去なら証拠抹消して”作者の経歴は不詳”だったほうが百倍マシなんじゃないか」とか思ったものだが、あまりにもショボい原型が判明するよりは、永遠に謎のままで空想させてくれることのほうを望む。まあ望まなくても、存在しない過去なら蘇ることもないんだけども。
※アーサー王の実在を証明する物的証拠がない
1.
この点においてアーサーは、ルーン石碑によって ”実在だけは” 証明できる北欧のサガの主人公たちとは事情が異なる。ルーン石碑は、ある人物が生きた時代の人、多くは息子が、その人物を記念して、あるいは死を悼んで建てるものだった。いわば墓標のようなものである。石碑はたいてい街道沿いなどの目立つ場所に建てられ、通り過がる人々に訴えかけるようになっていた。
だから、石碑を建てた人物と、石碑に刻まれた人物は必ず実在し、そこに刻まれた大まかな出来事には嘘はない。(町内会の掲示板に張り出された訃報のような扱いだったと想像すると分かりやすいかも)
2.
実在を証明したいという思いをもつ人々は過去に多く存在したようで、様々な遺物が「捏造」されている。
アーサー王の「墓」や名前の刻まれた「遺物」、過去に遡って書かれた歴史書などがそうだ。
しかしそのどれもが、アーサーを一人の人間、偉大な王として設定し、つまり伝説そのままの存在として過去に在ったとしている。あまりにも直球勝負すぎて作ったことがバレバレなのだ。喩えるなら、源義経がモンゴルに渡ってチンギス=ハンになったという伝説の証拠として、「源義経」と書かれた軍馬用の鞍をモンゴルから発掘してくるくらいわざとらしい。アーサー王にまつわるとされる遺跡も多すぎて、しかも名前のわりにショボイのが多いので、なんていうか寂れた地元の観光スポットみたいな扱いになってる。