DIE NIBELUNGEN(ニーベルンゲンの歌:無声映画版) とりあえず感想
前回の記事はこちら
結局その後DVDを購入。
2枚組で4時間オーバーの大長編。しかし最後まで飽きずに観られました。
素晴らしい出来映え、ややオーバーリアクションに見える部分も、台詞のない映画ではそのくらいの演技でこそ。
白黒映画ならではの光の使い方、陰影で描き出される力強い世界観。これはニベ歌好きは買っとくべき。原作もの映画でここまで作れる監督が今の世の中にどれほどいるのか・・・ いやいや。(ベーオウルフの映画化二種を思い出してちょっと凹んだのは内緒。)
おおまかなあらすじについては、前回エントリで引用したとおり。
そのうち詳細なレポ上げようかなと思うのですが、まず大ざっぱなところを。
筋書きについて、「エッダ」と「ヴォルスンガ・サガ」も混じってます。
序盤でジークフリートが作った剣がヒラヒラと舞い落ちる羽毛をすぱっと切り裂く部分などはヴォルスンガ・サガやシドレクス・サガで使われていたモチーフ。炎に囲まれたブルンヒルト(プリュンヒルト/ブリュンヒルト)の城やハーゲンが隻眼の老獪な戦士として描かれているところも、もしかしたらここかもしれない。
ニーベルンゲン族のこびとたちが「北の国の巨人の王に王冠を作っている」と話しているところや、こびとたちが石になってしまうところは、おそらくエッダからのモチーフ。ジークフリートの鍛冶修行、竜退治のエピソードなどもエッダからと思われます。
と、このように「ニーベルンゲンの歌」の内容だけではなく、周辺伝承も諸々詰め合わせてあるのですが、なのに一本筋が通っていてシナリオ構成がうまい。描きたいものを決めて、それに絞ってエピソードを削っていることや、各キャラクターをキャラ立ちした一人の人間として扱うために、矛盾する行動を思い切って捨てているところが巧くいっているのだと思います。
たとえばブルンヒルトは「雄々しく、野性的で、誇り高い北欧の女戦士」。彼女は終始、戦乙女として、また女王としての誇りを持ち続けるため、教会前でクリームヒルトと言い争いになっても、泣きません。 夫グンターに真偽を問い、自らが侮辱されたと感じると橋から身を投げて自害しようとします。
それが止められると、部屋に閉じこもり、「ジークフリートを殺せ。それが果たされるまで食べもしなければ飲みもしない!」と、壮絶な表情で叫ぶのです。どっちかというとヴォルスンガやエッダでの性格に近い。
逆にクリームヒルトは北欧神話的な荒々しさを全て失い、最初からたおやかで大人しい乙女として登場します。夫が殺された後の復讐はニーベルンゲンの歌のエピソードを綺麗になぞります。自ら武器を手にして戦うようなことはありません。
そして面白いことに、エッツェル王は「アッティラ」の名で登場し、設定は史実のフン族の王アッティラに近づけられています。キリスト教徒ではない蛮族にされるのみならず、フン族=匈奴のイメージ。えらいアフリカンなインテリアや衣装など、いろいろ間違えてますが、衣装も雰囲気も未開人ぽい格好にされ、武器はなぜかシミターとか(笑)
ニーベルンゲンの歌の、気が弱く優しい王ではなく、乱暴者で荒っぽい歴史上の掠奪者になっているのですが妻ラブで親バカです。なのでクリームヒルトの言うことに対してだけは軟弱な態度をとるというわけです。これでストーリー上のつじつまが合うからすごい。
他に、ブルンヒルト、クリームヒルトはともに自害するとか、フォルカーの死因がまさか矢のクリーンヒット…だとか、細かい点で原典から変更されている部分が、多々あります。
キャストの設定がニーベルンゲンから変更されている点としては、ゲールノートとギーゼルヘルがクリエムヒルトの弟ということくらい。他は、設定上は原典通りです。
最も大きな特徴は、歴代のエピソードが入っていながら、呪われた指輪が存在しないこと。
ニーベルンゲンの歌とも異なり、二人の王妃、ブルンヒルトとクリームヒルトの諍いの原因になったのは指輪ではなく「腕輪」。
しかも、それはニーベルンゲン族の宝とは関係ない。ジークフリートがブルンヒルトを組み敷く際に服のすそに紛れこんでいて、そのまま持ち帰ってしまったのを偶然クリームヒルトが見つけた。という展開。
そもそもこびとアルベリヒがニーベルンゲンの黄金に呪いをかけたのは、ジークフリートがアルベリヒを殺してしまったから。死に際にアルベリヒが呪いの言葉を発するのだが、呪いについての言及はストーリー上では出てこず、ブルグント一族の滅びの原因は、単に内輪の揉め事に起因するように見えます。
フリッツ・ラングはワーグナーの「ニーベルンクの指輪」も意識していたらしいのですが、神話的な要素を濃くしようとしたワーグナーに対し、逆に神話的な要素やエッダまで遡れる神話由来のエピソードは極力省こうとしていたように思えます。
長くなってしまいましたが、基本的な流れは原典に忠実、場面もドンピシャの再現(場合によっては写本の挿絵のまんまに作ってある)なのですが、よりシンプルな構造にして各キャラクターを浮き上がらせたものが、この映画。クリームヒルトが自殺をする以外はほぼ原典通りなので、なかなかに壮絶な終わり方です。"そして誰もいなくなった。" 見事にアッティラだけ生き残ります。
シナリオも映像も申し分のない出来でした。
個人的に少しだけ不満があるとすれば、…ディートリッヒたちアメルンゲン陣営の扱いが、えっらい中途半端だったところかな…。ハーゲンがかっこ良すぎてヒルデブラント師匠が微妙。ウォルフハルトとか出てこないし。あと鎧カッコ悪いよ!
シナリオをシンプルにする以上はしょうがなかったのかなあ…。
結局その後DVDを購入。
2枚組で4時間オーバーの大長編。しかし最後まで飽きずに観られました。
素晴らしい出来映え、ややオーバーリアクションに見える部分も、台詞のない映画ではそのくらいの演技でこそ。
白黒映画ならではの光の使い方、陰影で描き出される力強い世界観。これはニベ歌好きは買っとくべき。原作もの映画でここまで作れる監督が今の世の中にどれほどいるのか・・・ いやいや。(ベーオウルフの映画化二種を思い出してちょっと凹んだのは内緒。)
おおまかなあらすじについては、前回エントリで引用したとおり。
そのうち詳細なレポ上げようかなと思うのですが、まず大ざっぱなところを。
筋書きについて、「エッダ」と「ヴォルスンガ・サガ」も混じってます。
序盤でジークフリートが作った剣がヒラヒラと舞い落ちる羽毛をすぱっと切り裂く部分などはヴォルスンガ・サガやシドレクス・サガで使われていたモチーフ。炎に囲まれたブルンヒルト(プリュンヒルト/ブリュンヒルト)の城やハーゲンが隻眼の老獪な戦士として描かれているところも、もしかしたらここかもしれない。
ニーベルンゲン族のこびとたちが「北の国の巨人の王に王冠を作っている」と話しているところや、こびとたちが石になってしまうところは、おそらくエッダからのモチーフ。ジークフリートの鍛冶修行、竜退治のエピソードなどもエッダからと思われます。
と、このように「ニーベルンゲンの歌」の内容だけではなく、周辺伝承も諸々詰め合わせてあるのですが、なのに一本筋が通っていてシナリオ構成がうまい。描きたいものを決めて、それに絞ってエピソードを削っていることや、各キャラクターをキャラ立ちした一人の人間として扱うために、矛盾する行動を思い切って捨てているところが巧くいっているのだと思います。
たとえばブルンヒルトは「雄々しく、野性的で、誇り高い北欧の女戦士」。彼女は終始、戦乙女として、また女王としての誇りを持ち続けるため、教会前でクリームヒルトと言い争いになっても、泣きません。 夫グンターに真偽を問い、自らが侮辱されたと感じると橋から身を投げて自害しようとします。
それが止められると、部屋に閉じこもり、「ジークフリートを殺せ。それが果たされるまで食べもしなければ飲みもしない!」と、壮絶な表情で叫ぶのです。どっちかというとヴォルスンガやエッダでの性格に近い。
逆にクリームヒルトは北欧神話的な荒々しさを全て失い、最初からたおやかで大人しい乙女として登場します。夫が殺された後の復讐はニーベルンゲンの歌のエピソードを綺麗になぞります。自ら武器を手にして戦うようなことはありません。
そして面白いことに、エッツェル王は「アッティラ」の名で登場し、設定は史実のフン族の王アッティラに近づけられています。キリスト教徒ではない蛮族にされるのみならず、フン族=匈奴のイメージ。えらいアフリカンなインテリアや衣装など、いろいろ間違えてますが、衣装も雰囲気も未開人ぽい格好にされ、武器はなぜかシミターとか(笑)
ニーベルンゲンの歌の、気が弱く優しい王ではなく、乱暴者で荒っぽい歴史上の掠奪者になっているのですが妻ラブで親バカです。なのでクリームヒルトの言うことに対してだけは軟弱な態度をとるというわけです。これでストーリー上のつじつまが合うからすごい。
他に、ブルンヒルト、クリームヒルトはともに自害するとか、フォルカーの死因がまさか矢のクリーンヒット…だとか、細かい点で原典から変更されている部分が、多々あります。
キャストの設定がニーベルンゲンから変更されている点としては、ゲールノートとギーゼルヘルがクリエムヒルトの弟ということくらい。他は、設定上は原典通りです。
最も大きな特徴は、歴代のエピソードが入っていながら、呪われた指輪が存在しないこと。
ニーベルンゲンの歌とも異なり、二人の王妃、ブルンヒルトとクリームヒルトの諍いの原因になったのは指輪ではなく「腕輪」。
しかも、それはニーベルンゲン族の宝とは関係ない。ジークフリートがブルンヒルトを組み敷く際に服のすそに紛れこんでいて、そのまま持ち帰ってしまったのを偶然クリームヒルトが見つけた。という展開。
そもそもこびとアルベリヒがニーベルンゲンの黄金に呪いをかけたのは、ジークフリートがアルベリヒを殺してしまったから。死に際にアルベリヒが呪いの言葉を発するのだが、呪いについての言及はストーリー上では出てこず、ブルグント一族の滅びの原因は、単に内輪の揉め事に起因するように見えます。
フリッツ・ラングはワーグナーの「ニーベルンクの指輪」も意識していたらしいのですが、神話的な要素を濃くしようとしたワーグナーに対し、逆に神話的な要素やエッダまで遡れる神話由来のエピソードは極力省こうとしていたように思えます。
長くなってしまいましたが、基本的な流れは原典に忠実、場面もドンピシャの再現(場合によっては写本の挿絵のまんまに作ってある)なのですが、よりシンプルな構造にして各キャラクターを浮き上がらせたものが、この映画。クリームヒルトが自殺をする以外はほぼ原典通りなので、なかなかに壮絶な終わり方です。"そして誰もいなくなった。" 見事にアッティラだけ生き残ります。
シナリオも映像も申し分のない出来でした。
個人的に少しだけ不満があるとすれば、…ディートリッヒたちアメルンゲン陣営の扱いが、えっらい中途半端だったところかな…。ハーゲンがかっこ良すぎてヒルデブラント師匠が微妙。ウォルフハルトとか出てこないし。あと鎧カッコ悪いよ!
シナリオをシンプルにする以上はしょうがなかったのかなあ…。