ストーンヘンジを作った人々、その目的
ストーンヘンジといえば、イギリスで最大の遺跡見所。
郊外にあるためロンドンからはバスツアーで半日または一日かけて訪れることになる。
が、… 正直この遺跡はショボイことを知っているので敢えて観光コースに入れようとは思っていない。
フェンスが張られていて遠くからしか見られないしなー。こいつを見に行くくらいなら、ブリテン島全土に点在する、マイナーで保護フェンスもないようなストーンサークルやドルメンを見て周ったほうが良かろう。
そんな自分の中ではあまり好みではない遺跡:ストーンヘンジ、おいらが子供の頃には「謎の巨石遺跡!」「レイラインを集約する装置か?!」なんて言われてさんざんミステリーを連呼されていたものだが、どうやら、作った人々と作られた時代は、ほぼ特定されていたらしい。
それも、ここ10年くらいの本当に最近に。
「ストーンヘンジの内側を掘ろうとした人は大勢いたけれど
外側を掘ってみようと思った人は、誰もいなかった。
馬鹿げてると思われるかもしれないけどね」
つまりストーンヘンジの外側を掘ってみたら、そこにヘンジを作った人々の住居跡が、もさっとでてきたというわけ。
エジプトのピラミッドも、周囲を掘ってみたらピラミッド作った人々の住居跡が町となって出てきたが、それと似たような状況らしい。
ナショジオの2時間スペシャルからキャプチャした再現画像だと↓こんな感じ。
判明した建造年代は、今から4500年前。紀元前2500年、新石器時代。
…つまり作ったのはケルト人じゃない。 ケルト人は青銅器時代にヨーロッパ全土に移住を開始した。ブリテン島にいつ来たかははっきりしていないものの、島へ移住したなら青銅器を持って来たはずだ。
ケルト復興運動でストーンヘンジを使うのは実は間違いなのだ。
(※ただし、石器時代に作られたストーンヘンジをドルイドが再利用して、本来想定されていたのはとは別の儀式を行っていたという説はある)
ストーンヘンジを作った人々は、ヘンジ周辺にずっと住み続けていたわけではなさそうだ。住居跡から見つかる生活の痕跡と、墓の少なさから推測されるのは、以下のような内容だという。
●夏至、冬至など一年のうち特別な祭りの日にヘンジ周辺にやってきて、一定期間そこで暮らした
ストーンヘンジが民族の祭りの場であり、集合地点だったという考え方。
ストーンヘンジは単体で存在する遺跡ではなく、実は取り囲むようにして存在する「カーサス」と呼ばれる道状の遺跡のほうが重要だったりする。カーサスは死者と生者の世界を分ける大通りだとされていて、ストーンヘンジほか石器時代の遺跡群が葬祭のために使われたという説を強化する根拠になっている。
●ストーンヘンジ周辺に埋められているのは身分の高い人たちだけ
石器時代は基本的に火葬だったため、一般人の遺灰は、ヘンジ付近を流れるエイヴォン川に流されたのではないかという。また、「空葬」という、遺体を吹きさらしの台の上に晒して自然に白骨化させる葬儀に使われたと思われる跡も付近に見つかったとか。鳥に肉を食べさせる「鳥葬」ともちょっと違う、不思議な葬儀方法だ。
発掘結果は一つでも、そこから導き出される”ストーリー”は解釈する人によって異なるため、どう考えるのが一番正しいのかは、まだ議論の真っ最中だろう。また、時代ごとに、ストーンヘンジを使って行われた儀式や使用目的が異なっていた可能性もある。
ただ確実なのは、石器時代の終焉とともに、こうした巨石遺跡は作られなくなったこと… 金属器の登場とともに、ストーンヘンジを作った人々の生活は、大きく変わってしまったのだ。
金属器を作る技術の到来は、古代世界に大きなパライダイムシフトをもたらす。
生活が一変し、価値観も転換する。それはあまりに大きすぎる時代の変化だ。それまで従うことしか出来なかった自然の法則を、人の手によって変えることが出来てしまうのだと知った驚きは、いかほどだっただろうか。
「永遠と思われた石が溶けて金属に変化するのなら、
一体何が永遠なるものだろう。
そもそも、永遠とはこの自然界に存在するものなのだろうか?」
古代人もそのような疑問を持ったかもしれない。
多大な労力を払って建造されていた巨石遺跡群が作られなくなった理由を、ある学者はこのように推測している。
”石器時代が終わり、もはや石が、人々にとって生活の中心ではなくなったからだ”
これは今まで自分が見てきた説の中で、ストーンヘンジの時代の終わりを告げるのに最も美しい一言であった。
***************
検索していたらストーンヘンジが何のために作られたかほぼ判明かという記事があったのだけれど、何かえらく中途半端な印象を受けた。
ストーンヘンジがそこに建てられてから今までの、何時の時代/どのくらいの期間.、癒しの目的で使われていたのかが考慮されていないし、それは他の、ストーンヘンジと同じ青い石で作られた遺跡にも適用される目的なのかどうかも述べられていない。
ただの癒し目的のために、労力のかかる巨石遺跡は作らんと思うんだがな…。
石が象徴するものは古代エジプト人が求めたのと同じ「永遠」、そう考えるほうが私にはしっくり来るぞな。
<またチラ裏>
イギリス(UK)にはケルト復興運動という七面倒くさいものがある。
中世には既にうしなわれていた古代ケルトのアイデンティティを「復興」しようというもので、自称ケルト人の子孫が、イギリスはもともと俺らの国だから的な主張をしたり、ストーンヘンジはドルイドのものだから俺らに返してくれと言い張って政府の許可をもらって儀式を行っていたり。そんな流れもあって、古代ブリテン島の歴史を中立的に語る資料を探すのは以外と難しい。他人事だと冷静に語れる考古学者も、自国の話はけっこうバイアスかかってたりする。(笑)
今のUKは、ケルト人の後から移住してきたアングロ・サクソン人(ゲルマン系)の国なので、ケルトの継承者を主張するウェールズの人々なんかは、元々は俺らの島、お前らは侵略者だろ?! という感覚もある模様。
そもそもケルト人だって、せいぜい紀元前7世紀とか6世紀とかそのへんに移住しただろ… というツッコミは禁句。
ちなみにスコットランド・ケルトとアイルランド・ケルトも仲が悪かったり、ウェールズはウェールズで俺らのドラゴンは世界イチィィィを主張するけど他はどうでも良かったり、同じケルトでも纏まりがない印象。
…イングランドの民族問題は、なかなかデリケートなようだ。
郊外にあるためロンドンからはバスツアーで半日または一日かけて訪れることになる。
が、… 正直この遺跡はショボイことを知っているので敢えて観光コースに入れようとは思っていない。
フェンスが張られていて遠くからしか見られないしなー。こいつを見に行くくらいなら、ブリテン島全土に点在する、マイナーで保護フェンスもないようなストーンサークルやドルメンを見て周ったほうが良かろう。
そんな自分の中ではあまり好みではない遺跡:ストーンヘンジ、おいらが子供の頃には「謎の巨石遺跡!」「レイラインを集約する装置か?!」なんて言われてさんざんミステリーを連呼されていたものだが、どうやら、作った人々と作られた時代は、ほぼ特定されていたらしい。
それも、ここ10年くらいの本当に最近に。
「ストーンヘンジの内側を掘ろうとした人は大勢いたけれど
外側を掘ってみようと思った人は、誰もいなかった。
馬鹿げてると思われるかもしれないけどね」
つまりストーンヘンジの外側を掘ってみたら、そこにヘンジを作った人々の住居跡が、もさっとでてきたというわけ。
エジプトのピラミッドも、周囲を掘ってみたらピラミッド作った人々の住居跡が町となって出てきたが、それと似たような状況らしい。
ナショジオの2時間スペシャルからキャプチャした再現画像だと↓こんな感じ。
判明した建造年代は、今から4500年前。紀元前2500年、新石器時代。
…つまり作ったのはケルト人じゃない。 ケルト人は青銅器時代にヨーロッパ全土に移住を開始した。ブリテン島にいつ来たかははっきりしていないものの、島へ移住したなら青銅器を持って来たはずだ。
ケルト復興運動でストーンヘンジを使うのは実は間違いなのだ。
(※ただし、石器時代に作られたストーンヘンジをドルイドが再利用して、本来想定されていたのはとは別の儀式を行っていたという説はある)
ストーンヘンジを作った人々は、ヘンジ周辺にずっと住み続けていたわけではなさそうだ。住居跡から見つかる生活の痕跡と、墓の少なさから推測されるのは、以下のような内容だという。
●夏至、冬至など一年のうち特別な祭りの日にヘンジ周辺にやってきて、一定期間そこで暮らした
ストーンヘンジが民族の祭りの場であり、集合地点だったという考え方。
ストーンヘンジは単体で存在する遺跡ではなく、実は取り囲むようにして存在する「カーサス」と呼ばれる道状の遺跡のほうが重要だったりする。カーサスは死者と生者の世界を分ける大通りだとされていて、ストーンヘンジほか石器時代の遺跡群が葬祭のために使われたという説を強化する根拠になっている。
●ストーンヘンジ周辺に埋められているのは身分の高い人たちだけ
石器時代は基本的に火葬だったため、一般人の遺灰は、ヘンジ付近を流れるエイヴォン川に流されたのではないかという。また、「空葬」という、遺体を吹きさらしの台の上に晒して自然に白骨化させる葬儀に使われたと思われる跡も付近に見つかったとか。鳥に肉を食べさせる「鳥葬」ともちょっと違う、不思議な葬儀方法だ。
発掘結果は一つでも、そこから導き出される”ストーリー”は解釈する人によって異なるため、どう考えるのが一番正しいのかは、まだ議論の真っ最中だろう。また、時代ごとに、ストーンヘンジを使って行われた儀式や使用目的が異なっていた可能性もある。
ただ確実なのは、石器時代の終焉とともに、こうした巨石遺跡は作られなくなったこと… 金属器の登場とともに、ストーンヘンジを作った人々の生活は、大きく変わってしまったのだ。
金属器を作る技術の到来は、古代世界に大きなパライダイムシフトをもたらす。
生活が一変し、価値観も転換する。それはあまりに大きすぎる時代の変化だ。それまで従うことしか出来なかった自然の法則を、人の手によって変えることが出来てしまうのだと知った驚きは、いかほどだっただろうか。
「永遠と思われた石が溶けて金属に変化するのなら、
一体何が永遠なるものだろう。
そもそも、永遠とはこの自然界に存在するものなのだろうか?」
古代人もそのような疑問を持ったかもしれない。
多大な労力を払って建造されていた巨石遺跡群が作られなくなった理由を、ある学者はこのように推測している。
”石器時代が終わり、もはや石が、人々にとって生活の中心ではなくなったからだ”
これは今まで自分が見てきた説の中で、ストーンヘンジの時代の終わりを告げるのに最も美しい一言であった。
***************
検索していたらストーンヘンジが何のために作られたかほぼ判明かという記事があったのだけれど、何かえらく中途半端な印象を受けた。
ストーンヘンジがそこに建てられてから今までの、何時の時代/どのくらいの期間.、癒しの目的で使われていたのかが考慮されていないし、それは他の、ストーンヘンジと同じ青い石で作られた遺跡にも適用される目的なのかどうかも述べられていない。
ただの癒し目的のために、労力のかかる巨石遺跡は作らんと思うんだがな…。
石が象徴するものは古代エジプト人が求めたのと同じ「永遠」、そう考えるほうが私にはしっくり来るぞな。
<またチラ裏>
イギリス(UK)にはケルト復興運動という七面倒くさいものがある。
中世には既にうしなわれていた古代ケルトのアイデンティティを「復興」しようというもので、自称ケルト人の子孫が、イギリスはもともと俺らの国だから的な主張をしたり、ストーンヘンジはドルイドのものだから俺らに返してくれと言い張って政府の許可をもらって儀式を行っていたり。そんな流れもあって、古代ブリテン島の歴史を中立的に語る資料を探すのは以外と難しい。他人事だと冷静に語れる考古学者も、自国の話はけっこうバイアスかかってたりする。(笑)
今のUKは、ケルト人の後から移住してきたアングロ・サクソン人(ゲルマン系)の国なので、ケルトの継承者を主張するウェールズの人々なんかは、元々は俺らの島、お前らは侵略者だろ?! という感覚もある模様。
そもそもケルト人だって、せいぜい紀元前7世紀とか6世紀とかそのへんに移住しただろ… というツッコミは禁句。
ちなみにスコットランド・ケルトとアイルランド・ケルトも仲が悪かったり、ウェールズはウェールズで俺らのドラゴンは世界イチィィィを主張するけど他はどうでも良かったり、同じケルトでも纏まりがない印象。
…イングランドの民族問題は、なかなかデリケートなようだ。

