大英博物館とウォーリス・バッジ ~エジプトコレクションを運んだ男
大英博物館に行くんならバッジをおさらいしていかなきゃ!
と、いうわけでそんな理由で「ウォーリス・バッジ伝」を手に入れてきた。そう新しい本ではない。著者は酒井傳六氏、「またか」と言われそうだがとにかくカヴァー範囲の広い、多筆な「エジプトマニアの先人」である。
簡単に説明しておこう。
ウォーリス・バッジ(1857-1934)は、大英博物館の古代エジプトコレクションの大半をエジプトから運んだ人物である。有名な「アニのパピルス」や「アマルナ文書」を大英博物館へもたらしたのも、この人だ。
彼は、膨大な量の遺物を、現地で安く買い付け、当局をうまく誤魔化して本国に送った。現在の大英博物館の大いなる財産は、このようにして築かれた。
つまりバッジの行動をなぞるということは、いま大英が所有するコレクションが、そこに展示されるに至った経緯を知ることを意味している。
さてこの本、決して薄くは無い。
バッジの私生活や生い立ちに関する週刊誌的な突っ込みがやや行き過ぎているきらいはさておき、バッジが私生児として生まれたこと、自分や家族についての記録をあまり残さなかったことは事実のようである。苦学生から学者へ、学者となってからの興味。とくにバッジの生きていた時代は、現在エジプト考古学史をなぞるうえで必ず通る重要な人物の多くが同時に生きていた時代でもある。ガストン・マスペロ、フリンダース・ピートリ、シュリーマンやマリエット、アメリア・ジョーンズ、他にはスエズ運河に尽力したレセップスなどもこの時代だ。(スエズ運河は1869年に完成した。)
バッジの生涯をなぞりながら、古代エジプト学の黎明期の歴史もなぞっているような本なのだ。
面白いなと思ったのは、バッジが学生時代にお世話になっていたイングランド首相の名前が、グラッドストーンだってこと。
ファンタジー小説「バーティミアス」シリーズの、偉大な魔法使いたるイングランド首相の名前もグラッドストーン。悪魔バーティミアスがエジプトに深いかかわりを持っていたことと考え合わせると、…なるほど、なるほど。グラッドストーンの杖はエジプトの王杓が元のイメージか。とか、一人でニヤニヤしてしまう。
いや、読んだことない人には分からないんだと思うけど。頑張って全三巻分2000ページほど読めば、最後で何かが弾けるから読むといいよ!
閑話休題。
この本を読んでみて、バッジの行為は必ずしも「最悪」ではなかった、ということを再認識した。
バッジは二束三文で貴重なエジプトの遺産を買いあさり、エジプト当局を騙し、時には買収して本国に送り続けた。盗人、卑怯者と呼ばれても仕方が無いのはわかる。
しかし、バッジの見た当時のエジプトの博物館は、それは酷い有様だったという。
当時はまだカイロ考古学博物館は存在しない。ブーラク(ブーラーク/ブラーク)博物館という、その前身にあたる施設で遺物が保管されていた。
この時代、古代の遺産は国王の個人所有物、のような扱いを受けていた。また学術的な研究もほとんど行われず、目録すら存在しない有様だった。ワイロが横行し、遺物の国外持ち出しは表向きは禁止されていたものの、金さえ積めばその法律は簡単に破られた。放置すれば、コレクターに売り飛ばされるなどして永遠に行方がわからなくなる可能性もある。バッジにとっては、設備の整った本国の大英博物館に収めることが「遺物のためになる」という確信があっただろうし、それがエジプトのためになるとすら考えたかもしれない。
バッジがエジプトを訪れた頃には、先進国による「盗難・盗掘」は、遺物からすれば、恵まれた運命だったのかもしれない。(それによって確実に後世に伝えられる可能性が高まるのだから)
何をもって正義と成すか、何が最も妥当な行動か。
その判断は、その時代、その時の状況によって違うものである。
絶対的な正義はあり得ない。人は、己の生きている時間の中でしか、それを判断出来ないのだから。
10年前、はじめてエジプトの地を訪れたとき、エジプトの過去の遺産の取り扱い方にはひどく失望させられた。落書きだらけのピラミッド、ほこりまみれの博物館。ワイロさえもらえれば、撮影禁止の場所でもカメラを構えていいよと言い出す警備員。それはどーよと思ったものだ。そんなに適当な管理しか出来ないなら、イギリスでもフランスでも、設備の整った国に貴重なものは預けておいたほうがよかろう。
バッジもそんなことを考えたのではないだろうか。
彼が大英博物館のために買い入れた品物は、夥しい種類と数になる。それを可能にしたのは、イングランド軍によるエジプト占領である。他国の占領が正しいか間違っているかの問題はともかく、大英博物館のコレクションが、「列強国が弱小国から軍事力をもって奪い取った」と非難されるのは、間違いではない。
だがもしも、その支配が存在しなかったなら?
美しい古代の装飾品は売り飛ばされ、ミイラは砕かれて肥料にでもされ、墓石は転用されて家に使われ、パピルスは風化してしまったのではないか。
歴史のある一点だけを切り出して、善だ悪だと論じるのは間違いの元のように思う。
また、結果だけを見て"結果的に良かったのだから"と罪を帳消しにして良いものではない。
少なくとも私には、バッジの行動を全面的には批判出来ない。彼によって守られたものも確かにある。同じ時代、同じような立場にいたなら、おそらく私も手加減なしに遺物を買い集め、容赦なく国外へ持ち出していただろう。
ただし現在、エジプト自身が過去の遺物を自らの財産として管理することを希望し、そのための設備も整えようとしている今となっては―― バッジの行動は非難されるべきものである、ただ、それだけだ。
文庫本で再版しないかね。今なら売れる気がするよ。
と、いうわけでそんな理由で「ウォーリス・バッジ伝」を手に入れてきた。そう新しい本ではない。著者は酒井傳六氏、「またか」と言われそうだがとにかくカヴァー範囲の広い、多筆な「エジプトマニアの先人」である。
簡単に説明しておこう。
ウォーリス・バッジ(1857-1934)は、大英博物館の古代エジプトコレクションの大半をエジプトから運んだ人物である。有名な「アニのパピルス」や「アマルナ文書」を大英博物館へもたらしたのも、この人だ。
彼は、膨大な量の遺物を、現地で安く買い付け、当局をうまく誤魔化して本国に送った。現在の大英博物館の大いなる財産は、このようにして築かれた。
つまりバッジの行動をなぞるということは、いま大英が所有するコレクションが、そこに展示されるに至った経緯を知ることを意味している。
さてこの本、決して薄くは無い。
バッジの私生活や生い立ちに関する週刊誌的な突っ込みがやや行き過ぎているきらいはさておき、バッジが私生児として生まれたこと、自分や家族についての記録をあまり残さなかったことは事実のようである。苦学生から学者へ、学者となってからの興味。とくにバッジの生きていた時代は、現在エジプト考古学史をなぞるうえで必ず通る重要な人物の多くが同時に生きていた時代でもある。ガストン・マスペロ、フリンダース・ピートリ、シュリーマンやマリエット、アメリア・ジョーンズ、他にはスエズ運河に尽力したレセップスなどもこの時代だ。(スエズ運河は1869年に完成した。)
バッジの生涯をなぞりながら、古代エジプト学の黎明期の歴史もなぞっているような本なのだ。
面白いなと思ったのは、バッジが学生時代にお世話になっていたイングランド首相の名前が、グラッドストーンだってこと。
ファンタジー小説「バーティミアス」シリーズの、偉大な魔法使いたるイングランド首相の名前もグラッドストーン。悪魔バーティミアスがエジプトに深いかかわりを持っていたことと考え合わせると、…なるほど、なるほど。グラッドストーンの杖はエジプトの王杓が元のイメージか。とか、一人でニヤニヤしてしまう。
いや、読んだことない人には分からないんだと思うけど。頑張って全三巻分2000ページほど読めば、最後で何かが弾けるから読むといいよ!
閑話休題。
この本を読んでみて、バッジの行為は必ずしも「最悪」ではなかった、ということを再認識した。
バッジは二束三文で貴重なエジプトの遺産を買いあさり、エジプト当局を騙し、時には買収して本国に送り続けた。盗人、卑怯者と呼ばれても仕方が無いのはわかる。
しかし、バッジの見た当時のエジプトの博物館は、それは酷い有様だったという。
当時はまだカイロ考古学博物館は存在しない。ブーラク(ブーラーク/ブラーク)博物館という、その前身にあたる施設で遺物が保管されていた。
大英博物館の職員であり、エジプト学者であるバッジが、ブーラク博物館を訪ねるのは当然であった。十万点以上の所蔵品を持つ今日のカイロ博物館と違って、1886年のブーラク博物館の所蔵品は数千点というレヴェルにあった。しかも、展示スペースが十分でないため、展示されている点数は少なかった。未展示のものは倉庫にあったが、そこには木棺、ミイラ、副葬品、小型の品々が無雑作に積みあげられていた。
彼は博物館の貧弱さに驚いた。ミイラはみすぼらしい松材のケースに裸のままおさめてあり、ケースのガラスは黄色い最低の質のものであった。蓋はちぢんでいて、どれ一つぴったりとはまっているものはなかった。枠のちぢみのために、ガラスがこわれているというのもあった。館の壁面はナイルの水分で湿り、ナイルの朝霧はいつも館内に流れこんで陳列ケースにたまり、ケースの内部に流れおちていた。通路もまたこの朝霧のために湿っていた。遺物保存の場として、条件は悪かった。
この時代、古代の遺産は国王の個人所有物、のような扱いを受けていた。また学術的な研究もほとんど行われず、目録すら存在しない有様だった。ワイロが横行し、遺物の国外持ち出しは表向きは禁止されていたものの、金さえ積めばその法律は簡単に破られた。放置すれば、コレクターに売り飛ばされるなどして永遠に行方がわからなくなる可能性もある。バッジにとっては、設備の整った本国の大英博物館に収めることが「遺物のためになる」という確信があっただろうし、それがエジプトのためになるとすら考えたかもしれない。
バッジがエジプトを訪れた頃には、先進国による「盗難・盗掘」は、遺物からすれば、恵まれた運命だったのかもしれない。(それによって確実に後世に伝えられる可能性が高まるのだから)
何をもって正義と成すか、何が最も妥当な行動か。
その判断は、その時代、その時の状況によって違うものである。
絶対的な正義はあり得ない。人は、己の生きている時間の中でしか、それを判断出来ないのだから。
10年前、はじめてエジプトの地を訪れたとき、エジプトの過去の遺産の取り扱い方にはひどく失望させられた。落書きだらけのピラミッド、ほこりまみれの博物館。ワイロさえもらえれば、撮影禁止の場所でもカメラを構えていいよと言い出す警備員。それはどーよと思ったものだ。そんなに適当な管理しか出来ないなら、イギリスでもフランスでも、設備の整った国に貴重なものは預けておいたほうがよかろう。
バッジもそんなことを考えたのではないだろうか。
彼が大英博物館のために買い入れた品物は、夥しい種類と数になる。それを可能にしたのは、イングランド軍によるエジプト占領である。他国の占領が正しいか間違っているかの問題はともかく、大英博物館のコレクションが、「列強国が弱小国から軍事力をもって奪い取った」と非難されるのは、間違いではない。
だがもしも、その支配が存在しなかったなら?
美しい古代の装飾品は売り飛ばされ、ミイラは砕かれて肥料にでもされ、墓石は転用されて家に使われ、パピルスは風化してしまったのではないか。
歴史のある一点だけを切り出して、善だ悪だと論じるのは間違いの元のように思う。
また、結果だけを見て"結果的に良かったのだから"と罪を帳消しにして良いものではない。
少なくとも私には、バッジの行動を全面的には批判出来ない。彼によって守られたものも確かにある。同じ時代、同じような立場にいたなら、おそらく私も手加減なしに遺物を買い集め、容赦なく国外へ持ち出していただろう。
ただし現在、エジプト自身が過去の遺物を自らの財産として管理することを希望し、そのための設備も整えようとしている今となっては―― バッジの行動は非難されるべきものである、ただ、それだけだ。
文庫本で再版しないかね。今なら売れる気がするよ。
