史実元ネタから完全なる空想へ ~悲劇的物語の起源と変化
最近、冒険クエストをやり始めた大航海プレイヤーの人に言われた。
「昔の話って悲劇が多いよね」
そう、悲劇的な話が多い。実は、それは偶然ではない。
悲劇的な話には、ほぼ例外なく、元ネタとして実際に起こった出来事がある。
まず一つには、悲しい出来事のほうが人の記憶に残りやすいということがあるだろう。
ニンゲンの記憶は悪いことをより鮮明に記憶し、繰り返し想起させる機能がある。(これが暴走するとPTSDとかになる)
実際に起きた何がしかの出来事が、悲劇として長く語り継がれ、人から人へ伝言されるうち、やがて脚色が加えられ、物語へと変化したものが、現在まで残っている「昔の悲劇」というやつなのだ。
例として、大航海冒険クエストの元ネタとして使われている悲劇的な結末を迎える物語(有名どころばかりだが)の元ネタとなった史実を挙げてみる。
「アーサー王の死」
元ネタとなる出来事が起きたのは、5世紀ごろ。
アーサー王が実在したかどうかはともかく、ローマ撤退後のブリテン島の暗黒時代は実在した。
ほとんど記録のない暗黒時代に元ネタとなる史実がおきているため、実際はどんな出来事があったのかの復元が難しいが、当時ブリテン人が何らかの敗戦を体験したのは確かと思われる。
物語はイングランドとフランス双方で人気があったため、ケルト神話だけでなくフランス文学の要素も取り込んで複雑化し、登場人物も架空と史実が入り混じる。
「ニーベルンゲンの歌」
元ネタとなる出来事が起きたのは、5世紀ごろ。
フン族侵入によるブルグント族の滅亡が元ネタ。
ただし、「ニーベルンゲンの歌」が書かれたのは12世紀ごろなので、物語として洗練された形をとるまでの間に、北欧神話のエピソードやシドレク王のサガなど、多数の物語を取り込んで複雑な形に変化している。
「ローランの歌」
元ネタとなる出来事が起きたのは、8世紀ごろ。
物語の舞台となっているピレネー山脈のロンスヴァルでの戦闘が元ネタ。
ローランは史実ではシャルルマーニュの血縁者ではなく、辛うじて名前が残っている部隊長という程度だが、物語上は様々な設定が付け加えられている。
「エル・シードの歌」
元ネタとなる出来事が起きたのは、11世紀ごろ。
レコンキスタのさなか、カスティーリャに実在した騎士がモデル。
物語として書かれたのは12世紀ごろ。
元ネタになった人物が存在した時代と物語化された時代が近いため、脚色は比較的少ない。
ほかにも、「ハムレット」には ”デンマーク人の事蹟”(宣教師が書いた、神話を含むデンマークの歴史書、と思いねぇ) にアムレートという名前で登場するモデルがいて ”アムレートのサガ” というものが存在する、とか、悲劇と呼ばれる物語には史実から発展したものが少なくない。
しかし、「悲劇のほうが記憶に残りやすい」というだけではないだろう。
もう一つの要素は、やはり、悲劇的な物語のほうが人に好まれた…ということがあると思う。
上に挙げたような物語の流布に関係したのは、旅をする職業詩人(口伝として物語を伝える)の存在だ。元ネタとなる出来事が起きてから、文字として書き留められるまでに何世紀もの隔たりがあるものは、その間に、詩人たちが口伝として物語を変化させながら伝えていた期間があると思ってほしい。詩人たちは人々に物語を語るうえで、人気のあった作品を残していっただろうし、聞き手の反応を見てストーリーを臨機応変に変化させていっただろう。その中でも、文字として書きとめられ、現在まで残るに至ったものは、特別人気のあったごく一部だけと思っていい。
時代ごとの好みの差というものもある。
本という情報を記録する媒体が出来ると、物語を生身で記憶する吟遊詩人という職業は需要が減っていく。さらに、識字率が上がり、印刷技術が出来たことにより本の値段が下がると、古来から伝えられた物語は王や貴族といった特権階級だけのものではなくなって、一般大衆にも広まりはじめる。大衆は、メンドクサイ設定やしがらみは求めない。楽天的で分かりやすい物語を求め、結果的に設定の多くをバッサリ切り捨てることが多かった。たとえば「アーサー王の死」を、単純に「カッコいい王様アーサーと強い騎士の仲間たちによる勧善懲悪な痛快アクションバラエティー」とかにしちゃう感じ(笑)
二次創作は、何も現代人の特権ではない…。
面白いのは、それら完全な二次創作も、時には「歴史」として扱われたことだ。
ある時期まで、「歴史」と「物語」は完全に区別されていなかった。現代でこそ我々は「歴史は客観的に見るべきだ」という概念を持っているが、かつて歴史とは単に「起きた出来事を再生したもの」でしかなく、再生の過程でノイズがまじることは意識されなかった。
つまり、「悲劇的な古い物語」は、史実の悲劇を根底にしつつ作られた創作であるとともに、それが語られた最初の時代においては「本当に起きた出来事」として広く認識されていたことになる。
現代人である我々は、そんなことはしない。昔話は、多少の史実を含んでいても、歴史ではなく「架空の物語」だと認識するはずだ。史実と物語は分離された。フィクションはフィクション、である。
しかし、そのフィクションの中には、「古い物語」から多くのモチーフが転用されている。たとえばファンタジー小説なんかは、よく出てくるモチーフの元を辿ればほぼ間違いなく西洋古典に辿りつく。魔法も不思議も、何百年も前の人々が真実と信じた人気の物語の中で既に語られている。歴史と物語は、単に守備範囲を変えただけなのだ。
長くなってしまったが、結論をまとめると、こうなる。
昔の悲しい物語は、実際に起きた悲劇的な事件を起源として作られたものが多い。
そして、それが真実と信じられたために、長らく伝わってきた。
現代では歴史と物語は分離され、出来事は出来事として、それ以上発展しない。大きな出来事があれば、出来事を元にした物語は作られるが、それはあくまで創作と認識されるので、後世に残るほど広まることがない。だから現代の人気ストーリーの中では悲劇的な物語ばかりが目立つことはない。
…こんなところかな。
*歴史と神話の区別もなかったので、神様が歴史の中に組み込まれているケースも多い
*元ネタとなる出来事を発展させるとき、別の時代の出来事もドッキングさせることもある
*物語の発展と流布の経路は、個々に詳しく見ていくと本が一冊書けると思うよ…
「昔の話って悲劇が多いよね」
そう、悲劇的な話が多い。実は、それは偶然ではない。
悲劇的な話には、ほぼ例外なく、元ネタとして実際に起こった出来事がある。
まず一つには、悲しい出来事のほうが人の記憶に残りやすいということがあるだろう。
ニンゲンの記憶は悪いことをより鮮明に記憶し、繰り返し想起させる機能がある。(これが暴走するとPTSDとかになる)
実際に起きた何がしかの出来事が、悲劇として長く語り継がれ、人から人へ伝言されるうち、やがて脚色が加えられ、物語へと変化したものが、現在まで残っている「昔の悲劇」というやつなのだ。
例として、大航海冒険クエストの元ネタとして使われている悲劇的な結末を迎える物語(有名どころばかりだが)の元ネタとなった史実を挙げてみる。
「アーサー王の死」
元ネタとなる出来事が起きたのは、5世紀ごろ。
アーサー王が実在したかどうかはともかく、ローマ撤退後のブリテン島の暗黒時代は実在した。
ほとんど記録のない暗黒時代に元ネタとなる史実がおきているため、実際はどんな出来事があったのかの復元が難しいが、当時ブリテン人が何らかの敗戦を体験したのは確かと思われる。
物語はイングランドとフランス双方で人気があったため、ケルト神話だけでなくフランス文学の要素も取り込んで複雑化し、登場人物も架空と史実が入り混じる。
「ニーベルンゲンの歌」
元ネタとなる出来事が起きたのは、5世紀ごろ。
フン族侵入によるブルグント族の滅亡が元ネタ。
ただし、「ニーベルンゲンの歌」が書かれたのは12世紀ごろなので、物語として洗練された形をとるまでの間に、北欧神話のエピソードやシドレク王のサガなど、多数の物語を取り込んで複雑な形に変化している。
「ローランの歌」
元ネタとなる出来事が起きたのは、8世紀ごろ。
物語の舞台となっているピレネー山脈のロンスヴァルでの戦闘が元ネタ。
ローランは史実ではシャルルマーニュの血縁者ではなく、辛うじて名前が残っている部隊長という程度だが、物語上は様々な設定が付け加えられている。
「エル・シードの歌」
元ネタとなる出来事が起きたのは、11世紀ごろ。
レコンキスタのさなか、カスティーリャに実在した騎士がモデル。
物語として書かれたのは12世紀ごろ。
元ネタになった人物が存在した時代と物語化された時代が近いため、脚色は比較的少ない。
ほかにも、「ハムレット」には ”デンマーク人の事蹟”(宣教師が書いた、神話を含むデンマークの歴史書、と思いねぇ) にアムレートという名前で登場するモデルがいて ”アムレートのサガ” というものが存在する、とか、悲劇と呼ばれる物語には史実から発展したものが少なくない。
しかし、「悲劇のほうが記憶に残りやすい」というだけではないだろう。
もう一つの要素は、やはり、悲劇的な物語のほうが人に好まれた…ということがあると思う。
上に挙げたような物語の流布に関係したのは、旅をする職業詩人(口伝として物語を伝える)の存在だ。元ネタとなる出来事が起きてから、文字として書き留められるまでに何世紀もの隔たりがあるものは、その間に、詩人たちが口伝として物語を変化させながら伝えていた期間があると思ってほしい。詩人たちは人々に物語を語るうえで、人気のあった作品を残していっただろうし、聞き手の反応を見てストーリーを臨機応変に変化させていっただろう。その中でも、文字として書きとめられ、現在まで残るに至ったものは、特別人気のあったごく一部だけと思っていい。
時代ごとの好みの差というものもある。
本という情報を記録する媒体が出来ると、物語を生身で記憶する吟遊詩人という職業は需要が減っていく。さらに、識字率が上がり、印刷技術が出来たことにより本の値段が下がると、古来から伝えられた物語は王や貴族といった特権階級だけのものではなくなって、一般大衆にも広まりはじめる。大衆は、メンドクサイ設定やしがらみは求めない。楽天的で分かりやすい物語を求め、結果的に設定の多くをバッサリ切り捨てることが多かった。たとえば「アーサー王の死」を、単純に「カッコいい王様アーサーと強い騎士の仲間たちによる勧善懲悪な痛快アクションバラエティー」とかにしちゃう感じ(笑)
二次創作は、何も現代人の特権ではない…。
面白いのは、それら完全な二次創作も、時には「歴史」として扱われたことだ。
ある時期まで、「歴史」と「物語」は完全に区別されていなかった。現代でこそ我々は「歴史は客観的に見るべきだ」という概念を持っているが、かつて歴史とは単に「起きた出来事を再生したもの」でしかなく、再生の過程でノイズがまじることは意識されなかった。
つまり、「悲劇的な古い物語」は、史実の悲劇を根底にしつつ作られた創作であるとともに、それが語られた最初の時代においては「本当に起きた出来事」として広く認識されていたことになる。
現代人である我々は、そんなことはしない。昔話は、多少の史実を含んでいても、歴史ではなく「架空の物語」だと認識するはずだ。史実と物語は分離された。フィクションはフィクション、である。
しかし、そのフィクションの中には、「古い物語」から多くのモチーフが転用されている。たとえばファンタジー小説なんかは、よく出てくるモチーフの元を辿ればほぼ間違いなく西洋古典に辿りつく。魔法も不思議も、何百年も前の人々が真実と信じた人気の物語の中で既に語られている。歴史と物語は、単に守備範囲を変えただけなのだ。
長くなってしまったが、結論をまとめると、こうなる。
昔の悲しい物語は、実際に起きた悲劇的な事件を起源として作られたものが多い。
そして、それが真実と信じられたために、長らく伝わってきた。
現代では歴史と物語は分離され、出来事は出来事として、それ以上発展しない。大きな出来事があれば、出来事を元にした物語は作られるが、それはあくまで創作と認識されるので、後世に残るほど広まることがない。だから現代の人気ストーリーの中では悲劇的な物語ばかりが目立つことはない。
…こんなところかな。
*歴史と神話の区別もなかったので、神様が歴史の中に組み込まれているケースも多い
*元ネタとなる出来事を発展させるとき、別の時代の出来事もドッキングさせることもある
*物語の発展と流布の経路は、個々に詳しく見ていくと本が一冊書けると思うよ…