タロットとエジプトとクール・ド・ジェブラン 「パリの街は実はイシスの町だったのだよ!」
他所様のサイトでタロットとエジプト神話が関連づけられている話題が出ていて、「ジュブランが1700年代に言った話が発端かも…」という情報が出ていたのだが。何かが記憶に引っかかっていた。
ジュブラン (ジェブラン)…
俺はそいつを知っている
300年前にパリのカフェーで会って、エジプト好きだっていうから話してみたんだけど、あまりに電波すぎて頭が痛くなったあの男かっ!
――まさか、あれがタロット・エジプト起源説に噛んでいたとはな。
と、いうわけでクール・ド・ジェブラン(1725-1784)の話である。
実はこの人と知り合ったのは、かなり前にネタにしたバルトルシャイティスの本なのだ。
フランス革命の時代、パリはエジプト熱に沸いていた。(エジプトだけじゃなくオカルト系全般だろって言われれば、そうなんだが…。特にエジプト大人気ってこと)
その中で以下のような説が誕生し、多くの聖職者、学者たちがこれを支持し論文も書かれた。
●イシスは全ガリアの大地母神
●タキトウスの「ゲルマーニア」においてスエーヴィー族の女神と書かれているのはイシス(フリッグでもフレイヤでもないらしい・・・^^;)
●パリはかつてイシスの祭儀が行われた場所に作られた
これに加え、革命側の哲学者であるジェブランは、「パリはイシスの町であった」説を発表している。「パリは河の中に作られた都市であり船をシンボルとしている。この船とはイシスの象徴である」「船はバリスBarisと呼ばれた。この発音がガリアの訛りのせいでパリParisとなった」
…ちなみにイシスの船と呼ばれているものは、アレクサンドリアでローマ時代に行われたイシスの祭儀で使われたものである。イシスがハトホルと習合したのち、ハトホルの「聖なる結婚」で使われた船がイシスの祭儀に取り入れられた。まあ言ってみれば、エジプトのイシスではなくローマのイシスと比類されているわけだが…
さらには「イエズスはイシスから出ている」、「イシスはケルト(ガリア人)の間でも信仰されていた」といった説も飛び出してくる。こうなってくるともはや根拠が何なのか分からなくなってしまうが、ジェブランがイシスに見ていたものは、自然と深く結びついた原始宗教の中に必ずと言っていいほど現れる「大地母神」の姿だったと言っていいだろう。エジプトにおいてそれはイシスであり、スェービー族の名を記録されていない森の女神も、ケルトの女神(おそらくダヌのことだろう)も、属性としては同じ。似ているからといって起源が一つとは限らないのだが、彼の思考はその可能性をすっ飛ばしてしまったものと思われる。
ジェブラン以後も、フランスではパリとイシスを結びつける学説が作られ続ける。デュピュイさんという方があとを次いで活動していたようなのだが…。
ご存知の通りフランス革命は、キリスト教への反発 も含む。教会を物理的に破壊することと、「イエズス会はイシス会という意味だった」「ノートルダムはもともとイシスの教会だ」と述べて教義的に破壊することの目的は同じ。
かつてパリが女神イシスの町だったという説は、政治的必要性もあって支持されたものと思われる。
ケルトの女神という話が出てくるのは、フランスにはケルト系の住人が多いから(ブルターニュ地方)、スェービー族の女神を取り入れたのは、フランスに住むケルト系以外の住人(ゲルマン系)に支持してもらうためだったのだろう。
言ってみれば、18世紀フランスにおいて、古代エジプトの宗教は、キリスト教に対抗するために"利用された"。
…まー確かに、エジプトネタはキリスト教に対する「武器」としては強いんだよね。聖母マリアなんてモロにホルスを抱くイシスの像に影響受けてるし、キリストの復活がオシリスの復活に比類されるなんてのも珍しくない。どっちが古いかといえば勿論、エジプトの信仰なわけだし。
だから、もし ”1700年代のジュブランの話” が、タロット・エジプト起源説の発端なのだとしたら、その説はパリ市民からの熱狂的な支持を必ず受けたはずである。そして、タロットに係わるエジプトの神はグレコ・ローマン時代以降も生き残っていた神に限られる。なぜなら古代エジプト語は忘れられており、シャンポリオンによる再解読はまだだから、利用できる資料はギリシャ・ローマの記録に限られたはずだからだ。逆に言うとトトが無条件にヘルメスと結び付けられているのは、だからこそなのだろうが…。
説が正しいか正しくないか、という話でいけば、もちろん正しくはないし、デタラメである。
しかし、ある時代において、ある程度の学識のある人々によって「信じられた」説、という意味では正しい。
ちなみに1700年代は、バラ十字やイルミナティといった「秘密結社」が一世を風靡した時代でもある。オカルト人気の高まりもあって、失われたエジプト宗教の再構築が盛んだったのではないかと思う。
とにかく何でも「隠された秘儀」扱いで、旅をするとほんとうに気が滅入る時代だ。
↑引用元はこの本。
途中から頭がクラクラしてきて、内容は覚えていないはずだったんたがなあ^^;
ジュブラン (ジェブラン)…
俺はそいつを知っている
300年前にパリのカフェーで会って、エジプト好きだっていうから話してみたんだけど、あまりに電波すぎて頭が痛くなったあの男かっ!
――まさか、あれがタロット・エジプト起源説に噛んでいたとはな。
と、いうわけでクール・ド・ジェブラン(1725-1784)の話である。
実はこの人と知り合ったのは、かなり前にネタにしたバルトルシャイティスの本なのだ。
フランス革命の時代、パリはエジプト熱に沸いていた。(エジプトだけじゃなくオカルト系全般だろって言われれば、そうなんだが…。特にエジプト大人気ってこと)
その中で以下のような説が誕生し、多くの聖職者、学者たちがこれを支持し論文も書かれた。
●イシスは全ガリアの大地母神
●タキトウスの「ゲルマーニア」においてスエーヴィー族の女神と書かれているのはイシス(フリッグでもフレイヤでもないらしい・・・^^;)
●パリはかつてイシスの祭儀が行われた場所に作られた
これに加え、革命側の哲学者であるジェブランは、「パリはイシスの町であった」説を発表している。「パリは河の中に作られた都市であり船をシンボルとしている。この船とはイシスの象徴である」「船はバリスBarisと呼ばれた。この発音がガリアの訛りのせいでパリParisとなった」
…ちなみにイシスの船と呼ばれているものは、アレクサンドリアでローマ時代に行われたイシスの祭儀で使われたものである。イシスがハトホルと習合したのち、ハトホルの「聖なる結婚」で使われた船がイシスの祭儀に取り入れられた。まあ言ってみれば、エジプトのイシスではなくローマのイシスと比類されているわけだが…
さらには「イエズスはイシスから出ている」、「イシスはケルト(ガリア人)の間でも信仰されていた」といった説も飛び出してくる。こうなってくるともはや根拠が何なのか分からなくなってしまうが、ジェブランがイシスに見ていたものは、自然と深く結びついた原始宗教の中に必ずと言っていいほど現れる「大地母神」の姿だったと言っていいだろう。エジプトにおいてそれはイシスであり、スェービー族の名を記録されていない森の女神も、ケルトの女神(おそらくダヌのことだろう)も、属性としては同じ。似ているからといって起源が一つとは限らないのだが、彼の思考はその可能性をすっ飛ばしてしまったものと思われる。
ジェブラン以後も、フランスではパリとイシスを結びつける学説が作られ続ける。デュピュイさんという方があとを次いで活動していたようなのだが…。
こうして、エジプトの神々の系譜は、フランス革命の旗印のもと、緒宗教とその精神の考察という枠の中で、新たな流行を見た。国会議員で、五百人会議のメンバーだったシャルル・デュピュイ(1742-1809)の『あらゆる宗教の起源』(1794)も、同じ地盤の上で展開されている。これはもはや、情熱の赴くままに燃え上がる閃光のような思索の書ではなく、綿密な準備を経て書かれた膨大な著述である。神学・科学・法律学に造詣が深く、1788年から碑銘文アカデミー会員となって、コレージュ・ド・フランスの教授をつとめたデュピュイは、鍛え抜かれた学識と方法を武器として、十八世紀に盛んだった反宗教の戦いに参加するのである。
ご存知の通りフランス革命は、キリスト教への反発 も含む。教会を物理的に破壊することと、「イエズス会はイシス会という意味だった」「ノートルダムはもともとイシスの教会だ」と述べて教義的に破壊することの目的は同じ。
かつてパリが女神イシスの町だったという説は、政治的必要性もあって支持されたものと思われる。
ケルトの女神という話が出てくるのは、フランスにはケルト系の住人が多いから(ブルターニュ地方)、スェービー族の女神を取り入れたのは、フランスに住むケルト系以外の住人(ゲルマン系)に支持してもらうためだったのだろう。
言ってみれば、18世紀フランスにおいて、古代エジプトの宗教は、キリスト教に対抗するために"利用された"。
…まー確かに、エジプトネタはキリスト教に対する「武器」としては強いんだよね。聖母マリアなんてモロにホルスを抱くイシスの像に影響受けてるし、キリストの復活がオシリスの復活に比類されるなんてのも珍しくない。どっちが古いかといえば勿論、エジプトの信仰なわけだし。
だから、もし ”1700年代のジュブランの話” が、タロット・エジプト起源説の発端なのだとしたら、その説はパリ市民からの熱狂的な支持を必ず受けたはずである。そして、タロットに係わるエジプトの神はグレコ・ローマン時代以降も生き残っていた神に限られる。なぜなら古代エジプト語は忘れられており、シャンポリオンによる再解読はまだだから、利用できる資料はギリシャ・ローマの記録に限られたはずだからだ。逆に言うとトトが無条件にヘルメスと結び付けられているのは、だからこそなのだろうが…。
説が正しいか正しくないか、という話でいけば、もちろん正しくはないし、デタラメである。
しかし、ある時代において、ある程度の学識のある人々によって「信じられた」説、という意味では正しい。
ちなみに1700年代は、バラ十字やイルミナティといった「秘密結社」が一世を風靡した時代でもある。オカルト人気の高まりもあって、失われたエジプト宗教の再構築が盛んだったのではないかと思う。
とにかく何でも「隠された秘儀」扱いで、旅をするとほんとうに気が滅入る時代だ。
↑引用元はこの本。
途中から頭がクラクラしてきて、内容は覚えていないはずだったんたがなあ^^;