物凄い研究労力の無駄遣い…? 「死んだ魚を見ないわけ」

基本、本はあまり売らないし捨てない。読み返さない本は奥のほうに仕舞っておくことにしている。
そのわりに部屋に本が少なめなのは、引越しのたびに実家に送ったり処分したりしたからでもある。

そんな中、現在の居住地に移ってからお蔵入りになっていた本の一冊がこれ。

死んだ魚を見ないわけ」 河井智康。

…アマゾンレビューを見ると得点が高いようだが、レビューアーがいかに本の内容を理解しなかったか、という証拠である。(毒)

この本は、「そういや海で死んだ魚ってあんま見ないよな」という著者の疑問から始まり、海に死骸の少ない理由をフィールドワークや専門データから研究していくという内容。此処の研究内容やフィールドワークは大したものだし、著者の文章も巧い。行間に滲み出す著者のユーモアなどもあり、たぶん読んで楽しいとかなりの人は思うはずだ。

が。


 そもそも研究の方向性が間違えているために、
 何ら有効な結論に達していない



「死んだ魚を見ないわけ」を知りたかったはずなのに、魚の生態(生まれた直後に死ぬ数が多く、成長してから死ぬ数は少ない)と、深海における魚の死骸の自然処理状況の調査に終わってしまった、ひどく残念な本なのである…。



何がいけなかったのか。

ぶっちゃけ、著者はスタート地点から間違えていると私は思った。

「死骸をあまり見ない」と著者は言うが、そんなもん、単純に海は広いのである。魚が陸地の近くの海面で死ぬことなど、ほとんどない。沖合いや、海の中で死んだものが、人の目に触れることが珍しかったってアタリマエだろう。つーか、著者はサバで研究したみたいだが、そら成魚になったサバやマグロほどでかければ死骸も目立つだろうが、イワシの1匹や2匹が波間で死んでたって、なかなか気づくこともなかろうよ。

それから、死体は沈むとは限らない。浮かぶこともあるだろう。どちらにも行かず海流に乗って海の中を彷徨うことだってあるはずだ。海は広いと同時に深い。地球上の表面積の大半を占める海、しかもその深さは、どんな山よりも険しく深い。死体が人の目に留まらないというのなら、まずそっから考えるべきだったのでは。

延縄漁の網にも死体がかからない、って、そらあーた魚の群れの中には死んだ魚はいませんがな。
たまにひっかかる死んだ魚は、網にかかってから死んだと考えるべき。


そうしたツッコミは読んだ瞬間に直感的に出来るもので、研究を始める前に気づくべきことなのだが… なぜか著者は、「魚の死骸は人の目触れる前に他の動物に処理されるに違いない」と思い立ち、魚の死体を処理する生き物へと話を移していくのだ。


そして、なんと海中探索船「しんかい2000」に乗り込み、深海に死んだ魚を放置して、どの程度のスピードで処理されるのかを確認することになる・・・。

嗚呼、なんという方向の間違い。
これが他の魚の死体を処理する深海生物の研究であれば、その方法はバッチリだった。だがしかし、調べたいのは、魚の死体が海にあまり存在しないことの理由である。調査結果から導き出されるのは、問題提起に対する答えではない。^^:

だいたい魚の死体、深海に沈むとは限らんだろ。
浮かんできてカモメに食われてるのとか見たことないんかい。

方向性を間違ったまま突き進んだ著者は、調査の結果、「深海では死体はあまりスピーディーに処理されない」という結論に達したようだが、そんなもん当たり前だ。深海って生物密度低いやん…。
高山の動物の死骸がなかなか処理されないのと同じように、生物が生きていくのに厳しい環境なのだから、そもそも死体を処理できる生き物が少なかろうし、食べ物も豊富じゃないだろうから動きだってそんなに活発ではなかろう。

そうしたツッコミはそっちのけで、著者は「しんかい2000」で体験した魅惑的な深海の情景を上手に描き出す。いや、まあ、それはそれ単体としては面白いんだけど。あなたが調べたかったこととは何の関係もな…

…そうして、この本は何の結論も出さずに唐突に終わる。
まあそりゃ当たり前だ、序論本論結論でいえば、序論の部分からすでにコケている研究なんだから。ただ、海洋フィールドワークの記述自体は面白いし、此処のデータは有意義なものだと思う。
我々がこの本に見るのは、いかに実験の手法やデータがシッカリしていても、そもそもの前提や仮説が間違っていれば、その研究が無駄になってしまうという教訓である。



河井氏は小説家を書くべきだった。海が舞台の。
きっとそのほうが、本はたくさん売れたんじゃないかな。

この記事へのトラックバック