南匈奴の子孫たちがネット交流しているその頃、北匈奴は…

中国語の掲示板翻訳されてるブログで、匈奴の子孫たちが集まっているスレッドの翻訳があったのでニヤニヤしてしまった。


匈奴はその末期、紀元48年に北匈奴・南匈奴に分裂したというから、中国国内に残ってる匈奴の子孫=漢に迎合して北匈奴を追っ払って定住した 南匈奴の子孫 と思っていいんだろう。

言ってみれば、漢の手下でもいいから定住したいと思った匈奴が、いま中国に残ってる匈奴の子孫の皆さんなわけで、もともと文字を持たなかったので漢字を取り入れ、積極的に漢の文化を取り入れて同化していった結果が現状。2000年も経ってるのだから、今さら―… 独自の部族は名のれん… だろう。
ていうか、2000年経っても自分のルーツって気になるもんなのか。


南匈奴が漢に併合される一方、追っ払われた北匈奴はというと、以後、後漢の150年の記録を最後に消息不明(記録が残っていない)となる。最後の記録によると、テンシャン山脈の北方に住んでいたとなっている。
滅びたのではなく、おそらく他の部族に追い出されて漢に情報の届かない遥か西方に逃れたのだろうといわれるが、詳細は分からない。匈奴の文化は、中国の文化+西方の遊牧民の文化(スキタイ風のものもあるらしい)だったらしいのだが…、遊牧生活をしていると大規模な遺跡や文字記録は残さないから追いかけようがない。古墳はあるらしいんだけどね。確か日本の発掘隊も行ってた気がする。


その、歴史の中に消えた「北匈奴」が、のちのフン族じゃないかという説がある。
この説の初出は1900年。ただし、現在でもこの説を裏付ける有力な証拠は挙がっていないことに注意したい。

一般的にフン族と呼ばれている人々は、4世紀末、突如歴史の中に登場する集団のことだ。
今のトルコあたりに東のほうから出現した騎馬民族で、ドン川を渡って… と言ってわかりにくければ、黒海の北岸、カッファの北あたりから侵略を開始する。

画像
超簡易図解。


 「ヒャッハァー! 略奪だァー」
 「ちょ… おま」
 「その種籾だけは…!」

カスピ海のあたりにあった阿蘭(アラン)はアッサリ滅亡、そのころ東ローマ(ビザンツ)をじりじりいたぶっていた東西ゴート族も破れ、玉突き式に民族大移動が開始される。フン族はその機動力を生かしてヨーロッパじゅうを駆け巡り、わずか一世紀ほどの間に大帝国を築いて、カリスマの死亡とともに敢え無く敗退。各地に散っていった。まるで閃光の如しである。

登場した時点でフン族は、自分たちが何者なのかを知らず、どこから来たのかについての情報は持っていなかったらしい。本人たちもわからんのだから、ローマ側の記録に何も残っていないのは仕方が無い。
活動期間が短すぎ、記録もローマ側のやや偏見の入ったものしか残っていないので、フン族についての情報は限られている。匈奴とフン族を繋ぐ決定的な証拠は、その中には見つからない。もし北匈奴がフン族になったなら、後漢の記録に最後に登場する150年から、東ゴートを蹴散らした375年までの200年、何処で何をしていたのか? と、いうことになる。

少なくとも、ゴート族は、攻撃を受ける以前からフン族とは馴染みがあったらしい。それほど数は多くないが、生活範囲が被っていた集団がいたようだ。と、いうより、金髪碧眼な北欧人の彼らにとって、小柄なアジア人の騎馬民族は全てフン族と認識されていたらしい。フン族のほうも、単一の王を持つのは「神の鞭」の異名をとるアッティラの時代で、それまでは何人かの王に率いられた別々の集団が動いている。ことによったら、ゴート族やローマ人に区別がつかなかっただけで、何種類かのアジア系騎馬民族がほぼ同時期にヨーロッパに流れこみ、結果的にアッティラのもとで一つに統一されたというのが真相だったりするかもしれない。

まあ要するに、フン族が匈奴か否か以前に、フン族ってそもそも何処から何処までよ? という話なんだな…。
記録を残した当人たちが、フン族とそれ以外のアジア系騎馬民族の区別がついていない。以前フランク史のエントリでちょろっと触れたが、トゥールのグレゴリウスはアヴァール人のことも「フン族」と表現している。

だがもし、北匈奴の集団が生き残っていたとしたら、西へ西へと逃れてローマの領域に侵入していた可能性はおおいにあると思う。或いは、ヨーロッパのどこかに今も、匈奴の血を引く人が生き残っているかもしれない。…居るとしたら、トルコあたりの可能性が高そうだけど。お尻に青いアザのある子供が良く生まれる地域があるらしいよ。どこだったか忘れたけど。

西へ行った匈奴の子孫たちは、もう自分らのルーツなんか気にしてないだろうなあ…。


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GoogleMapの、かなり縮尺デカくした状態。
「A」の矢印のあるところがテンシャン山脈、北匈奴が最後に記録に現れるあたり。そして黒海の北側が、フン族が来襲したとローマの記録に記された場所。

画像


テンシャン山脈は越えるには険しすぎるため、移動するならば、そこから西進してカスピ海方面へ抜けるしかないのは確かなんだが、イラン方面にも行けるんだな。実は。
ヴァンダル族やゴート族と一緒に行動していたイラン系の民族(アラニ族とか)もいるので、そっちに合流した可能性もなきにしもあらず。



コレ見てお茶吹きました。

らぶひなのメーカーが作ったアッティラフィギュアとな! どんだけコアなんだよ!
しかも画像見る限りモンゴル人になっとるぞ…(笑)

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