獣擬人化は日本の専売特許にあらず。「狐物語 Le Roman de Renart 」シリーズ
説 明 し よ う
狐物語とは!
12-13世紀に北フランスで流行した「動物擬人化」騎士物語である。最初につくったのはピエール・ド・サン=クルーという人だが、別の人物による「外伝」のような様々なバリエーションすべてひっくるめて「狐物語」と呼ぶ。
主人公は狐ルナール。ライバルは親友でもある狼イザングラン。
獅子ノーブル陛下を王として抱くディズニー的な動物たちの国(でも人間もいる。)で起こる、ずるがしこいルナールを取り巻く物語。
ズバリ、騎士文学だが主要な登場人物すべてが動物 なんだと思いねえ。
騎士文学パロディなので、登場人物たちは「王」「騎士」「貴婦人」の役を演ずる。
ノーブルがアーサー王とすれば、それを取り巻く動物たち、熊騎士ブランや猫チベールはガウェイン、ケイ卿みたいなもん。宮廷にはイタズラのすぎるルナールを嫌う人々と、援護しようとする人々がいて、王のもとには時折りルナールに対する苦情が持ち込まれる。たとえばこんな調子だ。
「…いや、狐がニワトリ食うのとか 普通じゃね?」
ってツッコみたくなるのだがそこはそれ、動物たちが美しく共存し、言葉を話し意思を通じ合わせるファンタジー世界。狐のルナールが狼イザングランの奥さん(もちろん狼)を寝取った寝取らないの話も出てきたり、ルナールがフランス料理食ってたり、動物なのに騎士らしく馬に乗ったり(笑)することが許される世界。本能のままにニワトリを食べちゃうキツネじみたルナールは、世界のお約束に反する危険人物なのだ。
そんな揶揄も込めつつ、基本これは騎士文学のパロディになっている。
「悪い騎士に身内を殺されました! カタキを討ってください」と貴婦人が宮廷にやってくるのは、騎士文学ではよくある、冒険のはじまりのお約束シーン。だが、やってくる貴婦人は何と「雌鳥」。丸々太った羽根づやのいいニワトリが、おしりふりふりやって来るシーンを想像しただけでも笑えてくる。それも肩書きが「大卵産みの」パント夫人。「白き手の」イソード、とか、「湖の」ランスロット、とか、そういう二つ名の部分が良き鶏らしく「大卵産み」。
パント夫人は悲劇を語ったのち気絶するが、この気絶も騎士文学でのお約束。しかし、目の前で丸々したニワトリが気絶して食わない獅子王や騎士猫は、普段一体何を食っているというのか。
もちろん登場人物たちは、完全に人間化してはいない。本来の習性、熊ならハチミツが好き、狐は鶏を食う、猫は鼠につられる、といった要素もある。自分の巣を「我が館」と呼んだり、赤い毛並みを「赤毛」と言ったり、餌をディナーと呼んだりする、小説ならではの言葉遊びで人間らしく見せているとも言える。
ちなみに、文中に出てくるジラール・ド・フレトはニワトリの飼い主である。
人間には、どうやら動物たちの言葉は分からないらしい。ルナールの罠にかかって身動きのとれなくなった騎士熊ブランは、村人たちに捕まって食われそうになり、必死に逃げてくる。人間のように城や領地を持って主君に仕えている動物たちなのであるが、人間はそのような社会についぞ気がついていない。そんな人間たちをバカにしつつ飼われている家畜たち。なんとも滑稽だ。
「狐物語」は幾つかのエピソードが邦訳されており、作者は異なるが、どれも動物たちの人間描写がとても巧い。沢山作れた中でレベルの高い作品しか残らなかったからかもしれないが、読んでいて時々、登場人物が動物であることを忘れそうになる。騎士や貴婦人のお約束、騎士文学にしか出てこないようなもったいぶった言い回し(「神よ、かの者を哀れみたまえ」とか「陛下、誓ってさようなことはございません」とか)、いずれも生き生きとしている。おそらく作者たちは、当時上流階級の人々が好んだお高くとまった騎士文学を読み込んで、形式だけはそれと同等の作品を作れる実力があったのだと思う。要するに、プロなみの絵は描けるけどプロになれない漫画家みたいなもの。いわば「キツネ物語」は、無名の同人作家たちによる高度な同人誌であると言えよう。
さて、この「狐物語」。
高クオリティの作品を作れる実力のある人々が、己の愛をもって数々のエピソードを付け足して発展させていったという点においては、日本でいうところの「スター○ォック○萌え」や「ポ○モン萌え」に近いモノがあったりなかったり。偉大なる獣擬人化の先駆者と言っても過言ではない。
…いや、過言かもしれないけどまぁ、うん、あれだ。
腐●子の皆さんなら三行目でルナールxイザングランをやらかす確信にも似た予感が私にはあるわけです。妙に現代的な萌えシチュを狙ってくるアコギな古典文学であることは間違いない。(最近の●女子は進化しているらしいので、そんな王道は敢えて外すのかもしれないが)
業績に悩む何処かの出版社の方は、是非ともこの作品群を、伊豆の踊り子や人間失格のノリで人気イラストレーターに描かせた現代風の装丁で出版しなおしてみてほしい。意外とムーヴメントが起こるかもよ?
ちなみに、海外サイト見る限り、ルナールを青年として描くことは既に定着しているようで…
まああれだ、画像ググると色々出てくると思うが。
ス○ーフォッ○スで萌えられる人はたぶんいけます。
怪○ゾロリの人もいけるかもしれません
ルナール可愛いよルナー…
あれ?
狐物語とは!
12-13世紀に北フランスで流行した「動物擬人化」騎士物語である。最初につくったのはピエール・ド・サン=クルーという人だが、別の人物による「外伝」のような様々なバリエーションすべてひっくるめて「狐物語」と呼ぶ。
主人公は狐ルナール。ライバルは親友でもある狼イザングラン。
獅子ノーブル陛下を王として抱くディズニー的な動物たちの国(でも人間もいる。)で起こる、ずるがしこいルナールを取り巻く物語。
ズバリ、騎士文学だが主要な登場人物すべてが動物 なんだと思いねえ。
騎士文学パロディなので、登場人物たちは「王」「騎士」「貴婦人」の役を演ずる。
ノーブルがアーサー王とすれば、それを取り巻く動物たち、熊騎士ブランや猫チベールはガウェイン、ケイ卿みたいなもん。宮廷にはイタズラのすぎるルナールを嫌う人々と、援護しようとする人々がいて、王のもとには時折りルナールに対する苦情が持ち込まれる。たとえばこんな調子だ。
狐と狼の争いおさまり、
めでたく和解成立、万々歳…
ところが、その時、若雄鶏(シャントクレール)とパントが、
総勢五羽で宮廷にまかり出て、
ルナールの直訴に及んだ。
こうなれば、火を消すのは容易ではない。
なぜなら、雄鶏のシャントクレール殿、
ならびに、大卵産みのパント夫人、
赤毛、黒毛、白毛の一行は、
美々しく幕を張り巡らした
荷車を引いてきたからだが、
車に乗せてきたのは鳥籠で、
柩同然にしつらえられた籠の中に、
一羽の雌鳥が安置されていた。
ルナール狐が彼女を痛めつけ、
噛み付いた挙句、目を食いちぎり、
左の翼を引き抜いて、無残や無残、
二度と見られぬ姿にした。
<中略>
パントが言う「皆様、神かけて、
気高い動物方、犬や狼の皆様、
このか弱い女をお救い下さい。
なまじ生きのびたことが恨めしい!
父方に五人の兄弟がいましたが、
皆、悪党狐に食べられました。
ひどい損害、辛い辛いことですわ。
母方の五人の姉妹ときたら、
年頃の娘もいれば、少女もいて、
いずれもすばらしい美人ぞろい、
ジラール・ド・フレトが餌をやり、
卵を産ませようと、太らせたもの。
ところが、運の悪いこの男は無駄骨折り。
なにしろ、ルナールは、五羽のうち、
ただの一羽も生かしておかず、
皆、あの男の喉を通ってしまって。
「ルナール狐の裁判」(作者不詳) /新倉俊一 訳
「…いや、狐がニワトリ食うのとか 普通じゃね?」
ってツッコみたくなるのだがそこはそれ、動物たちが美しく共存し、言葉を話し意思を通じ合わせるファンタジー世界。狐のルナールが狼イザングランの奥さん(もちろん狼)を寝取った寝取らないの話も出てきたり、ルナールがフランス料理食ってたり、動物なのに騎士らしく馬に乗ったり(笑)することが許される世界。本能のままにニワトリを食べちゃうキツネじみたルナールは、世界のお約束に反する危険人物なのだ。
そんな揶揄も込めつつ、基本これは騎士文学のパロディになっている。
「悪い騎士に身内を殺されました! カタキを討ってください」と貴婦人が宮廷にやってくるのは、騎士文学ではよくある、冒険のはじまりのお約束シーン。だが、やってくる貴婦人は何と「雌鳥」。丸々太った羽根づやのいいニワトリが、おしりふりふりやって来るシーンを想像しただけでも笑えてくる。それも肩書きが「大卵産みの」パント夫人。「白き手の」イソード、とか、「湖の」ランスロット、とか、そういう二つ名の部分が良き鶏らしく「大卵産み」。
パント夫人は悲劇を語ったのち気絶するが、この気絶も騎士文学でのお約束。しかし、目の前で丸々したニワトリが気絶して食わない獅子王や騎士猫は、普段一体何を食っているというのか。
もちろん登場人物たちは、完全に人間化してはいない。本来の習性、熊ならハチミツが好き、狐は鶏を食う、猫は鼠につられる、といった要素もある。自分の巣を「我が館」と呼んだり、赤い毛並みを「赤毛」と言ったり、餌をディナーと呼んだりする、小説ならではの言葉遊びで人間らしく見せているとも言える。
ちなみに、文中に出てくるジラール・ド・フレトはニワトリの飼い主である。
人間には、どうやら動物たちの言葉は分からないらしい。ルナールの罠にかかって身動きのとれなくなった騎士熊ブランは、村人たちに捕まって食われそうになり、必死に逃げてくる。人間のように城や領地を持って主君に仕えている動物たちなのであるが、人間はそのような社会についぞ気がついていない。そんな人間たちをバカにしつつ飼われている家畜たち。なんとも滑稽だ。
「狐物語」は幾つかのエピソードが邦訳されており、作者は異なるが、どれも動物たちの人間描写がとても巧い。沢山作れた中でレベルの高い作品しか残らなかったからかもしれないが、読んでいて時々、登場人物が動物であることを忘れそうになる。騎士や貴婦人のお約束、騎士文学にしか出てこないようなもったいぶった言い回し(「神よ、かの者を哀れみたまえ」とか「陛下、誓ってさようなことはございません」とか)、いずれも生き生きとしている。おそらく作者たちは、当時上流階級の人々が好んだお高くとまった騎士文学を読み込んで、形式だけはそれと同等の作品を作れる実力があったのだと思う。要するに、プロなみの絵は描けるけどプロになれない漫画家みたいなもの。いわば「キツネ物語」は、無名の同人作家たちによる高度な同人誌であると言えよう。
さて、この「狐物語」。
高クオリティの作品を作れる実力のある人々が、己の愛をもって数々のエピソードを付け足して発展させていったという点においては、日本でいうところの「スター○ォック○萌え」や「ポ○モン萌え」に近いモノがあったりなかったり。偉大なる獣擬人化の先駆者と言っても過言ではない。
…いや、過言かもしれないけどまぁ、うん、あれだ。
腐●子の皆さんなら三行目でルナールxイザングランをやらかす確信にも似た予感が私にはあるわけです。妙に現代的な萌えシチュを狙ってくるアコギな古典文学であることは間違いない。(最近の●女子は進化しているらしいので、そんな王道は敢えて外すのかもしれないが)
業績に悩む何処かの出版社の方は、是非ともこの作品群を、伊豆の踊り子や人間失格のノリで人気イラストレーターに描かせた現代風の装丁で出版しなおしてみてほしい。意外とムーヴメントが起こるかもよ?
ちなみに、海外サイト見る限り、ルナールを青年として描くことは既に定着しているようで…
まああれだ、画像ググると色々出てくると思うが。
ス○ーフォッ○スで萌えられる人はたぶんいけます。
怪○ゾロリの人もいけるかもしれません
ルナール可愛いよルナー…
あれ?


