神々は、人に全力で迷惑をかける ― 人間のリサイクルに関する地域差
外道な神話といえば、シュメールに、ロリのうえ船内連れ込み猥褻なエンリル神という方が… え、もうその話はいい?
メソポタミア周辺の神話と、エジプト神話は、違うところもあるが結構似ている。地域が近いのもあるだろうが、神様なんて皆そんなものなのかもしれない。
たとえば、メソポタミアでもエジプトでも、人間は土から出来ている。特別な材料からじゃなく手近なものから作ろうとして出来てしまう、人間はその程度の存在らしい。
メソポタミアの神話では…
アン、エンリル、ニンマフらの神々が、「神に代わって労働するもの作ろうと」泥から人間を創造する。
エジプト神話では…
クヌム神が粘土をろくろでこねて人間を作る。
どちらも異説があり、神の血が入ってたり唾から作られたりするパターンもあるが、まぁそこは置いといて。
土から作られる=人は母なる大地から生まれてくる、この思想はそう珍しいものではないが、エジプトとメソポタミア双方に共通して我々の原料は土。原料からしてあまり貴重な存在ではない。そのせいか、どちらの神々も、自分たちが製造した産物の大量廃棄処分を思いつく。感覚としては作りすぎたパンケーキの処分に困るくらいの感じで。
メソポタミアでは…
まじめに働いてた人間が「増えすぎてやかましい」というどーでもいい理由で地上から掃除してしまおうと考えた挙句、神々は集会で人類掃討を決める。嘆いたのはわずか数柱のみ、エンキだけが人間に情報漏えいして逃がそうとするが、結局大半はお亡くなりになってしまい、神々も人間がいなくなると自分たちが労働しなくてはならなくて面倒なことに気がついたのでもういっかい人間を作ることにした。処分する前に気づけよ、っていうか、処分された最初の人間たちがかわいそうです…。
エジプト神話はもう少しマシな展開かもしれない。
最初に老いたラー神がヒスを起こし、単独でセクメト女神による人類抹殺を計画し、周囲の神々は止めようとする。セクメトが暴れすぎたのでラーも途中で我に返って「やっぱり今のナシ!」と言い出す。お陰で人間は絶滅までは至らなかったようだ。作り直しもされてないし。エジプトの神様たちのほうが、ほんの少しだけ後先を考えられたということか。
しかし、どちらも、どーでもいい理由で人間を大量虐殺しようとしているので、神様の思考はアレなものであると言える。
五十歩百歩と言えなくもないところだが、人間に対する態度でどっちがマシかというと、エジプトのほうだと思う。
エジプトの人間製造について、職人クヌム神に不良品を作る意思はないが、メソポタミアだと宴席で酔っ払ったエンキ神とニンマフ女神が、戯れに身体に欠陥のある様々な人間を作って「この人間を社会の役に立たせることが出来るか」などという迷惑なゲームを始める。つまりロソポタミア神話では、身体障害はすべて神様が酔っ払って遊んで作ったせい。恨むなら神を恨め! 責任所在がはっきりしているとも言えるが、人間からするとたまったものではない。ネタで不良品を作ってしまう神様も神様である。
ところて、よくエジプトとメソポタミアの神話の大きな違いは「死生観」だと言われる。
ふと気がついたのだが、それって、神様視点から見ると 作ったものに対する愛着の程度と、リサイクルのあり/なし と、いうことなのでは。
愛着があったら死後もリサイクルするために死後の世界を作るが、無ければ死んだらゴミ捨て場にぽいぽい。
愛着がなければ廃棄処分、在庫一掃も問題なし。めんどくさいけどまた作り直せばいいし。
だからといってメソポタミアの神々が人間に冷たいとか、神々の魅力が減ずるという意味ではないが、メソポタミアの神様たちは、人間をモノとしか思ってなさそーだよなぁ…という感じはする。それから、人類創造に関するエピソードの微妙な違いは、何か、それぞれの文明の製造業に対する熱意の違いを見るような気がした(笑) やたら職人気質の神々の多いエジプト神話だと、神が使い物にならない人間をわざわざ作るなんて神話は生まれにくそうだ。
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この本を大航海プレイしてる友人に紹介したら、「シブサワ・コウ何やってんの! ていうか君はコーエイの回し者か」みたいな反応されました。
むしろ逆にこの本を知らないことのほうが驚… え、普通知らないって? いやだってこのシリーズは思わず揃えちゃうだろうよ!
メソポタミア周辺の神話と、エジプト神話は、違うところもあるが結構似ている。地域が近いのもあるだろうが、神様なんて皆そんなものなのかもしれない。
たとえば、メソポタミアでもエジプトでも、人間は土から出来ている。特別な材料からじゃなく手近なものから作ろうとして出来てしまう、人間はその程度の存在らしい。
メソポタミアの神話では…
アン、エンリル、ニンマフらの神々が、「神に代わって労働するもの作ろうと」泥から人間を創造する。
エジプト神話では…
クヌム神が粘土をろくろでこねて人間を作る。
どちらも異説があり、神の血が入ってたり唾から作られたりするパターンもあるが、まぁそこは置いといて。
土から作られる=人は母なる大地から生まれてくる、この思想はそう珍しいものではないが、エジプトとメソポタミア双方に共通して我々の原料は土。原料からしてあまり貴重な存在ではない。そのせいか、どちらの神々も、自分たちが製造した産物の大量廃棄処分を思いつく。感覚としては作りすぎたパンケーキの処分に困るくらいの感じで。
メソポタミアでは…
まじめに働いてた人間が「増えすぎてやかましい」というどーでもいい理由で地上から掃除してしまおうと考えた挙句、神々は集会で人類掃討を決める。嘆いたのはわずか数柱のみ、エンキだけが人間に情報漏えいして逃がそうとするが、結局大半はお亡くなりになってしまい、神々も人間がいなくなると自分たちが労働しなくてはならなくて面倒なことに気がついたのでもういっかい人間を作ることにした。処分する前に気づけよ、っていうか、処分された最初の人間たちがかわいそうです…。
エジプト神話はもう少しマシな展開かもしれない。
最初に老いたラー神がヒスを起こし、単独でセクメト女神による人類抹殺を計画し、周囲の神々は止めようとする。セクメトが暴れすぎたのでラーも途中で我に返って「やっぱり今のナシ!」と言い出す。お陰で人間は絶滅までは至らなかったようだ。作り直しもされてないし。エジプトの神様たちのほうが、ほんの少しだけ後先を考えられたということか。
しかし、どちらも、どーでもいい理由で人間を大量虐殺しようとしているので、神様の思考はアレなものであると言える。
五十歩百歩と言えなくもないところだが、人間に対する態度でどっちがマシかというと、エジプトのほうだと思う。
エジプトの人間製造について、職人クヌム神に不良品を作る意思はないが、メソポタミアだと宴席で酔っ払ったエンキ神とニンマフ女神が、戯れに身体に欠陥のある様々な人間を作って「この人間を社会の役に立たせることが出来るか」などという迷惑なゲームを始める。つまりロソポタミア神話では、身体障害はすべて神様が酔っ払って遊んで作ったせい。恨むなら神を恨め! 責任所在がはっきりしているとも言えるが、人間からするとたまったものではない。ネタで不良品を作ってしまう神様も神様である。
ところて、よくエジプトとメソポタミアの神話の大きな違いは「死生観」だと言われる。
ふと気がついたのだが、それって、神様視点から見ると 作ったものに対する愛着の程度と、リサイクルのあり/なし と、いうことなのでは。
愛着があったら死後もリサイクルするために死後の世界を作るが、無ければ死んだらゴミ捨て場にぽいぽい。
愛着がなければ廃棄処分、在庫一掃も問題なし。めんどくさいけどまた作り直せばいいし。
だからといってメソポタミアの神々が人間に冷たいとか、神々の魅力が減ずるという意味ではないが、メソポタミアの神様たちは、人間をモノとしか思ってなさそーだよなぁ…という感じはする。それから、人類創造に関するエピソードの微妙な違いは、何か、それぞれの文明の製造業に対する熱意の違いを見るような気がした(笑) やたら職人気質の神々の多いエジプト神話だと、神が使い物にならない人間をわざわざ作るなんて神話は生まれにくそうだ。
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この本を大航海プレイしてる友人に紹介したら、「シブサワ・コウ何やってんの! ていうか君はコーエイの回し者か」みたいな反応されました。
むしろ逆にこの本を知らないことのほうが驚… え、普通知らないって? いやだってこのシリーズは思わず揃えちゃうだろうよ!
