KV63の正体が分かったかもしれない &KV64、KV65の情報
以前、NHKの特番で取り上げられたKV63ですが、本棚の整理してたら思いがけずヒントが見つかった。
さきのエントリでは、「特番ではツタンカーメンの妃アンケセナーメンの墓だ! って言ってたけど、今の有力説ではただの物置きだよ。」というツッコミをしましたが、これを見たら逆にもうそれ以外ねぇだろって気になります。
ツタンカーメンの墓にも、セットになる物置きが発見されているのですが、その描写が驚くほどKV63に似ている。
資料は「ツタンカーメン発掘記」 ハワード・カーター(ちくま学芸文庫)。
このあと、壷の中には葬儀に使われた花輪やリンネルのスカーフもあった… などと書かれており、葬儀に使われた道具を一まとめにツボに押し込んで粗略な穴に保管する、という描写はKV63の状況にドンピシャリ。
「パピルスの地にぬいつけた花輪の首飾り」は、番組の中で、黒塗りの棺の中からもっさり出てきたのがしっかり映ってましたね。
ツタンカーメンの墓は狭く、中にはぎっしりと副葬品が詰まっていましたが、王の棺が納まる部屋は一番奥。つまり葬儀では最初に棺を納め、次に石棺を閉じて周囲に厨子を組み立て、玄室を閉ざしたあとに、その外側にある宝物庫を満たすという順序でやらねばなりません。先に副葬品を詰め込んじゃったら、ずっしり重くてかさばる黄金の棺を運び入れられませんからね^^;
葬儀が終わったあとに埋葬品を入れて墓を完成させる必要があった。だから副葬品を一時保管しておく場所が必要だった。それがKV63なのではないか。
もちろんミイラ作りの道具もあるのでミイラ作りにも使った可能性がありますが、中から出てきた、壷や棺に詰め込まれた品々は、会葬者の身につけた葬式用品と見て間違いなさそうです。あれだな、葬儀屋さんの倉庫に数珠とかお線香とかが積まれてるイメージ。
しかし、ツタンカーメンの時はKV63のような物置から名前が出てきたけれど、KV63から発見されたブツには王族らしい名前は無かったようで…? はてさて。
と、いうわけで関連するかもしれないKV64と65の情報を探してみました。
KV65が載ってませんが、相対的な場所はココ。ツタンカーメンの墓KV62のすぐ近くです。
発掘が進んでないようで、まだほとんど情報が出ていませんでした。
これらの墓は、地表から磁場探知して可能性のありそうなところを探索して見つけたものなので、ぶっちゃけ「在ることは判ってんだけど、まだ中にすら入れてないんですよ」状態。
去年の8月段階での情報ですが、「Egyptology News 」から。
KV64 Update
http://egyptology.blogspot.com/2008/01/kv64-update.html
「identified so far only by radar. 」レーダーによってしか存在を確認してないです、って言ってます。発掘者のブログに行けば、今現在どんな感じかもう少し情報あるかもしれんですね。少なくとも、これから、KV63に収められた品々の主が判明する可能性もあるわけです。或いは知られざるアマルナ王朝の更なる秘密が解き明かされるかも?
ていうかさっき調べたらKV66かもしれない反応もありました、ですってよ(笑)
王家の谷、予想以上に穴だらけだぜ…。
さきのエントリでは、「特番ではツタンカーメンの妃アンケセナーメンの墓だ! って言ってたけど、今の有力説ではただの物置きだよ。」というツッコミをしましたが、これを見たら逆にもうそれ以外ねぇだろって気になります。
ツタンカーメンの墓にも、セットになる物置きが発見されているのですが、その描写が驚くほどKV63に似ている。
資料は「ツタンカーメン発掘記」 ハワード・カーター(ちくま学芸文庫)。
そもそも彼がツタンカーメンの墓を発見する切っ掛けになったのは、先に発掘をしていたセオドア・デーヴィスが見つけた墓でした。中から見つかったのはガラクタばかりでしたが、デーヴィスは、それをツタンカーメンの墓なのだと断言。中はあらされてしまったのだと結論づけます。しかしカーターは、それは墓ではないと確信。本当の墓を探して近くを掘り進めます。そしてついにKV62、ツタンカーメンの本当の墓を発見するのです。
わたしたちのこの信念の理由を説明するために、わたしたちはデーヴィス氏の公表された発掘記の方に目を向けなければならない。
谷における作業の末期に、彼は岩の下にかくされていた、ツタンカーメンの銘をもつ一個の陶製盃を発見した。同じ地域で彼は小さな竪穴墳墓につき当たり、その中から無銘のアラバスター製像(たぶんアイの像)および壊れた木製の箱を発見した。
<中略>
これらの黄金薄片を根拠として、彼は実際にツタンカーメン埋葬場所を発見したと主張したのだった。
<中略>
彼はまた初期の作業中(1907-8)に、この墓からいくらか東によったところで、岩の横腹に不規則に掘られた穴の中に、かずかずの大きな陶器壷の隠匿所を発見した。それらの壷は、封印された口をもち、その方にはヒエログリフが刻まれていた。粗略な検査がその内容品について行われたが、単に陶片、リンネルの束、および他のガラクタがあるにすぎないように見えたので、デーヴィス氏はそれらに興味をもつことを拒んだ。
上巻144-145
このあと、壷の中には葬儀に使われた花輪やリンネルのスカーフもあった… などと書かれており、葬儀に使われた道具を一まとめにツボに押し込んで粗略な穴に保管する、という描写はKV63の状況にドンピシャリ。
ツタンカーメンの葬式を一部証明するものは、王の墓から少し離れた谷の中でセオドア・デーヴィス氏が1907、8年のころ発見した大きな陶器の壷の中の貯蔵品である。壷のなかの貯蔵物は、若い王の葬儀の間に使われたアクセサリーなどで、のちに集めて、壷の中に詰め込まれたものであった――それがエジプト人の埋葬の風習であったようすである。貯蔵物のなかには、ツタンカーメンおよび粘土製の王陵封印と、葬儀の場に会葬者が身につけていた一種の花輪の首飾りがあった。パピルスの地にぬいつけた花輪の首飾りは、黄金の棺で発見されたものと一対をなしており、陶器の瓶は墓の中から出たものと同じである。墓の発見によって、特定の遺物の封印がはがされ、陶器の瓶がこわれていることがわかったが、同時に、リンネルのかぶりもの、花輪の首飾りは王の葬儀の期間に織られたこともわかった。
下巻 87
「パピルスの地にぬいつけた花輪の首飾り」は、番組の中で、黒塗りの棺の中からもっさり出てきたのがしっかり映ってましたね。
ツタンカーメンの墓は狭く、中にはぎっしりと副葬品が詰まっていましたが、王の棺が納まる部屋は一番奥。つまり葬儀では最初に棺を納め、次に石棺を閉じて周囲に厨子を組み立て、玄室を閉ざしたあとに、その外側にある宝物庫を満たすという順序でやらねばなりません。先に副葬品を詰め込んじゃったら、ずっしり重くてかさばる黄金の棺を運び入れられませんからね^^;
葬儀が終わったあとに埋葬品を入れて墓を完成させる必要があった。だから副葬品を一時保管しておく場所が必要だった。それがKV63なのではないか。
もちろんミイラ作りの道具もあるのでミイラ作りにも使った可能性がありますが、中から出てきた、壷や棺に詰め込まれた品々は、会葬者の身につけた葬式用品と見て間違いなさそうです。あれだな、葬儀屋さんの倉庫に数珠とかお線香とかが積まれてるイメージ。
しかし、ツタンカーメンの時はKV63のような物置から名前が出てきたけれど、KV63から発見されたブツには王族らしい名前は無かったようで…? はてさて。
と、いうわけで関連するかもしれないKV64と65の情報を探してみました。
KV65が載ってませんが、相対的な場所はココ。ツタンカーメンの墓KV62のすぐ近くです。
発掘が進んでないようで、まだほとんど情報が出ていませんでした。
これらの墓は、地表から磁場探知して可能性のありそうなところを探索して見つけたものなので、ぶっちゃけ「在ることは判ってんだけど、まだ中にすら入れてないんですよ」状態。
去年の8月段階での情報ですが、「Egyptology News 」から。
KV64 Update
http://egyptology.blogspot.com/2008/01/kv64-update.html
「identified so far only by radar. 」レーダーによってしか存在を確認してないです、って言ってます。発掘者のブログに行けば、今現在どんな感じかもう少し情報あるかもしれんですね。少なくとも、これから、KV63に収められた品々の主が判明する可能性もあるわけです。或いは知られざるアマルナ王朝の更なる秘密が解き明かされるかも?
ていうかさっき調べたらKV66かもしれない反応もありました、ですってよ(笑)
王家の谷、予想以上に穴だらけだぜ…。
