アステカ帝国から現代メキシコへ 革命の裏側にあった被征服者の精神に対する考察
「メキシコ人は郷土料理をたらふく食べて惰眠をむさぼり、権威をふるうパドリーノ(ゴッドファーザー)の使用人になり、仕事場に遅れて行き、病気がちでわずかばかりの給料と休暇をもらい、闘牛を欠かさず見物に行き、遊興にふけり、パーティーにはいつも飾り立てた身なりで出席し、若くして結婚し子供をたくさんつくり、給料を使い果たし、祭祀や守護聖人のお祭りの前にはあちらこちらで借金をつくりそれで満足している。
子だくさんの親は政府に絶対服従である。その理由は貧乏が怖いからである。社会で指導的な立場に立つメキシコ人からしてそうである。専制主義、抑圧、圧政が恐ろしいのではない。貧困が怖いからである。パン、住まい、服がないこと、ひもじい思いに耐えられないのである。」
これはミシュテカ人出身の軍人にして、のちにメキシコの長となる人物、ポルフィリオ・ディアスが晩年に残したとされる言葉である。他国の人間が言えば「バカにしてんのかオイ」と言いたくもなる言葉だが、彼が言うなら仕方がない。
有名な言葉がもう一つある。
それは、現代のメキシコを訪れる旅行者の口からも時折り発せられることがある。
「メキシコには、ごく少数の全てを持つ人々と、大多数の何も持たない人がいる。」
これがメキシコ、かつてテノチティトランと呼ばれたアステカの首都を現在も中心とし、かつての国土の約半分をタダ同然でアメリカに譲り渡した国の、”ある一方向”から見た姿である。
私はメキシコに行った事はないし、たぶん今まで一度も意識してメキシコ人と話したことはない、が、メキシコというのはこのような一面を持つ国という認識を前提として話を進めて生きたい。
中間層の欠如、それは今も昔もメキシコを根底から支配する社会構造なのだろう。
古くは絶対存在たる王と神官に対する大多数の一般市民、スペイン支配時代は征服者たるイスパニア人と、被征服者たる現地人。つまりスペイン人の支配が始まっても、社会構造は大きく変わったわけではなかった。大多数を占める下々の住民にとって大事なのは、指導力のある主人が命令を下してくれること、最低限、暮らしていくのに十分な衣食住が与えられること、だったというのである。
最初に挙げたディアスの言葉も、そのことをさしている。人間の欲求とは、自然的かつ低次元な、「生存の可能性」を満たすことから始まる。それは古今東西普遍な生物としての真理である。
食うに困る人々は腹を満たすために暴動を起こすが、満たされればそれ以上は何も望まない。
だから、メキシコのイスパニアからの独立を最初に望んだのは、食うに困らないがメキシコで生まれたために本籍地がメキシコになっている「南米生まれのスペイン人」クリオージョたちだった。彼らが欲したのは、本国スペインからの独立と、自分たちが単独でメキシコを支配すること。しかし結局、この活動は失敗に終わる。なぜなら、当時のメキシコは、本国をはじめとするヨーロッパ諸国との交易なしに生きてはいけなかったから。そして現地住民たちも、支配者の鞍替えを望まなかった。
「何も持たない」人々に必要だったのは、民主主義でも、元から現地に住む人々による故郷の支配でもなかった。仕える相手がアステカの王かイスパニア人かの違いだけで、食うに困らなければどちらが上に立っていても良かったのである。
メキシコの原住民、アステカ人、ミシュテカ人、サポテカ人、その他多数の部族を被征服者として見る場合は、このことを覚えておく必要があると思われる。
彼らは、キリスト教への改宗に激しい抵抗はしなかった。
神が変わっても祭りがあれば良い。食っていけるなら贅沢でなくともよい。絶対神たる王が死んだとしても、王の代わりに税金を取り上げ、代わりに庇護をくれる誰かがいればよい。余計なことは考えない、人生は単純明快、気楽で楽しい生き方とも言える。
しかし、もちろん、これが全てではない。
メキシコは、スペイン支配の最初の100年間で人口の90パーセントを失っている。(参考資料)
原因は、スペイン人との戦争や内乱のほか、インフルエンザや天然痘など病原菌によるのだが、人口の圧倒的な不足により、国土の大半が無人に近い状態となっている。そのことがアメリカへの国土割譲にも繋がっていくのだが、この時代に多くの伝統、過去の歴史が消え去った。メキシコの歴史はいわばいったん途切れ、そこから再建されてきたものである。
現在残されているアステカ時代の年表や歴史書は基本的に、生き残った人々が自分たちの都合のいいように編纂しなおしたものだと思っていい。宗教も死んだ。キリスト教にかつて自分たちの持っていた宗教を融合させたのは、かつての信仰をそのまま維持できる知識階級の人口が無かったのも一つの原因だろう。いわばメキシコは、失った90パーセントの代わりにスペインの持ち込んだ血と伝統を取り込んで、枯れかけた木を再生したようなものだ。
独立運動の初期は、スペイン文化と土着文化を完全に断裂させようとする試みが行われている。しかしそれは不可能だった。独立戦争が始まった時点で、既にメキシコはスペイン文化と土着文化の完全な融合体となっており、どちらを殺しても木は枯れる運命にあった。失った人口を埋めるため、混血も進み、スペイン人でありながら土着民でもあるメスチソたちが人口の大きな割合を占めるようにもなっていた。
メキシコだけではないのだろうが、南米の多くの国々は、必ずしも、支配者を憎んで独立を望んだわけではないのだ。欲しかったのは、より大きな分け前である。19世紀、斜陽の時代に差し掛かりつつあったスペインに富を貢ぎ続ける関係から、対等な、或いはそれ以上の国として独立し、関係を結ぶことであった。
メキシコを革命へと突き動かした情熱は、だから、純粋な自由や平等を求める気持ちから発せられたものとは言えない。また、現地住民たちによる復権運動とも言いがたい。結局、メキシコにとっての革命とは何だったのか。独立戦争は何を目指していたものか?
「メキシコにおける革命に思想はない。そこにはただ、現実の断裂があるだけである」
オクタビオ・パスは、こう言っている。
アステカ帝国の終焉から数百年。メキシコは、土着民とスペイン人に加え、奴隷として連れてこられた多くの黒人をも内包する国になっていた。そのメキシコに、後戻りは許されなかった。戻ろうにも、失われた人口とともに過去の一部は永遠に死に絶え、純血を守ろうにも既に混血が人口の大半を占め、神殿やピラミッドは打ち捨てられて、絶対たる王も神も最早そこに存在しなかったのである。
だから、メキシコにおける革命は、過去と未来を不器用に接続しようとする試行錯誤の連続だった。
ある者は征服者たるスペインの影響をすべて排除しようとして失敗し、またある者はスペインを倣った君主制を取り入れようとして失敗した。独立から今日に至る近代メキシコの歴史は、欧米式の近代国家に生まれ変わらんと傷だらけになりながらもがいた歴史に見える。彼らは既に高度な文明と人口を抱えていた。にもかかわらず、その文明は近代国家として他国の間に立つには未熟だったのである。
足りなかったものは、何か。
メキシコも含む南米の人々は、地理的に閉ざされた世界で暮らしていた。
しかし大航海時代は、異なる世界に属する人々の出会いを意味していた。ヨーロッパとアメリカ大陸、そしてさらにアジアへと航路は延びていく。船は人と物資を運び、閉ざされていた世界は開かれる。閉じた世界の中で暮らしていた南米の人々にとっては、新たに接続されたヨーロッパやアジアこそ「新大陸」「新世界」であったはずだ。
持ち込まれた、天然痘やインフルエンザといった病原菌に対する免疫がなかっただけではない。彼らには、新世界との接触に対する免疫も無かったのだと思う。アステカは確かに輝かしい文明を誇った「帝国」ではあったが、小さな帝国でしかなかった。
国際競争力、という現代的な言葉が適切かどうかは分からないが、彼らに欠けていたものは、それだったのだと思う。閉ざされた世界で、決められた(自分たちが決めた)ルールに則って日々を暮らすことで維持されていた帝国は、「新世界」との衝突を前にしてもまだ、その意味を理解していなかった。そのために、帝国が失われた後も、かつてと同じ日々の暮らしの基本的な枠組みが守れるならば深いことは考えない、というスタンスで人々は暮らしていたのではないかと思う。
メキシコがかつてのアステカの装いを、今あるメキシコに変えられたのは、教育によって新世界に対する「免疫」を身につけた人々が登場したお陰なのではないか―― と、思う次第である。