古代エジプト人の水泳

なんか別のこと調べてたら出てきたのでついでに。


以前、掲示板のほうにネタ投稿していただいたアレ
ラメセス2世時代の「カデシュの戦い」のレリーフに、背泳ぎのシーンがある とオリンピック金メダリストが書いてあるんですな。しかし文章に添えられた図を見ると、どう見てもこれエジプト人じゃない。

画像


「カデシュの戦い」は、シリア遠征していったエジプトがオロンテス川付近でヒッタイトと戦ったもの。
この図はそもそも敵側のヒッタイトじゃないのかと。しかも実際は引き分け、またはヒッタイト側のやや勝利くらいで終わっているのにも関わらず、負けず嫌いのエジプトの王様は国内の神殿に「我が軍大勝利! 偉大なファラオ様万歳!」という記録を残していたので、ヒッタイト側はボロ負け扱いの描き方なのです。

なので、背泳ぎしたかどうか以前に、死にかけた捕虜に助かってもらっちゃダメだろう、と。


これについて、エジプト人のスポーツを取り扱った資料によれば、エジプト人はナイル川の側に暮らしているからある程度泳ぎは知っていた、知識階級や武人に属する人々は教育として水練も受けていたが、外国人は泳げなかった、となっていました。


エジプト人の見解では、敵国人は泳げず、この欠点がファラオに屈服する根拠となった。有名なカデシュの戦いでは、ラメセス2世(第19王朝)の治世5年目に、ヒッタイト軍がオロンテス川でエジプト人に罠を仕かけた。しかしエジプトの記述によると、王の人間離れした勇猛果敢な活躍の前では、結局ものの数ではなかった。この時、敵の君主は今日も行われる方法で溺死を免れている。家臣たちは君主を頭上にかつぎ、溺れないようにしたのだが、この方法は指導者の威厳にまったくそぐわない。

「古代エジプトの遊びとスポーツ」 W.デッカー 法政大学出版会



 ×背泳ぎ

 ○担がれてる


だめじゃん! 背泳ぎどころか泳げてないよ敵!!
鈴木大地さん… これチガウヨ…。


人類における最古の水泳の記録は、リビアの岩に描かれた、バタフライしているように見える絵だそうです。かつてサハラがまだ緑であった頃、リビアの川で古代の人々は泳いでいたらしい。しかしあくまでそれは、河川を生活に取り入れるための狩りや渡航を意味する泳ぎだったと思われます。

エジプトにおいては、個人墓の壁画に描かれた猟師さんが船からおっこち(?)て泳いでるように見えるシーンがあったり、水遊びをするシーンがあったりしますかね。日常的に水辺で暮らしてると、子供の頃に水遊びをしてるうちに自然と泳ぎ方は覚えていくんじゃないでしょうか。ヒッタイトも「赤い河」で知られる大河川があるので、川沿いの人は泳ぎを知ってそうですけどねえ。

ちなみにナイルはめちゃくちゃ流れがゆるいので、ナイルで泳ぎを覚えても、海では泳げなかったはずです…



そんなかんじで。




古代エジプトの遊びとスポーツ (りぶらりあ選書)
法政大学出版局
ヴォルフガング デッカー


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↑なかなか面白い。エジプト人のおもちゃとか載ってます

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