メソポタミアに宦官はいて、エジプトには宦官がいない

夏の名古屋オフの時に挙がった、「エジプトに宦官なんていたっけ?」という話題をまだ引っ張っている。

結論から言うと、エジプトには宦官がいない。というか、いたという証拠が見当たらない。メソポタミア、特にシュメール・アッカドには、宦官がいたという証拠が大量にある。元になった議論の発端である本には戦争奴隷の去勢についても書かれていたが、メソポタミアでは戦争奴隷が去勢されることが一般的であるのに対し、そもそもエジプトは去勢をあまり行っておらず、たとえ量刑であっても性器に刑罰という方法は選択していないようだ。

シュメル語で、虚勢された若者は「アマルク(ド)」という。本来の意味は虚勢された若い牛、だが、実際は戦争捕虜とされた少年たちにも使われていたらしい。これは戦争になったら男はとりあえずヌッ殺し、女と子供だけつれてきて、少年は去勢とて使う… という考えに端を発する。

また少し時代が後になり、アッカドでは、サルゴン2世に付き従う、ひげのない宦官の男性のレリーフや、書記・神官として出世した宦官たちの記録が残されている。おそらく、宦官は一般的な存在で、しかも宦官になることである意味出世が約束されるようなところもあったのだろう。

エジプトではそうした文化が一切見られない。



なぜか… ということを考えた時、真っ先に思い当たるのが男性機能を失わせる必要性の有無。



いったん取っちゃったものはまた生えてくるわけもなし、虚勢された人は一生どっちつかずな状態で生きていくしかない。たとえば戦争捕虜を虚勢するのは、男でなくすることによってその捕虜が復讐する可能性を永遠に無くすためだろう。メソポタミアで虚勢が必要とされたのは、今回は勝利できた敵対都市に次もまた勝てるとは限らず、その時に奴隷たちが元の都市を手助けして自分たちに刃を向けないためだ。
そして宦官が出世できたのは、宦官になることによってその人物は王位を簒奪する資格を放棄したことを意味するからだったから、だろう。


自らを神の化身とするエジプトの絶対王権に対し、メソポタミアの王たちは神から選ばれし第一神官くらいの位置づけだった。神である王と、神のしもべである王、である。王権が弱いということは、それだけ誰かに簒奪される危険性も高い。同じ神官の中から、我こそは新しく神に選ばれた者と称して新たに王を名乗る者が現れないとも限らない。そこであらかじめ虚勢しておけば、いくら神官として高位になろうが、名誉を獲得しようが、王の競争相手にはなり得ない。

そんなところなんじゃないかと思う。




…しかしエジプトで宦官な神官の記録とか、探してもないぞー…。

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