古代エジプト 王朝成立以前の長距離交易 ~ラピスラズリ編~
ここに、一つの青い宝石がある。ラピス・ラズリ(Lapis lazuli)、世界中でも限られた場所でしか採れず、エジプトにおいては金銀以外のあらゆる宝石の中で最も貴重とされた天の色の石だ。
これがエジプトの墓から出てきたと言ったら、人はどのようにして手に入れたと思うだろうか?
貿易、そう、もちろんそれは正しい答えである。しかし石の発見された墓が、まだ王朝の成立する以前の「ナカダⅡ期」という時代だと知ったら、どんな顔をするだろうか。
ラピス・ラズリは、エジプトから3700km以上も遥かに離れた、アフガニスタンまで行かなくては手にはいらないのである。古代人は、本当にそんな遠くまで行ったのか? どのようにして? この青い石は、一体どうやってエジプトまでたどり着いたのだろうか。
ここで「歴史みすてりー!」とか言っちゃうと
そこはかとなく安っぽい民放バラエティ臭が醸しだされますよね。(毒
まあ答えを言っちゃうと、古代エジプト人はアフガニスタンまで行ってない。
中継都市があったんですわ。
こんなカンジで。
Sumer シュメル
Dilmun ディルムン
Magan マガン
Meluhha メルッハ
そしてアフガニスタンの端っこ、ラピスラズリを産出する場所の名前が
Badakshan バダクシャン
ディルムン、マガン、バダクシャンの名前は、紀元前2300年頃のアッカドの文献から来ているので、紀元前3500年のナカダⅡ期と1000年ズレてしまうのが難点だが、文献に残っていないだけで、その辺りに昔から都市国家があったという前提で話を進めてみる。
エジプトからアフガニスタンにチョクだとめちゃくちゃ遠いが、バダクシャンからメルッハのあたりだと かなり近い。で、メルッハからシュメルもしくはディルムンに輸出すれば、エジプトはすぐそこに。ちょうどナカダⅡ期のあたりからエジプトの東の隣接するパレスチナにエジプト人の町がつくられていたようなので、おそらく、そこをハブとしてエジプト国内に貴重品を輸入していたのだと思われる。
エジプトに出現するラピスラズリは、古代に栄えた都市国家を結ぶ交易網の賜物だったというわけ。
これらの都市が交易を行っていた証拠としては、たとえばメソポタミア特有の「印章」の発見がある。
シュメル語の書かれた印章がメルッハから出てくるとか、ディルムンとメルッハで使っている単位(秤)が同じだとかいう物的証拠から、都市間で交易されていたことが証明できます。エジプトからも印章は出てきているので、王朝成立以前にある程度シュメルの影響を受けていただろうとは言われていて、定期的な人の行き来はあったと見ていいようだ。
(※ただし、まだ完全に解明されてるわけじゃないので、輸入経路は今後情報が変わる可能性アリ)
エジプトで最古のラピス・ラズリが発見されている時代、ナカダⅡ期というのは、エジプトに統一王朝が出来る前の時代に位置し、「ナカダ」は代表的な遺跡の名前から来ている。エジプトの南部(ナイル上流)から広がりはじめた文化なわけですが、この文化がやがてナイル下流まで広がる。なので、エジプトを最初に統一したのはナイル上流にいた王家だったというのが、今のところ最も支持されている説になる。
統一王朝はまだ出来ていないとはいえ、ナカダⅡ期には既に、のちのファラオ時代のエジプトの基礎は出来始めてます。のちのファラオほどの権力者はいないとはいえ、各地方に「族長」「酋長」程度の人はいた、ということ。
貴重な宝石なんてものを欲しがるのは、特権階級に限られます。まして遠方との交易を可能にするには、交渉、目利き、外国語などの特殊スキルを持ったエキスパートも必要。国内に輸入した貴重な宝石を加工する細工師も必要…。
かくてエジプトは多数の専門家集団を抱える国家に成長し、この時代から工芸大国への道を歩み始めるのであった。
たった一つの石が、エジプトと、遠いアジアを結ぶ道を教えてくれた。
千里の道も一歩から。その出発点は6千年前の王の墓。
きらびやかな王たちの装身具、あのツタンカーメンの豪華絢爛な副葬品の数々も、古代から発達してきた遠距離交易網と専門家集団がなければこの世に生まれることはなかっただろう。
ちなみにタイトル「ラピスラズリ編」なのは、余力があったら金編もやろうかなーと思ったから。
宝石と同じく、金も中継都市があったですよ。まあ…そっちは… 気が向いたら…?(おい)
これがエジプトの墓から出てきたと言ったら、人はどのようにして手に入れたと思うだろうか?
貿易、そう、もちろんそれは正しい答えである。しかし石の発見された墓が、まだ王朝の成立する以前の「ナカダⅡ期」という時代だと知ったら、どんな顔をするだろうか。
ラピス・ラズリは、エジプトから3700km以上も遥かに離れた、アフガニスタンまで行かなくては手にはいらないのである。古代人は、本当にそんな遠くまで行ったのか? どのようにして? この青い石は、一体どうやってエジプトまでたどり着いたのだろうか。
ここで「歴史みすてりー!」とか言っちゃうと
そこはかとなく安っぽい民放バラエティ臭が醸しだされますよね。(毒
まあ答えを言っちゃうと、古代エジプト人はアフガニスタンまで行ってない。
中継都市があったんですわ。
こんなカンジで。
Sumer シュメル
Dilmun ディルムン
Magan マガン
Meluhha メルッハ
そしてアフガニスタンの端っこ、ラピスラズリを産出する場所の名前が
Badakshan バダクシャン
ディルムン、マガン、バダクシャンの名前は、紀元前2300年頃のアッカドの文献から来ているので、紀元前3500年のナカダⅡ期と1000年ズレてしまうのが難点だが、文献に残っていないだけで、その辺りに昔から都市国家があったという前提で話を進めてみる。
エジプトからアフガニスタンにチョクだとめちゃくちゃ遠いが、バダクシャンからメルッハのあたりだと かなり近い。で、メルッハからシュメルもしくはディルムンに輸出すれば、エジプトはすぐそこに。ちょうどナカダⅡ期のあたりからエジプトの東の隣接するパレスチナにエジプト人の町がつくられていたようなので、おそらく、そこをハブとしてエジプト国内に貴重品を輸入していたのだと思われる。
エジプトに出現するラピスラズリは、古代に栄えた都市国家を結ぶ交易網の賜物だったというわけ。
これらの都市が交易を行っていた証拠としては、たとえばメソポタミア特有の「印章」の発見がある。
シュメル語の書かれた印章がメルッハから出てくるとか、ディルムンとメルッハで使っている単位(秤)が同じだとかいう物的証拠から、都市間で交易されていたことが証明できます。エジプトからも印章は出てきているので、王朝成立以前にある程度シュメルの影響を受けていただろうとは言われていて、定期的な人の行き来はあったと見ていいようだ。
(※ただし、まだ完全に解明されてるわけじゃないので、輸入経路は今後情報が変わる可能性アリ)
エジプトで最古のラピス・ラズリが発見されている時代、ナカダⅡ期というのは、エジプトに統一王朝が出来る前の時代に位置し、「ナカダ」は代表的な遺跡の名前から来ている。エジプトの南部(ナイル上流)から広がりはじめた文化なわけですが、この文化がやがてナイル下流まで広がる。なので、エジプトを最初に統一したのはナイル上流にいた王家だったというのが、今のところ最も支持されている説になる。
統一王朝はまだ出来ていないとはいえ、ナカダⅡ期には既に、のちのファラオ時代のエジプトの基礎は出来始めてます。のちのファラオほどの権力者はいないとはいえ、各地方に「族長」「酋長」程度の人はいた、ということ。
貴重な宝石なんてものを欲しがるのは、特権階級に限られます。まして遠方との交易を可能にするには、交渉、目利き、外国語などの特殊スキルを持ったエキスパートも必要。国内に輸入した貴重な宝石を加工する細工師も必要…。
かくてエジプトは多数の専門家集団を抱える国家に成長し、この時代から工芸大国への道を歩み始めるのであった。
たった一つの石が、エジプトと、遠いアジアを結ぶ道を教えてくれた。
千里の道も一歩から。その出発点は6千年前の王の墓。
きらびやかな王たちの装身具、あのツタンカーメンの豪華絢爛な副葬品の数々も、古代から発達してきた遠距離交易網と専門家集団がなければこの世に生まれることはなかっただろう。
ちなみにタイトル「ラピスラズリ編」なのは、余力があったら金編もやろうかなーと思ったから。
宝石と同じく、金も中継都市があったですよ。まあ…そっちは… 気が向いたら…?(おい)
