ミイラの語源は、没薬(ミルラ)ではなく瀝青(ムンミヤ)であるという話。
日本語の個人サイトだとかなりの割合で誤解されている「ミイラ」の語源だが、乾燥した遺体としての「ミイラ」の語源は瀝青(ビチューメン)のことである。いってみればアスファルトみたいなもんである。
昨晩、夢の中で誰かにそんな話をした覚えがあるので、再び夢に落ちる前に書いておく。
まずは、英語ではミイラを「Mummy(マミー)」ということを思い出していただきたい。
オランダ語ではモミイ。実は日本でも最初は木乃伊と書いてモミイと読んでいた。
今でいう乾燥した遺体は「モミイ」だったのである。
ミイラというの言葉の語源は、アラビア語ではムンミヤ。ムンミヤは瀝青をあらわす言葉である。
時は十字軍の時代、当時はヨーロッパよりもアラビア諸国のほうが学問が進んでいた。ヨーロッパから大挙して聖地に向けて突っ込んで行った十字軍兵士たちは、イスラム教徒の医師たちの先進的な看護を受けて大いに驚く。中でも、異国の医師たちが使用する物質「ムンミヤ」がよく効く。これは万能薬に違いないと思い込んだ。当時ヨーロッパは、無知のさなかにあった。
万能薬「ムンミヤ」がアスファルトのことだとは気づかず、気づいたとしても油田の豊富なアラビアならいざ知らず、ヨーロッパではそう簡単に手に入らない。勘違いの果てに、黒ずんだ色をしているエジプトのミイラを見て、「きっとムンミヤとは、死体に化学薬品を塗りつけて変化させたものに違いない」と思い込んだ。
実際、エジプトのミイラも一部に瀝青が使われていた。が、それはかなり後の時代になってからで、高価な樹脂を使ったミイラを作ることが出来なくなり、瀝青で安価に死体処理をするようになってからの話だ。
もちろん瀝青自体は万能薬ではないし、まして人間の死体に塗ったところで薬になるわけがない。
しかし呪いや祈祷すら医術であった時代のヨーロッパにとって、それはまさに奇跡の薬となりえたのだ。
もちろん本物のムンミヤが何であるかを知っているアラビアの医師たちは、ミイラを薬として扱ったことなどない。が、ヨーロッパにとって「黒ずんだ人間の乾燥遺体」=「ムンミヤ」=薬であり、本来ムンミヤであるところの瀝青の存在は忘れ去られた。
つまりムンミヤは、アラビアでは瀝青のこと、ヨーロッパにおいては薬を意味するものとして、同じ言葉ながら文化の違いで意味が取り違えられてしまったのである。
当初は「薬」を意味したムンミヤという言葉が、乾燥遺体そのものを指す言葉となったのは後になってからだ。
ミイラ薬の情報は、やがてシルクロードを通って中国に到達し、江戸時代には日本にやって来る。
もちろん日本で本物のエジプトミイラが手に入るわけがなかったが、怪しげな「万能薬」は江戸時代から盛んに使われていたという。中国語からの借用語で木乃伊という表記があり、当初はポルトガル語の発音でモミイと読まれた。
それと同じ頃、香料であるミルラも伝わってくる。これは中国語からの借用語で没薬と書かれ、読み方はミイラだった。これは、「Myrrh」という言葉の発音をどうカタカナで書くかによる。ミルラは、瀝青が使われだすより以前のエジプトミイラに使われた。高価な香料だったので、王族などの遺体にしか使えなかった材料だ。
ミルラは、地中海では馴染みのある、ありふれた物質であり、ヨーロッパにとって万能薬と取り違えるような未知の物質ではなかった。しかし日本人にとっては全くなじみがない。そして、日本人にとってそれは、ムンミヤと同じく、遥か遠くの先進的な国々からもたらされる高価な「薬」だったのである。
つまり日本において、「ミイラ」は本来、香料である没薬(現在はミルラ)を指す言葉で、乾燥遺体のほうの「ムンミヤ」とは区別されていたのである。
ムンミヤとミイラ、現在でいうところのミイラとミルラが、どのようにして混同され、取り違えられたのかは分からない。少なくとも、新井白石は乾燥遺体と香料の区別がついていた。しかし混同される条件は確かに備わっていた。良く似た言葉、どちらも薬、おまけに紛らわしいことにエジプトのミイラには瀝青も没薬も実際に使われていた。
いつからかは分からないが、かつてムンミヤと呼ばれた乾燥遺体はいつのまにかミイラと呼ばれるようになり、かつてミイラだった香料はミルラになった。
そして勘違いは今に至る。
だが、勘違いというならば、そもそもの勘違いの始まりは、十字軍時代のヨーロッパの人たちなわけで、アラビア語でのムンミヤはそもそも瀝青のことのはずである。それをしかも防腐処理をした死体から加工した薬だと思い込んで乾燥遺体をムンミヤと呼んだのが第一段階、さらに極東の島の住人が、その遺体と没薬を関係づけてミイラと呼んだのが第二段階。日本語のミイラは英語のマミーと同系統ですらない。それはもともと香料を指していた言葉なのだから。
…と、いうわけで、たかが単語一つといえど、歴史をたぐれば思いがけない深淵を覗き込むことになる。
文化圏を越えるとき、言葉は元の意味すらさっくり捨てていくことがあるのだということ。言葉は世界を一つにすると同時に、どうしようもない決定的な常識の断絶をも見せ付けるものである。
昨晩、夢の中で誰かにそんな話をした覚えがあるので、再び夢に落ちる前に書いておく。
まずは、英語ではミイラを「Mummy(マミー)」ということを思い出していただきたい。
オランダ語ではモミイ。実は日本でも最初は木乃伊と書いてモミイと読んでいた。
今でいう乾燥した遺体は「モミイ」だったのである。
ミイラというの言葉の語源は、アラビア語ではムンミヤ。ムンミヤは瀝青をあらわす言葉である。
時は十字軍の時代、当時はヨーロッパよりもアラビア諸国のほうが学問が進んでいた。ヨーロッパから大挙して聖地に向けて突っ込んで行った十字軍兵士たちは、イスラム教徒の医師たちの先進的な看護を受けて大いに驚く。中でも、異国の医師たちが使用する物質「ムンミヤ」がよく効く。これは万能薬に違いないと思い込んだ。当時ヨーロッパは、無知のさなかにあった。
万能薬「ムンミヤ」がアスファルトのことだとは気づかず、気づいたとしても油田の豊富なアラビアならいざ知らず、ヨーロッパではそう簡単に手に入らない。勘違いの果てに、黒ずんだ色をしているエジプトのミイラを見て、「きっとムンミヤとは、死体に化学薬品を塗りつけて変化させたものに違いない」と思い込んだ。
実際、エジプトのミイラも一部に瀝青が使われていた。が、それはかなり後の時代になってからで、高価な樹脂を使ったミイラを作ることが出来なくなり、瀝青で安価に死体処理をするようになってからの話だ。
もちろん瀝青自体は万能薬ではないし、まして人間の死体に塗ったところで薬になるわけがない。
しかし呪いや祈祷すら医術であった時代のヨーロッパにとって、それはまさに奇跡の薬となりえたのだ。
もちろん本物のムンミヤが何であるかを知っているアラビアの医師たちは、ミイラを薬として扱ったことなどない。が、ヨーロッパにとって「黒ずんだ人間の乾燥遺体」=「ムンミヤ」=薬であり、本来ムンミヤであるところの瀝青の存在は忘れ去られた。
つまりムンミヤは、アラビアでは瀝青のこと、ヨーロッパにおいては薬を意味するものとして、同じ言葉ながら文化の違いで意味が取り違えられてしまったのである。
当初は「薬」を意味したムンミヤという言葉が、乾燥遺体そのものを指す言葉となったのは後になってからだ。
ミイラ薬の情報は、やがてシルクロードを通って中国に到達し、江戸時代には日本にやって来る。
もちろん日本で本物のエジプトミイラが手に入るわけがなかったが、怪しげな「万能薬」は江戸時代から盛んに使われていたという。中国語からの借用語で木乃伊という表記があり、当初はポルトガル語の発音でモミイと読まれた。
それと同じ頃、香料であるミルラも伝わってくる。これは中国語からの借用語で没薬と書かれ、読み方はミイラだった。これは、「Myrrh」という言葉の発音をどうカタカナで書くかによる。ミルラは、瀝青が使われだすより以前のエジプトミイラに使われた。高価な香料だったので、王族などの遺体にしか使えなかった材料だ。
ミルラは、地中海では馴染みのある、ありふれた物質であり、ヨーロッパにとって万能薬と取り違えるような未知の物質ではなかった。しかし日本人にとっては全くなじみがない。そして、日本人にとってそれは、ムンミヤと同じく、遥か遠くの先進的な国々からもたらされる高価な「薬」だったのである。
つまり日本において、「ミイラ」は本来、香料である没薬(現在はミルラ)を指す言葉で、乾燥遺体のほうの「ムンミヤ」とは区別されていたのである。
ムンミヤとミイラ、現在でいうところのミイラとミルラが、どのようにして混同され、取り違えられたのかは分からない。少なくとも、新井白石は乾燥遺体と香料の区別がついていた。しかし混同される条件は確かに備わっていた。良く似た言葉、どちらも薬、おまけに紛らわしいことにエジプトのミイラには瀝青も没薬も実際に使われていた。
いつからかは分からないが、かつてムンミヤと呼ばれた乾燥遺体はいつのまにかミイラと呼ばれるようになり、かつてミイラだった香料はミルラになった。
そして勘違いは今に至る。
だが、勘違いというならば、そもそもの勘違いの始まりは、十字軍時代のヨーロッパの人たちなわけで、アラビア語でのムンミヤはそもそも瀝青のことのはずである。それをしかも防腐処理をした死体から加工した薬だと思い込んで乾燥遺体をムンミヤと呼んだのが第一段階、さらに極東の島の住人が、その遺体と没薬を関係づけてミイラと呼んだのが第二段階。日本語のミイラは英語のマミーと同系統ですらない。それはもともと香料を指していた言葉なのだから。
…と、いうわけで、たかが単語一つといえど、歴史をたぐれば思いがけない深淵を覗き込むことになる。
文化圏を越えるとき、言葉は元の意味すらさっくり捨てていくことがあるのだということ。言葉は世界を一つにすると同時に、どうしようもない決定的な常識の断絶をも見せ付けるものである。