インカ「帝国」と歴史の記録者たち: タワンティンスーユはいつから「帝国」になったか

エジプトって何で帝国と呼ばれないんだろうね? という話から発展した、インカ「帝国」のお話。
そのものドンピシャな本を発見したので確保してきた。




最初にこの本と出合ってれば、疑問を抱くこともなく真っ直ぐ進めたんだな^^;

まず前提として、「帝国」とはもともとローマ帝国を指す言葉。ローマの支配する範囲が帝国=エンパイアと呼ばれていたのが始まりになる。

しかし西ローマ崩壊後、帝国の後継者であると名乗る王たちが各地に出現。自らの支配地を「帝国」と呼ぶことによって帝国という単語の意味が拡大/変容していった。また、帝国の王である「皇帝」は、唯一絶対の王、王の中の王、というような意味合いを持っていたため、王国に「皇帝」と名乗る王がいたりする状況もあったらしい。


タワンティンスーユとは「四つの州」を意味する。インカという言葉自体、「帝国」と同様、ここにやってきたスペイン人が使ったことから国名にされた言葉で、インカというのは支配者を意味する言葉に過ぎなかった。つまり「タワンティンスーユの王族」=インカ、ってこと。

スペイン人の支配初期には、「帝国」という呼ばれ方はせず、「REINO(kingdom)」や「REY(king)」が使われていた。

「INCA」が使われだすのは明確に1550年代に入ってからで、最初に「IMPERIO(empire)」「EMPERADOR(emperor)」の単語を使ったのは、ペドロ・デ・シエサ・デ・レオン。 DOLだと時々すれ違うNPCだよね それまでの旅行記・歴史書などで帝国という単語の使用回数が0なのに、この人からいきなり50回以上と使用頻度が跳ね上がっている。

ほかに多いのが1600年代のミゲル・カベーリョ・バルボア、インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガの著作。

逆に言うと、この三人以外にインカを積極的に「帝国」と呼んだ記録者はいないというのが、この本の統計結果から読み取れる内容になる。


そもそもなぜインカが帝国と呼ばれるようになったのか。それは、インカ国土を縦横無尽に貫く街道、いゆわる「インカ道」がローマのそれと比されたからというのが発端のようだ。「帝国」といえばローマ。ローマといえば、「すべての道はローマに通ず」といわれるように優れた街道システムを持っていた国。それと同じく、絶対権力者が中心に据えられ、権力者の命により優れた街道を作り上げたことで、インカはローマと比較される「帝国」になった。

初期にはインカの王たちが「皇帝」と呼ばれなかったのも、このあたりに事情があるかもしれない。
つまり、国のシステム自体はローマ帝国に似ていたが、王権のあり方や役割はローマ皇帝に似ていなかった、と。あるいは、ローマ皇帝とインカ王が同等の存在に思われては困る、そのようには考えられない、格が違う、といった感覚か。やはりここでも、「帝国とは何であるか」という基準よりも、「ローマに似てるか似てないか」が優先されたように思える。


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インカが帝国と呼ばれるようになったのはいつか。
それは16世紀半ばのシエサ・デ・レオンの時代である。

ちなみにシエサ・デ・レオンの書いたものは、邦訳もある。

インカ帝国史 (岩波文庫)
岩波書店
シエサ・デ レオン

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持ってはいるが、あんま面白くないので詳しく読んでいなかったりする。(オイ)

雰囲気としてはタキトゥスの「ゲルマーニア」なんかに似ていて、文明人たる俺が見た、異境のインディオどもについて書いてみるぜ!! 的なもの。当時の貴重な風俗を詳しく書き記してくれてはいるものの、当然ながら偏見や勘違いも入っているので、読むときは何が正しいのか慎重に考えないといけない、扱いの難しい資料だと思う。



その後、バルボアやガルシラーソがインカを帝国として表現しはじめ、「インカ帝国」が単語として定着するのは18世紀からと言っていい。しかし注意すべきは、「帝国」と「皇帝」が常に同時に使われるとは限らなかった点である。インカ「帝国」と表現しながら、インカ王は「王」と書かれているケースが多い。



インカは帝国と自称したことはなく、歴史の記録者たちにそう呼ばれることによって帝国に「なった」パターンであった。



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ちなみにこの本、インカ(=現在のペル-)の近代史なんかにも言及していて、インカコーラの話も出てきます(笑) スペインはインカを征服したが、コカ・コーラはインカを征服出来なかった。

なかなか面白い本でした。

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