マネトーと「エジプト誌」の時代 ~ その2
前エントリからの続きである。
https://55096962.seesaa.net/article/201002article_20.html
マネトーが生きた時代、それは、エジプトを含む地中海世界に「歴史あるもの、伝統のもの」が尊ばれる価値観が存在した時代だった。
その中で、いわば「ぽっと出の王家」であるプトレマイオス1世とその一族、さらに築かれたばかりの首都アレクサンドリア。王家と新たな首都を、それまでのエジプトの歴史と伝統に繋げ、枠組みの中に取り入れること、いわば新王制の「格式を上げること」が、マネトーの一つの使命であったと思われる。
この前提を知っていると、ギリシャの歴史家ヘロドトスが、自身の著作「歴史」のエジプトに割かれた部分「巻のニ」を、「エジプトの歴史はどこより古く、どこより新しいか」という内容から書きはじめたことに対する感想は、また違ってくるのではないかと思う。
怪しげな伝聞("赤ん坊をヤギと一緒に育てたら、最初に発した言葉がフリュギア人の言葉で「パン」を意味するベコスだったから、最も古い文明はフリュギア人のそれだ"というもの)を元にしているものの、エジプトはフリュギア人より新しいから最古ではないが、それ以外の文明よりは古く、ギリシャなどものの比ではないと主張している―― と述べている。
また、ギリシャの神々が元はエジプトの神であったというような説も本気で考えていたようだ。
ヘロドトスがエジプトで見聞きしたエジプトの歴史の内容は、マネトーの「エジプト誌」の残されている部分ともだいたい一致する。マネトーやヘロドトスの生きていた時代、古代エジプト語はまだ普通に使われていた。過去の歴史は失われておらず、歴史の古さを主張するには、壮麗な神殿を経巡って、その壁に刻まれた過去の王たちの名前を読み上げるだけで事足りたのである。
エジプトは、歴史の古さからいえばギリシャをはるかに凌駕する。これは事実である。
ギリシャ人にとっては、歴史負けしたということで、ある意味「くやしい」思いをしていたのかもしれない。
たとえば「ピラミッド」や「オベリスク」など現代に残るエジプトの巨大遺物の名称は実はギリシャ語なのであるが、これはそれぞれ、「三角形のお菓子」と「焼き串」を意味する名称だった。敢えて日常品の名前で呼ぶことで、「すごそうに見えるけど大したもんじゃないやい」と去勢を張ったようにも見える。まぁそんなことをしてるから、現在では、ピラミッドもオベリスクも本来の意味ではなくエジプトのものを意味する言葉として世界中に認知されちゃってるわけですが。(本来の意味でこの言葉を思い出す人よりはるかに多いはず)
しかし、この「格式勝負」の中、エジプトに圧勝してもらっては困る人たちがいた。
ユダヤ人である。
旧約聖書において、ユダヤ人は、神の声に従ったモーセに率いられてエジプトから脱出し、約束の地へたどり着いた「選ばれし民」だったということになっている。しかしエジプト側から見たユダヤ人、エジプト誌に記述された彼らは、エジプトから追放された、汚れた人々の集団だった。
ハンセン病という病気がある。(かつて「らい病」と呼ばれていたものと同じ)体中が腐って崩れていく難病だ。
古代には、この病は神の罰とか呪いとか解釈されて恐れられ、罹患すると隔離されるのが普通だった。アニメ「もののけ姫」でタタラ場にいる包帯だらけの人々もそれだ。
マネトーによれば、「出エジプト」の民は、町から追い払われ、採石場などで働かされていたハンセン病患者と、耳や鼻をそぎ落とされた犯罪者の集団であったという。
"アメノフィスの時代、レプラ患者と汚れた者たちがヒエロソリュマに追放されていた羊飼いたちと合同してエジプトに遠征した。彼らが従っていたのはオサルフォシス(オシリスにちなんだ名前らしい)を改め、モーセと呼ばれた男である"
ここではモーセは、ハンセン病を患い、ヘリオポリス(現在のカイロ近郊に当たる太陽信仰の中心地)から追放された者と書かれている。
また、以下にような記述もあり、追放された人々とヒクソスと同一視していたことも伺える。
"ヒュクソスの支配の後、トトメスの時代になされた和平の取り決めにより、24万を越えるヒクソスの民はエジプトを出て現在ユダイヤと呼ばれている土地に都を作りヒエロソリュマ(エルサレム)と呼んだ"
※これらはいずれも、ヨセフスの「アピオーンへの反論」に引用された記述
アレクサンドリアには、建設から僅かのち、既に多数のユダヤ人が住み着いていた。
彼らからしてみれば、自分たちの誇るべき祖先がエジプトを追放された病人と犯罪者の集団で、自分たちのいわばヒーローであるモーセもまた病人だったとか、そんなことを言いふらされるとヤバいのである。歴史の古さと伝統がものをいう世界、ユダヤ人とは追放された人々だなどとレッテルを貼られれば社会的な死を意味する。
ユダヤ人がとった対抗策は、自分たちの持つ古伝承を広めようとする試みだった。
旧約聖書を形成する「創世記」、「出エジプト記」は、真っ先にギリシャ語に翻訳され、アレクサンドリアのユダヤ人たちの間に広められた。それは、自分たちの持つ歴史の正当性を訴え、マネトーが言うことは間違いなのだと世間と仲間に認めてもらうためである。何しろ、そうしなければユダヤ人というアイデンティティも、異国の地での民族としての団結も崩れてしまうのだから。
ここでギリシャ語が選ばれたのは、当時のアレクサンドリアで使われていたのが主にギリシャ語だったから、そして、故郷を遠く離れて暮らす二世、三世は、すでにヘブライ語を理解できなくなっていたたろと思われる。こうしてギリシャ語訳から、ユダヤ人は旧約聖書(自分たちの歴史)を学び、エジプトに住む他の人々に自分たちの正当性を訴えかけたのである。
エジプト誌の歴史 vs ユダヤ人の歴史 、エジプト誌 vs モーセ五書 と言ってもいい。
これは、旧約聖書の中で、やたらとエジプトを意識した(エジプト叩きな)記述がされていることを考えると、なかなか興味深い。
しかし結論から言うと、エジプトを意識しすぎたことで、モーセが実はエジプト人だったという可能性を大きくしてしまう結果となっている。
モーセはエジプトの王女が川から拾い上げ、王子として育てた子であるとか、実はユダヤ人であるとかいう話は、あまりにドラマチックすぎ、胡散臭くなってしまっている。オリエント世界の中で、ユダヤ人とエジプト人だけが割礼(性器の皮を切り取る儀式)の習慣を持っていたことも、彼らが過去に同一か、深い関係を持ち、同じ文化を共有していた可能性を示唆するものだと思う。
また、誰かの出生を後から尊いものにして強調しようとする試みは、逆に、実際は大した生まれでなかった場合に多く行われる。たとえマネトーの書いた内容が正確ではなかったせによ、モーセはエジプト人で、出エジプトの民の中には何らかの理由でエジプトに住めなくなったエジプト人が混じっていた可能性は残される。しかしそれは、否定されなくてはならなかった。だからこそ、ユダヤ人の歴史化、知識人たちは、マネトーを必死に批判し… その結果、引用したマネトーの記述も後世に残ることになったわけだが…、旧約聖書のモーセ五書を使って、自分たちの「歴史」と「古さ」を主張しなくてはならなかったのである。
マネトーがプトレマイオス王朝の正当性と歴史的古さ、格式を主張するために「エジプト誌」を書いたのであれば、彼の著書は王家の後ろ盾を持っていたことになり、ユダヤ人たちのこの試みは当初見向きもされなかっただろうことは大いに想像できる。しかしプトレマイオス王朝が滅びると事情は変わる。
朽ちやすいパピルスに書かれたマネトーの書物は、やがて耐久性の高い羊皮紙(パピルスに劣る紙とされた)に書かれたモーセ五書に先立って物理的に消滅してしまう。数百年ののち、ユダヤ人の主張の勝利である。ただしそれも、2000年後の現在では絶対ではないのだが。
マネトーの生きた時代、それは、異なる歴史観が戦い、歴史の主流を巡って知識人たちのペンによる戦争を繰り広げた時代でもある。その意味で、膨大なエジプトの過去の文書を自在に読みとけたマネトーは強敵だった。また王家の後ろ盾という政治的な強みもあった。
しかし勝利者は時代によって異なる。紀元3世紀ごろ、古代エジプト語は公用語の座を追われ、やがて衰退していく。
(参考: https://55096962.seesaa.net/article/200910article_36.html)
ヒエログリフを捨てたのが、国教にキリスト教を採用してからというのも興味深い。何しろヒエログリフによる文書には、旧約聖書と相反する都合の悪いことが沢山書かれていたわけだから。
出エジプトの出来事について、エジプト側の視点から書いた書物は無くなってしまった。キリスト教は世界的宗教となり、少なくとも近代までは、多くの人に受け入れられた「歴史的事実」であり続けたのだ。
歴史とは、事実のことではない。
多くの場合、単に情報戦に勝利した側の主張なのである。
https://55096962.seesaa.net/article/201002article_20.html
マネトーが生きた時代、それは、エジプトを含む地中海世界に「歴史あるもの、伝統のもの」が尊ばれる価値観が存在した時代だった。
その中で、いわば「ぽっと出の王家」であるプトレマイオス1世とその一族、さらに築かれたばかりの首都アレクサンドリア。王家と新たな首都を、それまでのエジプトの歴史と伝統に繋げ、枠組みの中に取り入れること、いわば新王制の「格式を上げること」が、マネトーの一つの使命であったと思われる。
この前提を知っていると、ギリシャの歴史家ヘロドトスが、自身の著作「歴史」のエジプトに割かれた部分「巻のニ」を、「エジプトの歴史はどこより古く、どこより新しいか」という内容から書きはじめたことに対する感想は、また違ってくるのではないかと思う。
怪しげな伝聞("赤ん坊をヤギと一緒に育てたら、最初に発した言葉がフリュギア人の言葉で「パン」を意味するベコスだったから、最も古い文明はフリュギア人のそれだ"というもの)を元にしているものの、エジプトはフリュギア人より新しいから最古ではないが、それ以外の文明よりは古く、ギリシャなどものの比ではないと主張している―― と述べている。
また、ギリシャの神々が元はエジプトの神であったというような説も本気で考えていたようだ。
ヘロドトスがエジプトで見聞きしたエジプトの歴史の内容は、マネトーの「エジプト誌」の残されている部分ともだいたい一致する。マネトーやヘロドトスの生きていた時代、古代エジプト語はまだ普通に使われていた。過去の歴史は失われておらず、歴史の古さを主張するには、壮麗な神殿を経巡って、その壁に刻まれた過去の王たちの名前を読み上げるだけで事足りたのである。
エジプトは、歴史の古さからいえばギリシャをはるかに凌駕する。これは事実である。
ギリシャ人にとっては、歴史負けしたということで、ある意味「くやしい」思いをしていたのかもしれない。
たとえば「ピラミッド」や「オベリスク」など現代に残るエジプトの巨大遺物の名称は実はギリシャ語なのであるが、これはそれぞれ、「三角形のお菓子」と「焼き串」を意味する名称だった。敢えて日常品の名前で呼ぶことで、「すごそうに見えるけど大したもんじゃないやい」と去勢を張ったようにも見える。まぁそんなことをしてるから、現在では、ピラミッドもオベリスクも本来の意味ではなくエジプトのものを意味する言葉として世界中に認知されちゃってるわけですが。(本来の意味でこの言葉を思い出す人よりはるかに多いはず)
しかし、この「格式勝負」の中、エジプトに圧勝してもらっては困る人たちがいた。
ユダヤ人である。
旧約聖書において、ユダヤ人は、神の声に従ったモーセに率いられてエジプトから脱出し、約束の地へたどり着いた「選ばれし民」だったということになっている。しかしエジプト側から見たユダヤ人、エジプト誌に記述された彼らは、エジプトから追放された、汚れた人々の集団だった。
ハンセン病という病気がある。(かつて「らい病」と呼ばれていたものと同じ)体中が腐って崩れていく難病だ。
古代には、この病は神の罰とか呪いとか解釈されて恐れられ、罹患すると隔離されるのが普通だった。アニメ「もののけ姫」でタタラ場にいる包帯だらけの人々もそれだ。
マネトーによれば、「出エジプト」の民は、町から追い払われ、採石場などで働かされていたハンセン病患者と、耳や鼻をそぎ落とされた犯罪者の集団であったという。
"アメノフィスの時代、レプラ患者と汚れた者たちがヒエロソリュマに追放されていた羊飼いたちと合同してエジプトに遠征した。彼らが従っていたのはオサルフォシス(オシリスにちなんだ名前らしい)を改め、モーセと呼ばれた男である"
ここではモーセは、ハンセン病を患い、ヘリオポリス(現在のカイロ近郊に当たる太陽信仰の中心地)から追放された者と書かれている。
また、以下にような記述もあり、追放された人々とヒクソスと同一視していたことも伺える。
"ヒュクソスの支配の後、トトメスの時代になされた和平の取り決めにより、24万を越えるヒクソスの民はエジプトを出て現在ユダイヤと呼ばれている土地に都を作りヒエロソリュマ(エルサレム)と呼んだ"
※これらはいずれも、ヨセフスの「アピオーンへの反論」に引用された記述
アレクサンドリアには、建設から僅かのち、既に多数のユダヤ人が住み着いていた。
彼らからしてみれば、自分たちの誇るべき祖先がエジプトを追放された病人と犯罪者の集団で、自分たちのいわばヒーローであるモーセもまた病人だったとか、そんなことを言いふらされるとヤバいのである。歴史の古さと伝統がものをいう世界、ユダヤ人とは追放された人々だなどとレッテルを貼られれば社会的な死を意味する。
ユダヤ人がとった対抗策は、自分たちの持つ古伝承を広めようとする試みだった。
旧約聖書を形成する「創世記」、「出エジプト記」は、真っ先にギリシャ語に翻訳され、アレクサンドリアのユダヤ人たちの間に広められた。それは、自分たちの持つ歴史の正当性を訴え、マネトーが言うことは間違いなのだと世間と仲間に認めてもらうためである。何しろ、そうしなければユダヤ人というアイデンティティも、異国の地での民族としての団結も崩れてしまうのだから。
ここでギリシャ語が選ばれたのは、当時のアレクサンドリアで使われていたのが主にギリシャ語だったから、そして、故郷を遠く離れて暮らす二世、三世は、すでにヘブライ語を理解できなくなっていたたろと思われる。こうしてギリシャ語訳から、ユダヤ人は旧約聖書(自分たちの歴史)を学び、エジプトに住む他の人々に自分たちの正当性を訴えかけたのである。
エジプト誌の歴史 vs ユダヤ人の歴史 、エジプト誌 vs モーセ五書 と言ってもいい。
これは、旧約聖書の中で、やたらとエジプトを意識した(エジプト叩きな)記述がされていることを考えると、なかなか興味深い。
しかし結論から言うと、エジプトを意識しすぎたことで、モーセが実はエジプト人だったという可能性を大きくしてしまう結果となっている。
モーセはエジプトの王女が川から拾い上げ、王子として育てた子であるとか、実はユダヤ人であるとかいう話は、あまりにドラマチックすぎ、胡散臭くなってしまっている。オリエント世界の中で、ユダヤ人とエジプト人だけが割礼(性器の皮を切り取る儀式)の習慣を持っていたことも、彼らが過去に同一か、深い関係を持ち、同じ文化を共有していた可能性を示唆するものだと思う。
また、誰かの出生を後から尊いものにして強調しようとする試みは、逆に、実際は大した生まれでなかった場合に多く行われる。たとえマネトーの書いた内容が正確ではなかったせによ、モーセはエジプト人で、出エジプトの民の中には何らかの理由でエジプトに住めなくなったエジプト人が混じっていた可能性は残される。しかしそれは、否定されなくてはならなかった。だからこそ、ユダヤ人の歴史化、知識人たちは、マネトーを必死に批判し… その結果、引用したマネトーの記述も後世に残ることになったわけだが…、旧約聖書のモーセ五書を使って、自分たちの「歴史」と「古さ」を主張しなくてはならなかったのである。
マネトーがプトレマイオス王朝の正当性と歴史的古さ、格式を主張するために「エジプト誌」を書いたのであれば、彼の著書は王家の後ろ盾を持っていたことになり、ユダヤ人たちのこの試みは当初見向きもされなかっただろうことは大いに想像できる。しかしプトレマイオス王朝が滅びると事情は変わる。
朽ちやすいパピルスに書かれたマネトーの書物は、やがて耐久性の高い羊皮紙(パピルスに劣る紙とされた)に書かれたモーセ五書に先立って物理的に消滅してしまう。数百年ののち、ユダヤ人の主張の勝利である。ただしそれも、2000年後の現在では絶対ではないのだが。
マネトーの生きた時代、それは、異なる歴史観が戦い、歴史の主流を巡って知識人たちのペンによる戦争を繰り広げた時代でもある。その意味で、膨大なエジプトの過去の文書を自在に読みとけたマネトーは強敵だった。また王家の後ろ盾という政治的な強みもあった。
しかし勝利者は時代によって異なる。紀元3世紀ごろ、古代エジプト語は公用語の座を追われ、やがて衰退していく。
(参考: https://55096962.seesaa.net/article/200910article_36.html)
ヒエログリフを捨てたのが、国教にキリスト教を採用してからというのも興味深い。何しろヒエログリフによる文書には、旧約聖書と相反する都合の悪いことが沢山書かれていたわけだから。
出エジプトの出来事について、エジプト側の視点から書いた書物は無くなってしまった。キリスト教は世界的宗教となり、少なくとも近代までは、多くの人に受け入れられた「歴史的事実」であり続けたのだ。
歴史とは、事実のことではない。
多くの場合、単に情報戦に勝利した側の主張なのである。