はじめての心理学 入門者用
たまには普段やらないジャンルのネタでも、ってことで心理学です。
さて、本屋では何故か占いの本と同じ列に並べられることが多くて、勘違いされていそうな「心理学」だが、実際は、文系に分類されながら理系的な考え方を要求される不思議なジャンルである。そもそも心理学とはかなり幅広い学問をまとめて総称する名称で、どういう心理学かによって、やることが全然違っている。
たとえば脳に流れる電気信号を研究して、そこから人の精神状態を割り出そうとする脳生理学的な心理学と、文学作品に表現されたものや宗教による人間の精神のあり方を論じる人間哲学的な心理学の間には、ほとんど接点がない。
もっと近いジャンルであっても、人間社会全体を見渡してのマクロ的な視点を持つ社会心理学や、人間が生まれてからの心理的な成長を教育という視点から追う教育心理学、文化によって人間心理がどう異なるのかを比較する文化人類学と隣接する文化心理学など、人間の心理を題材にしている点は同じでも、目指すもの、やってるものは違う。そもそも心理学とひっくるめることが間違いかもしれない。
ただし、細分化しすぎても意味はない。専門に特化しすぎると視野が狭くなり、分かるものも分からなくなってしまう。
大雑把に分けるなら、「ハードウェアの心理学」と「ソフトウェアの心理学」。そして「ネットワークの心理学」の三つ。
この分類は、私が勝手に思いついて使っている言葉なので、出典は特にない。適切な分類かどうかはともかく、まずはこれらの違いについて説明してみたいと思う。
そもそも「心」とは何だろうか?
どこにあるのか、と聞かれたら、大抵の人は「脳」と答えるだろう。だが心は本当に脳に存在するのか。脳を切り開いても、「心」なる部位は出てこない。では心とは魂と同じような実在を証明できないものなのか。
結論から言うならば、「心」は、存在する。魂と違って、宗教を持つ出すまでもなく存在の証明をすることも可能だ。
心とは現象なのである。
血液は目に見えるものとして実在する。その血液が体内を循環していること、血流が存在することを、誰も疑わない。それと同じく、目に見える物体として存在する脳の生み出す「現象」の一部が心と呼ばれているものの正体だ。脳の生み出す現象、今この瞬間も脳内を駆け巡っている電流は、今や専用の器具さえあれば誰でも目にすることが出来、撮影することすら可能である。
脳内を走り回る微電流が心だと言ったら、あまりに味気ないかもしれないが、しかしその電流なくして心は存在しない。いやなものを見たときに嫌悪感を感じる「心」、楽しいことがあったときに気持ちを明るくする「心」、その現象は視覚化して見ることが出来る。
この現象を、脳というハードウェアの観点から研究するのが「ハードウェアの心理学」。
脳のどのへんが感情をつかさどっているとか、脳のどこが欠けると心が異常をきたすのかとか、嬉しい時、悲しい時、脳のいどこらへんに刺激が走るのか。脳の基本スペックは人類みな共通だから、ある程度の基本構造が分かってくると、それを人類全体に適用できる。事故で脳に損傷を受けたのち人格がガラリと変貌してしまう人の治療に役立ったり、人類の脳が宇宙でのストレスにどこまで耐えられるかを研究して宇宙進出の足がかりにしたりも出来る。
ハードウェアの心理学は、サルやネズミなど人間以外の動物を使った実験を行うこともある。人間の脳をじかに調べるのは困難だし、人間の脳に直接電極を突っ込むのは難しい。こちらのジャンルは、どちらかというと生物の脳の持つ基本的な機能の一部として「心」をとらえているようで、その意味では生物は程度は違えどすべて「心」を持っていて、脳というハードからいかにして「心」が生まれてくるのか、を考えていると言ってもいいかもしれない。
これに対して、脳というハードウェアから実際に出力される現象を研究するのが「ソフトウェアの心理学」。
脳は、そもそも脳細胞同士の連携によってその働きを大きく変える器官である。基本スペックは人類共通。誕生したときの脳細胞の数はだいたい同じでも、個々の細胞同士の連携がどう作られているか、どのくらい強く反応するか、どういう刺激に反応しやすいか、など、出来上がる中身は人によって全然違う。
しかし全てが千差万別なのでもなく、文化や成長過程の条件によって、ある程度共通する部分もある。ソフトウェアの心理学は、そうした「共通項」を求める方向と、犯罪者や精神病患者など特異な条件を持つ人の逸脱した心理を求める方向に大別できるかもしれない。共通項を研究するのが、人間はどういう雰囲気の店に入店しやすいか、どんな色に好意を抱きやすいか、などを考える産業心理学のようなもの、逸脱心理を研究していくのが犯罪心理学などに当たるだろう。
ソフトウェアの心理学は、基本的に出力結果、つまり対象のとった「行動」から大元を推測する。出力されない心は研究できない。たとえば、目の前のお菓子を食べたいと心の中では思っていても、実際に手を出してお菓子を掴まない限り、その人がお菓子を食べたいことは分からない。(残念ながら、人間の思考を完全に読み取る技術はまだ存在しない。)
最後に「ネットワークの心理学」の話になるが、これは人間同士のネットワークと考えてもらえばいい。
これも基本的にはソフトウェアの心理学なのだが、対象となるのは、人間が一人の時には発生しない心理である。
たとえば店の中で火事になったとき、周囲の人々がパニックを起こして走り出したら、あなたもおそらくパニックになる。一人の時ならば見つけられるはずの出口が、その時には見えなくなってしまうかもしれない。
買い物をしているときにタイムセールが始まり、周囲の人が殺到しはじめたら、あなたも、ついつい紛れ込んで不必要なものを買い込んでしまうかもしれない。
人は群れで生きる動物であり、その都合上、個体差はあれ周囲の心理状態に引きずられるように出来ている。
集団によるいじめ、集団ヒステリー、あるいは特定の社会に属する者に特有の心理(民俗学的なタブーの意識なども含む)、協調性と独立性… 社会心理学や文化心理学が、この分野に相当する。心理学という学問の中では、比較的新しい分野だと言われる。
この学問は、実は学問として認知される以前から熱心に研究されてきた。
大昔から為政者は、集団心理を自分に有利な方向に動かそうとして様々な手段を講じてきたし、アジテーターやプロパガンティストと言われる人々は、集団の心理を誘導する方法を知っていて巧みに使ってきた。それを学術的に研究し、分析したものがネットワークの心理学である。集団心理学については、心理学の教科書より訪問販売員のマニュアルのほうが良く書けているという笑い話もあったりして、学問ジャンルとして成立する前に実用化されてしまっているとも言える。
というわけで、さらっと心理学全般の話しを流してみた。
漠然と「心理学をやりたい」と思っている人には残念な話しだが、どういう切り口から心理学がやりたいのかをハッキリさせていないと、そもそもスタート地点にすら立てないのが現状だ。
それから―― 良く言われる話だが、心理学は、スピリチュアルでもないし、哲学でも、宗教学でもない。
心理学は、科学である。
科学である以上、不可能の領域がある。そして、科学であろうとするあまり、切り捨ててきた部分があるのも事実だ。だが、そのあたりは心理学史から始めないといけない話になるので、別の機会にしよう。
重要なことは、「心理学を極めても、人の心を理解することは決してない」ということだ。
人がとった行動の裏を、パターンに当てはめて読み解くことは出来るが、それが全てではない。また、人の心とは、時によって状態を変える。全く同じ刺激に対しても、時と場合によって異なる反応を返してくる不安定なものなのだ。
上のほうでソフトウェアの心理学、というたとえを用いたが、人間の心には、いたるところに乱数とif文が仕掛けられており、処理落ちしまくり、本人の了承もなく勝手にフリーズしたり再起動したりし、何か問題があってもエラーを出さなかったり、そのくせどうでもいいようなバグで大量のエラーを吐くこともある、勝手にパッチを当てたりモジュールを組み込んだりする、なんとも厄介なソフトウェアだと思ってもらっていい。
人の状態は日々刻々と変化する。
変化しなくても、その時によって脳内を流れる電流の経路が異なる。分かりやすく言うと、知っているはずのことをフト忘れる「ド忘れ」や、出来るはずのことがフト出来なくなる「ポカミス」なんかがそうだ。脳の出すバグはゼロには出来ない。常に出力がブレる。人の心も、ほんのちょっとした条件の違いで変わってしまう。周囲の雰囲気や、最近あった出来事でも異なる。風邪を引いただけでも、人の心など簡単に変わってしまうものである。
さらに、人の心には「無意識」という厄介な存在もある。
心理学者で有名な人物といえばフロイトだが、彼の最大の功績は夢占いでもトラウマでもなく、人の「無意識」の発見である。それまで人は、自分の心を意識しているものと考えられていたのだが、残念ながらそうではなかった。本人も知らない意識の深層にある無意識というもの、これが心の形成に大きく関わっているのだが、アクティヴな意識と違って観察しにくい。
無意識は誰にでもある。それは、外界から入る情報を全て同列に扱うと脳がパンクしてしまうから、情報処理の一部をバックグラウンド化する、という脳の基本的な機能でもある。バックグラウンドの処理とはいえ、脳は処理していることを分かっている(はずだ)。ただ本人の意識上に上がってこないだけのことだ。
これら諸々の条件により、常に揺れ動き、ブレが生じるのが人の心、それを完全に読むことはほぼ不可能。心理学に出来ることは、考えられる最終出力結果の範囲をある程度絞り込むことまで。これを知らずして、読心術でも習えるような気で大学の心理学科に入ってしまう人もいるらしいから、なんとも。ワイドショーなどに出て、さも知ったような顔で犯人の心理を語るようなどこかの心理学者先生たちには、ちょっとそのへん考えてもらいたいものだが…。
さて、本屋では何故か占いの本と同じ列に並べられることが多くて、勘違いされていそうな「心理学」だが、実際は、文系に分類されながら理系的な考え方を要求される不思議なジャンルである。そもそも心理学とはかなり幅広い学問をまとめて総称する名称で、どういう心理学かによって、やることが全然違っている。
たとえば脳に流れる電気信号を研究して、そこから人の精神状態を割り出そうとする脳生理学的な心理学と、文学作品に表現されたものや宗教による人間の精神のあり方を論じる人間哲学的な心理学の間には、ほとんど接点がない。
もっと近いジャンルであっても、人間社会全体を見渡してのマクロ的な視点を持つ社会心理学や、人間が生まれてからの心理的な成長を教育という視点から追う教育心理学、文化によって人間心理がどう異なるのかを比較する文化人類学と隣接する文化心理学など、人間の心理を題材にしている点は同じでも、目指すもの、やってるものは違う。そもそも心理学とひっくるめることが間違いかもしれない。
ただし、細分化しすぎても意味はない。専門に特化しすぎると視野が狭くなり、分かるものも分からなくなってしまう。
大雑把に分けるなら、「ハードウェアの心理学」と「ソフトウェアの心理学」。そして「ネットワークの心理学」の三つ。
この分類は、私が勝手に思いついて使っている言葉なので、出典は特にない。適切な分類かどうかはともかく、まずはこれらの違いについて説明してみたいと思う。
そもそも「心」とは何だろうか?
どこにあるのか、と聞かれたら、大抵の人は「脳」と答えるだろう。だが心は本当に脳に存在するのか。脳を切り開いても、「心」なる部位は出てこない。では心とは魂と同じような実在を証明できないものなのか。
結論から言うならば、「心」は、存在する。魂と違って、宗教を持つ出すまでもなく存在の証明をすることも可能だ。
心とは現象なのである。
血液は目に見えるものとして実在する。その血液が体内を循環していること、血流が存在することを、誰も疑わない。それと同じく、目に見える物体として存在する脳の生み出す「現象」の一部が心と呼ばれているものの正体だ。脳の生み出す現象、今この瞬間も脳内を駆け巡っている電流は、今や専用の器具さえあれば誰でも目にすることが出来、撮影することすら可能である。
脳内を走り回る微電流が心だと言ったら、あまりに味気ないかもしれないが、しかしその電流なくして心は存在しない。いやなものを見たときに嫌悪感を感じる「心」、楽しいことがあったときに気持ちを明るくする「心」、その現象は視覚化して見ることが出来る。
この現象を、脳というハードウェアの観点から研究するのが「ハードウェアの心理学」。
脳のどのへんが感情をつかさどっているとか、脳のどこが欠けると心が異常をきたすのかとか、嬉しい時、悲しい時、脳のいどこらへんに刺激が走るのか。脳の基本スペックは人類みな共通だから、ある程度の基本構造が分かってくると、それを人類全体に適用できる。事故で脳に損傷を受けたのち人格がガラリと変貌してしまう人の治療に役立ったり、人類の脳が宇宙でのストレスにどこまで耐えられるかを研究して宇宙進出の足がかりにしたりも出来る。
ハードウェアの心理学は、サルやネズミなど人間以外の動物を使った実験を行うこともある。人間の脳をじかに調べるのは困難だし、人間の脳に直接電極を突っ込むのは難しい。こちらのジャンルは、どちらかというと生物の脳の持つ基本的な機能の一部として「心」をとらえているようで、その意味では生物は程度は違えどすべて「心」を持っていて、脳というハードからいかにして「心」が生まれてくるのか、を考えていると言ってもいいかもしれない。
これに対して、脳というハードウェアから実際に出力される現象を研究するのが「ソフトウェアの心理学」。
脳は、そもそも脳細胞同士の連携によってその働きを大きく変える器官である。基本スペックは人類共通。誕生したときの脳細胞の数はだいたい同じでも、個々の細胞同士の連携がどう作られているか、どのくらい強く反応するか、どういう刺激に反応しやすいか、など、出来上がる中身は人によって全然違う。
しかし全てが千差万別なのでもなく、文化や成長過程の条件によって、ある程度共通する部分もある。ソフトウェアの心理学は、そうした「共通項」を求める方向と、犯罪者や精神病患者など特異な条件を持つ人の逸脱した心理を求める方向に大別できるかもしれない。共通項を研究するのが、人間はどういう雰囲気の店に入店しやすいか、どんな色に好意を抱きやすいか、などを考える産業心理学のようなもの、逸脱心理を研究していくのが犯罪心理学などに当たるだろう。
ソフトウェアの心理学は、基本的に出力結果、つまり対象のとった「行動」から大元を推測する。出力されない心は研究できない。たとえば、目の前のお菓子を食べたいと心の中では思っていても、実際に手を出してお菓子を掴まない限り、その人がお菓子を食べたいことは分からない。(残念ながら、人間の思考を完全に読み取る技術はまだ存在しない。)
最後に「ネットワークの心理学」の話になるが、これは人間同士のネットワークと考えてもらえばいい。
これも基本的にはソフトウェアの心理学なのだが、対象となるのは、人間が一人の時には発生しない心理である。
たとえば店の中で火事になったとき、周囲の人々がパニックを起こして走り出したら、あなたもおそらくパニックになる。一人の時ならば見つけられるはずの出口が、その時には見えなくなってしまうかもしれない。
買い物をしているときにタイムセールが始まり、周囲の人が殺到しはじめたら、あなたも、ついつい紛れ込んで不必要なものを買い込んでしまうかもしれない。
人は群れで生きる動物であり、その都合上、個体差はあれ周囲の心理状態に引きずられるように出来ている。
集団によるいじめ、集団ヒステリー、あるいは特定の社会に属する者に特有の心理(民俗学的なタブーの意識なども含む)、協調性と独立性… 社会心理学や文化心理学が、この分野に相当する。心理学という学問の中では、比較的新しい分野だと言われる。
この学問は、実は学問として認知される以前から熱心に研究されてきた。
大昔から為政者は、集団心理を自分に有利な方向に動かそうとして様々な手段を講じてきたし、アジテーターやプロパガンティストと言われる人々は、集団の心理を誘導する方法を知っていて巧みに使ってきた。それを学術的に研究し、分析したものがネットワークの心理学である。集団心理学については、心理学の教科書より訪問販売員のマニュアルのほうが良く書けているという笑い話もあったりして、学問ジャンルとして成立する前に実用化されてしまっているとも言える。
というわけで、さらっと心理学全般の話しを流してみた。
漠然と「心理学をやりたい」と思っている人には残念な話しだが、どういう切り口から心理学がやりたいのかをハッキリさせていないと、そもそもスタート地点にすら立てないのが現状だ。
それから―― 良く言われる話だが、心理学は、スピリチュアルでもないし、哲学でも、宗教学でもない。
心理学は、科学である。
科学である以上、不可能の領域がある。そして、科学であろうとするあまり、切り捨ててきた部分があるのも事実だ。だが、そのあたりは心理学史から始めないといけない話になるので、別の機会にしよう。
重要なことは、「心理学を極めても、人の心を理解することは決してない」ということだ。
人がとった行動の裏を、パターンに当てはめて読み解くことは出来るが、それが全てではない。また、人の心とは、時によって状態を変える。全く同じ刺激に対しても、時と場合によって異なる反応を返してくる不安定なものなのだ。
上のほうでソフトウェアの心理学、というたとえを用いたが、人間の心には、いたるところに乱数とif文が仕掛けられており、処理落ちしまくり、本人の了承もなく勝手にフリーズしたり再起動したりし、何か問題があってもエラーを出さなかったり、そのくせどうでもいいようなバグで大量のエラーを吐くこともある、勝手にパッチを当てたりモジュールを組み込んだりする、なんとも厄介なソフトウェアだと思ってもらっていい。
人の状態は日々刻々と変化する。
変化しなくても、その時によって脳内を流れる電流の経路が異なる。分かりやすく言うと、知っているはずのことをフト忘れる「ド忘れ」や、出来るはずのことがフト出来なくなる「ポカミス」なんかがそうだ。脳の出すバグはゼロには出来ない。常に出力がブレる。人の心も、ほんのちょっとした条件の違いで変わってしまう。周囲の雰囲気や、最近あった出来事でも異なる。風邪を引いただけでも、人の心など簡単に変わってしまうものである。
さらに、人の心には「無意識」という厄介な存在もある。
心理学者で有名な人物といえばフロイトだが、彼の最大の功績は夢占いでもトラウマでもなく、人の「無意識」の発見である。それまで人は、自分の心を意識しているものと考えられていたのだが、残念ながらそうではなかった。本人も知らない意識の深層にある無意識というもの、これが心の形成に大きく関わっているのだが、アクティヴな意識と違って観察しにくい。
無意識は誰にでもある。それは、外界から入る情報を全て同列に扱うと脳がパンクしてしまうから、情報処理の一部をバックグラウンド化する、という脳の基本的な機能でもある。バックグラウンドの処理とはいえ、脳は処理していることを分かっている(はずだ)。ただ本人の意識上に上がってこないだけのことだ。
これら諸々の条件により、常に揺れ動き、ブレが生じるのが人の心、それを完全に読むことはほぼ不可能。心理学に出来ることは、考えられる最終出力結果の範囲をある程度絞り込むことまで。これを知らずして、読心術でも習えるような気で大学の心理学科に入ってしまう人もいるらしいから、なんとも。ワイドショーなどに出て、さも知ったような顔で犯人の心理を語るようなどこかの心理学者先生たちには、ちょっとそのへん考えてもらいたいものだが…。