古代エジプトと擬人化の最先端

突然だが、古今東西において、神というものの多くは擬人化である。

天と地、空と海、世界を構成するあらゆる要素や現象に対し、名をつけ、性格づけをし、家族構成を考え、さらにそうして決定されたキャラクターの活躍する物語を、神話として創造する。神は人間と同じように、何かを求めたり、怒ったり、喜んだりする。人智を超えた何かにしろ、ありふれてはいるがなじみのないものにせよ、人に認識できる形で解釈しようとするならば、行き着く先は擬人化なのである。


というわけでエジプトの話に移る。



古代エジプト人の行った擬人化には、様々なものがある。

大地や太陽や砂漠といった自然界そのもの、正義や悪といった概念、死後の世界に属する神々、町や都市そのもの、動物や植物。そして更に、擬人化の範疇は王の所有物にまで至る。たとえばシェスメテト(Shesmetet)と呼ばれる女神などがそうだ。

これら擬人化の範囲の広さは、現代日本における擬人化、商品のキャラクター化の幅広さに勝るとも劣らない。
ある意味、五千年前に日本人の先を走った人々とも言えよう。




さて、そんな擬人化大国・古代エジプトではあったが、残されている図像において「バリエーションが少ない」という批判を受けることも多々ある。壁画などを見ても、一体どの神様なのかが非常に分かりづらいのだ。

画像
*全部分かったら凄い*



これは、図像の描き方にルールがあり、神にしろ、王にしろ、それ以外の登場人物にしろ、理想とされた体型、比率を厳密に守って描かなくてはならなかったというのが原因だ。髪型から服装、目つき、腕の振り方に至るまで、「これこれ、このパターンにあてはめること」というルールに従って構成されている。ただし、それによって見た瞬間に何の場面か直ぐ分かるようになっているので、記号としての図、という意味では正解である。

しかしである。

理想とする形にこだわって見た目全くキャラ立ちしておらず、記号として見た瞬間に意味を理解しやすい絵…
現代日本にもあるのではないだろうか?

そう、 ハンコ絵がまさにそれだ。


画像
*全部別キャラらしいですよ…*



古代エジプト人の発想と日本人の発想とは、実は根底が同じなのだった。

頭の上に載せてる標章がないと誰なのか判らないエジプトの神々、髪型と色の違いがないと誰なのか判らない日本の萌え絵のキャラクター。顔のパーツ、体の比率、表情などに「唯一の理想」を持ち、それだけに特化していくと、描かれた人物は当然ながら似通ったものになってしまう。

エジプトの擬人化に個性が無いのではない。そもそも萌えというのは、神に対しても女の子に対しても、理想に近づけようとするがゆえにバリエーションが少なくなりがちなりものであると解釈できまいか。

逆に言うなら、古代エジプト人は、あのどれが誰なんだか判別しづらい神々の図像であっても、余裕で萌えられた可能性がありはしないだろうか。古代人に直接聞くことは出来ないのでアレなんだが、まあ、そんな可能性もあったりなかったりである。



してみると、古代エジプト人が半人半獣の姿の神々を愛したことなどについても、現代日本における獣人ブームなどと類似した人間心理を推測出来はしないだろうか。

画像
たとえば、これはバステト女神の像ですが



もしかしてこれは
ネコミミ萌えに対応する概念の芽生えだったのではあるまいか。


バステト女神が女神なのも、民衆に人気があったのは、単に、害獣であるネズミを狩ってくれるお役立ち動物だったからだけではあるまい。猫が可愛いかったから、そして―― 猫と人間が融合したこの姿が信仰に値すると見做されていたからだろう。



   結論: 萌えと信仰は良く似ている



菩薩像に懸想するとか、神に恋するとかいう話は珍しくもない話ですが、古代エジプトでは、大っぴらに、桁違いの情熱をかけて国家単位でそれを実行した可能性があるというお話。

この記事へのトラックバック