古代エジプトの船って、実はイカダなんじゃないか…? というフトした思いつき
古代エジプトの船。
その実物は、ギザの大ピラミッドのすぐ側で発見された木片から再現された「クフ王の(太陽の)船」が最も有名だろうが、そのほかには中王国時代に墓の副葬品として収められた夥しい数の船のミニチュア模型や、墓の内部に描かれた、死者や神々を運ぶための儀式的な船などが知られている。
↑クフ王のピラミッド側から発見されたもの。
「太陽の船」と呼ばれているが、実際そうなのかどうかは良く分からない。
また実際に使われたことがあるのか、ただの飾りなのかも意見が分かれる。
↑これが壁画に描かれる一般的な太陽の船。
へさきに神を載せる四角い部分があり、船の本体に祠が描かれている。
「太陽の船」や、冥界に下るための儀式的な船を除けば、古代エジプト人はどんなふうにして船を使っていたか。
主な用途は、ナイル川の交通手段。対岸に渡る、魚や水鳥を取りに行く、下流または上流の町へ行く。エジプトの町は、基本的に川べりに作られている。それ以外の場所は砂漠で水がないのだから至極当然の話だが、そのため町から町への移動は船が便利で、あえて車輪のある乗り物で陸地を移動する必要がなかった。
↑日常生活用。
しかし日常用は葦で作った小船で足りても、海に出るにはどうしても、木材で作られた頑丈な船を作らなくてはならない。エジプトには木が乏しく、立派な木材を大量に得るには輸入するしかない。実際、クフ王の船は輸入もののレバノン杉から作られている。
エジプト人が海を使って『交易』したのは、地中海側ではビブロス、パレスチナあたり、紅海側ではエチオピアあたりの国や都市だった。紅海の対岸、シナイ半島の南部とも行き来があったが、これは一方的な略奪に等しく、物の交換があったわけではないので交易ではないが、船を必要とする遠征には違いない。
さて。
ここから言えるのは、エジプト人は船を作って物流を築きはしたが、陸からそう遠く離れた場所へは行っていない、ということである。せいぜいが紅海を横断するくらい。ビブロスにしろ、エチオピアにしろ、沿岸部に沿う航路だから、陸を離れているとは言えない。
そして、多分なのだが― 古代エジプトの船は、耐久性に問題があって、遠洋に出られなかったのではないかという気がしている。
以下の資料は、第四王朝のクフ王の船と、第十八王朝のハトシェプスト女王がエチオピア付近にあったとされる「プント」という国と交易した際に使われた船の残骸から再現されたデータから構成されている。
古代エジプトの船には釘が存在しなかった。ヴァイキングの船に言うような「竜骨」もなく、木材はロープで「結び合わせられている」。木材の大きさは不均一で、お互いの間に木のくさびを打ち込んで固定している。いわば「寄木細工」の船なのだ。
寄木細工なんかにしたら間から水が漏れるじゃん。と思うかもしれないが、木材と木材の間にスキマが出来た場合は、パピルスなどの繊維をつっこんで、そこに蜜蝋を塗って塞ぐ。あとは水につけて、木が膨張すればスキマはふさがるというわけ。これで一応は水に浮かせることが出来る。
つづいて帆。壁画から再現されたものとしては、こんなかんじ。
これあんまりにもシンプルすぎるやろ、と思うかもしれないが、模型もぜんぶこうなっているので、実際こんな感じなんだと思う。ちなみにNHKで放映された「エジプト発掘 第四集」で再現実験をやったときは、帆の幅が広すぎて支えが真ん中で折れていた(笑) 暴風に弱いらしい…。
…さて、ここで表題に戻ると。
これって 船っていうよりイカダに近くね? というフトした突っ込みである。
形こそ船だが、古代エジプトのこの船は、船倉が存在しない。
エジプト人は船の甲板に物資を載せて運んでいた。それは、この船の浸水しやすい構造からしても、壁画や模型から見ても確かに思える。
イカダとは、木をロープなどで結び合わせて浮かせたもの。帆もシンプルで、多方向からの風向きに対応できそうには見えないし、どうもエジプト人は、他国に似せて船っぽいものを作ってみたが、「水に浮いて、大量の物資を運べればそれでいいや」くらいにしか思っていなかったんじゃないかという気がしてくる。形を似せようという努力がなければ、これは、単に荷物を載せて水に浮かせるために木の板を繋いだだけの乗り物なのだから。
エジプト人にとって、船は単に、水の上でお手軽に物を運搬する道具でしかなかったのだろう。
船で未知の世界に漕ぎ出すことなどは一切考えていない。少なくとも、クフ王の時代からハトシェプスト女王の時代まで千年に渡って船にほとんど進化が見られない事実は、海を航行することに対する認識が甘かったこと、船を改良してより早くする、とか、より大きくする、といったことに必要性を感じていなかったことを意味しているように思う。
ていうか、波の穏やかな時期にちょろっとモノを運搬するだけなら、帆のついたイカダでずっとやっていっても確かに十分なんだよね…。
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関連エントリ
古代エジプトの船 海用/川用
https://55096962.seesaa.net/article/200912article_27.html
エジプト発掘 「第4集 海を渡ったエジプトの民」
https://55096962.seesaa.net/article/200908article_16.html
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画像はディスカバリーの 「古代エジプト10の謎」 という番組と、以下の本から。
その実物は、ギザの大ピラミッドのすぐ側で発見された木片から再現された「クフ王の(太陽の)船」が最も有名だろうが、そのほかには中王国時代に墓の副葬品として収められた夥しい数の船のミニチュア模型や、墓の内部に描かれた、死者や神々を運ぶための儀式的な船などが知られている。
↑クフ王のピラミッド側から発見されたもの。
「太陽の船」と呼ばれているが、実際そうなのかどうかは良く分からない。
また実際に使われたことがあるのか、ただの飾りなのかも意見が分かれる。
↑これが壁画に描かれる一般的な太陽の船。
へさきに神を載せる四角い部分があり、船の本体に祠が描かれている。
「太陽の船」や、冥界に下るための儀式的な船を除けば、古代エジプト人はどんなふうにして船を使っていたか。
主な用途は、ナイル川の交通手段。対岸に渡る、魚や水鳥を取りに行く、下流または上流の町へ行く。エジプトの町は、基本的に川べりに作られている。それ以外の場所は砂漠で水がないのだから至極当然の話だが、そのため町から町への移動は船が便利で、あえて車輪のある乗り物で陸地を移動する必要がなかった。
↑日常生活用。
しかし日常用は葦で作った小船で足りても、海に出るにはどうしても、木材で作られた頑丈な船を作らなくてはならない。エジプトには木が乏しく、立派な木材を大量に得るには輸入するしかない。実際、クフ王の船は輸入もののレバノン杉から作られている。
エジプト人が海を使って『交易』したのは、地中海側ではビブロス、パレスチナあたり、紅海側ではエチオピアあたりの国や都市だった。紅海の対岸、シナイ半島の南部とも行き来があったが、これは一方的な略奪に等しく、物の交換があったわけではないので交易ではないが、船を必要とする遠征には違いない。
さて。
ここから言えるのは、エジプト人は船を作って物流を築きはしたが、陸からそう遠く離れた場所へは行っていない、ということである。せいぜいが紅海を横断するくらい。ビブロスにしろ、エチオピアにしろ、沿岸部に沿う航路だから、陸を離れているとは言えない。
そして、多分なのだが― 古代エジプトの船は、耐久性に問題があって、遠洋に出られなかったのではないかという気がしている。
以下の資料は、第四王朝のクフ王の船と、第十八王朝のハトシェプスト女王がエチオピア付近にあったとされる「プント」という国と交易した際に使われた船の残骸から再現されたデータから構成されている。
古代エジプトの船には釘が存在しなかった。ヴァイキングの船に言うような「竜骨」もなく、木材はロープで「結び合わせられている」。木材の大きさは不均一で、お互いの間に木のくさびを打ち込んで固定している。いわば「寄木細工」の船なのだ。
寄木細工なんかにしたら間から水が漏れるじゃん。と思うかもしれないが、木材と木材の間にスキマが出来た場合は、パピルスなどの繊維をつっこんで、そこに蜜蝋を塗って塞ぐ。あとは水につけて、木が膨張すればスキマはふさがるというわけ。これで一応は水に浮かせることが出来る。
つづいて帆。壁画から再現されたものとしては、こんなかんじ。
これあんまりにもシンプルすぎるやろ、と思うかもしれないが、模型もぜんぶこうなっているので、実際こんな感じなんだと思う。ちなみにNHKで放映された「エジプト発掘 第四集」で再現実験をやったときは、帆の幅が広すぎて支えが真ん中で折れていた(笑) 暴風に弱いらしい…。
…さて、ここで表題に戻ると。
これって 船っていうよりイカダに近くね? というフトした突っ込みである。
形こそ船だが、古代エジプトのこの船は、船倉が存在しない。
エジプト人は船の甲板に物資を載せて運んでいた。それは、この船の浸水しやすい構造からしても、壁画や模型から見ても確かに思える。
イカダとは、木をロープなどで結び合わせて浮かせたもの。帆もシンプルで、多方向からの風向きに対応できそうには見えないし、どうもエジプト人は、他国に似せて船っぽいものを作ってみたが、「水に浮いて、大量の物資を運べればそれでいいや」くらいにしか思っていなかったんじゃないかという気がしてくる。形を似せようという努力がなければ、これは、単に荷物を載せて水に浮かせるために木の板を繋いだだけの乗り物なのだから。
エジプト人にとって、船は単に、水の上でお手軽に物を運搬する道具でしかなかったのだろう。
船で未知の世界に漕ぎ出すことなどは一切考えていない。少なくとも、クフ王の時代からハトシェプスト女王の時代まで千年に渡って船にほとんど進化が見られない事実は、海を航行することに対する認識が甘かったこと、船を改良してより早くする、とか、より大きくする、といったことに必要性を感じていなかったことを意味しているように思う。
ていうか、波の穏やかな時期にちょろっとモノを運搬するだけなら、帆のついたイカダでずっとやっていっても確かに十分なんだよね…。
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関連エントリ
古代エジプトの船 海用/川用
https://55096962.seesaa.net/article/200912article_27.html
エジプト発掘 「第4集 海を渡ったエジプトの民」
https://55096962.seesaa.net/article/200908article_16.html
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画像はディスカバリーの 「古代エジプト10の謎」 という番組と、以下の本から。








