古代エジプトの子孫たちとコプト教
宗教関係の話は一つ間違うと猛反論を食らったりするわけだが、コプト教徒がここにいることは滅多にあるまい。
というか、係わり合いのある日本人が、果たして何人くらいいるのか…。まぁ、詳しい人がいるなら逆に教えてもらいたい。
探し出してきたのは、こちらの本。
後半の、古代エジプトや古代メソポタミアの宗教と、キリスト教の比較はあまり面白くない。むしろそれは、他の人が書いたほうが面白くなると思う。前半の、この著者がエジプトに点在するコプト教の僧院を訪ね歩いてそこに暮らす人々に聞いた話が非常に面白い。この本の価値はまずそこに凝縮されてるいる。
コプト教はエジプトで信仰されている独自色のつよいキリスト教。古代エジプトの多神教崇拝をしていた人々がキリスト教に改宗して、イスラム教徒多数の中で現在まで信仰を続けている。
初期キリスト教は、エジプトの文化の影響を強く受けている。旧約聖書にたびたびエジプトが言及されていることからも、また幼いキリストを抱く聖母マリアの図や死後の復活のイメージの類似などからも、それははっきりしている。逆に言うと、キリスト教に改宗した人々は初期キリスト教に自分たちが慣れ親しんだ古代エジプト宗教の一部を重ねて見ていた可能性もあるわけで、それがすんなりと改宗に至った理由の一つかもしれない。
ここのところ色々調べてみて思ったのは、エジプトの人たちにとって(少なくとも紀元前後のエジプト人にとっては)、イエス・キリストと聖母マリアは、ある意味で、古代エジプトで広く信仰された、オシリス神とイシス女神の投影だったということだ。コプト教徒は、その名にエジプトの古名を持つのみならず、オシリス・イシス信仰の直系の後継者でもある。オシリスは殺されて復活し、イシスは交わりなくして子を産む。復活する救世主と聖なる母、伝説の根幹は既に古代エジプトの土壌に存在した。
だから――
コプト教は、キリスト教にあってキリスト教にあらず、というのか。表面上の理論を入れ替えただけで、実はやってることは古代エジプトの神官たちと大して変わらないのではないかという気がする。
古代人たちは、ナイル河畔の豊かな土地を「黒い土地」と呼んでいた。そのものズバリ、土地が肥沃で砂漠に比べて土地が黒っぽいからで、これがエジプトを指す古代の言葉「ケメト」に繋がっている。
エジプトでは、とくに上エジプトで顕著だが、川ぞいの実り豊かな土地を一歩離れれば、不毛な赤い砂漠が続いている。豊かな耕地と砂漠がすぐ隣り合わせにある。国名が川ぞいの「黒い土地」から来ているわけだから、赤い土地である砂漠は実は人の暮らす範囲外だ。
人は神々の土地に暮らし、その恵みを受けて暮らす「神の家畜」である、というのが古代エジプト人の宗教概念である。それはコプト教徒の抱く「世界は神のものであり、人はそこから与えられる」という感覚と一致している。
死後に魂は飛び去り、光の国に導かれるという思想もまた、鳥の姿になった魂が死後の楽園へ飛び立つという古代エジプト人が墓や書物に盛んに描いてきた、あのイメージと重なっている。
祈りの言葉も、犠牲の供物も、祭りもある。ただ、王たちの建てる巨大な神殿や豪華な像などの、余計なものが無いだけだ。
■エジプトに修道院制が始まったのはいつか
前に別のエントリでも出した気がするが、だいたい4世紀ごろ。
キリスト教がローマ公認宗教となり、熱狂的な信者が他宗教の迫害や過去の神殿の打ちこわしをはじめた頃と一致する。派閥が分かれて宗教論争も盛んだった時期である。「そんな面倒くさい議論やっとれるか。俺は俺の流儀でやる」「現世の権力に興味ない」、と、そう考えた知識層が、王家の谷にある古代の墳墓など、砂漠の中の洞窟を利用して悟りを開こうとしたのが始まり。
やがて、そうした悟りの生活の中でカリスマ隠者が生まれ、弟子たちが集まって開山… じゃない、修道院が設立されるのである。
砂漠は異界であり、日本でいうところの修行僧たちの篭る聖山と同じだった。いま修道院が建っている場所が、古代エジプトの神殿の建つ場所とかぶっているのは、偶然ではない。古代の神殿や墓所を再利用したからであり、再利用したのはそこが祈りのための聖なる場所だったからだ。
■エジプト社会における自殺
一神教の社会で自殺は罪で、滅多に無いと言われるが、自殺のカタチが違うだけだと思う。
少なくとも、コプト教徒にとって、「砂漠の僧院への出家」は死を意味する。社会的な死ではなく、実際に死ぬのだ。砂漠は古代エジプトの時代から、死の世界へ通じる世界とされてきた。その砂漠の中にぽつんぽつんと建つ僧院は、行きながらにしてゆく棺桶なのだという。すべてを捨てて砂漠へ行けば、もう帰ってくることは出来ない。
僧院への出家の原因は、たいてい家族や社会のしがらみから逃げ出すためのようだ。男性は一家を背負わねばならない、という社会の重責、伝統的に母権が強いこともある。出家する多くが高学歴層というから、砂漠への遁走を自殺と見做せば、なんだか日本に似ていなくも無い。
女性の隠者がいるかどうかは分からないが、女性の場合は自殺したくなったら何処へ逃げ出せばいいのだろうか。女性も受け入れる修道院があるのなら、そこへ行くテはあるかもしれない。
■原罪の問題
間違っているかもしれないが、コプト教徒に原罪という意識は希薄だと感じた。
砂漠の修道院に旅立ち、魂が欲望に打ち勝って光の国(=魂の故郷)へと帰るための苦行を積むという行為は、己ひとりの努力によって己自身を救う行為である。そこにあるのは、自分のことは自分の責任という概念。アダムがパパの庭からリンゴを取って食ったのが罪だとすると、そんなもんはアダム個人の罪であって、人類全体が背負うべきものではない。そもそも魂を欲望から解き放つのは理性の働きによるのであって、知恵の実を食べて知恵をつけたのが悪だという思想には結びつかない。僧院に篭って修行するコプトの隠者たちは、ケルトのドルイドと同じように、原罪も、贖罪も否定しているのではないか。
■コプト教は多神教か
端的に言うと多神教だと思う。たぶん信者の人からは否定されると思うが。
父なる神がいて、キリストがいて、さらにマリアがいる。エジプトでは、古代に人気だったイシス女神とオバーラップするこの聖母様が人気だという。(実際、現地でも山ほどマリア様の護符や像を売ってたし…)
コプト教はキリストに神性を認めるという。人だったものが死後は神になれたという考え方だそうだ。キリストは古代のオシリス神の投影だったはずだから、そりゃ初期のコプト教徒は「そこは譲れませんよ」と言ったと思う。
コプト教徒にとっての「父なる神」とは(少なくとも、聖マルコさんが伝道した初期のキリスト教徒にとっては)、古代でいうところのアメン・ラーのように、そこにあって、そこに輝く、それは偉大で疑いようも無い大いなる存在なんだけど、でも具体的に見えないし自分が親しめるのはやっぱりオシリスとイシスなんだよね。という感じの存在なのではないかと推測する。
だいたい見当がついてきた。
コプト教は、確かにコプト教である。カトリックともプロテスタントとも違う。彼らはエジプト人だ。ピラミッドを築いた職人の子孫かどうかは別としても。
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関連エントリ
古代エジプト宗教からコプトへのミッシング・リンク
https://55096962.seesaa.net/article/201003article_5.html
古代エジプト宗教からキリスト教へ至る道 -コプト教のはじまりからの流れ
https://55096962.seesaa.net/article/201003article_10.html
というか、係わり合いのある日本人が、果たして何人くらいいるのか…。まぁ、詳しい人がいるなら逆に教えてもらいたい。
探し出してきたのは、こちらの本。
後半の、古代エジプトや古代メソポタミアの宗教と、キリスト教の比較はあまり面白くない。むしろそれは、他の人が書いたほうが面白くなると思う。前半の、この著者がエジプトに点在するコプト教の僧院を訪ね歩いてそこに暮らす人々に聞いた話が非常に面白い。この本の価値はまずそこに凝縮されてるいる。
コプト教はエジプトで信仰されている独自色のつよいキリスト教。古代エジプトの多神教崇拝をしていた人々がキリスト教に改宗して、イスラム教徒多数の中で現在まで信仰を続けている。
初期キリスト教は、エジプトの文化の影響を強く受けている。旧約聖書にたびたびエジプトが言及されていることからも、また幼いキリストを抱く聖母マリアの図や死後の復活のイメージの類似などからも、それははっきりしている。逆に言うと、キリスト教に改宗した人々は初期キリスト教に自分たちが慣れ親しんだ古代エジプト宗教の一部を重ねて見ていた可能性もあるわけで、それがすんなりと改宗に至った理由の一つかもしれない。
ここのところ色々調べてみて思ったのは、エジプトの人たちにとって(少なくとも紀元前後のエジプト人にとっては)、イエス・キリストと聖母マリアは、ある意味で、古代エジプトで広く信仰された、オシリス神とイシス女神の投影だったということだ。コプト教徒は、その名にエジプトの古名を持つのみならず、オシリス・イシス信仰の直系の後継者でもある。オシリスは殺されて復活し、イシスは交わりなくして子を産む。復活する救世主と聖なる母、伝説の根幹は既に古代エジプトの土壌に存在した。
だから――
コプト教は、キリスト教にあってキリスト教にあらず、というのか。表面上の理論を入れ替えただけで、実はやってることは古代エジプトの神官たちと大して変わらないのではないかという気がする。
古代人たちは、ナイル河畔の豊かな土地を「黒い土地」と呼んでいた。そのものズバリ、土地が肥沃で砂漠に比べて土地が黒っぽいからで、これがエジプトを指す古代の言葉「ケメト」に繋がっている。
エジプトでは、とくに上エジプトで顕著だが、川ぞいの実り豊かな土地を一歩離れれば、不毛な赤い砂漠が続いている。豊かな耕地と砂漠がすぐ隣り合わせにある。国名が川ぞいの「黒い土地」から来ているわけだから、赤い土地である砂漠は実は人の暮らす範囲外だ。
人は神々の土地に暮らし、その恵みを受けて暮らす「神の家畜」である、というのが古代エジプト人の宗教概念である。それはコプト教徒の抱く「世界は神のものであり、人はそこから与えられる」という感覚と一致している。
死後に魂は飛び去り、光の国に導かれるという思想もまた、鳥の姿になった魂が死後の楽園へ飛び立つという古代エジプト人が墓や書物に盛んに描いてきた、あのイメージと重なっている。
祈りの言葉も、犠牲の供物も、祭りもある。ただ、王たちの建てる巨大な神殿や豪華な像などの、余計なものが無いだけだ。
■エジプトに修道院制が始まったのはいつか
前に別のエントリでも出した気がするが、だいたい4世紀ごろ。
キリスト教がローマ公認宗教となり、熱狂的な信者が他宗教の迫害や過去の神殿の打ちこわしをはじめた頃と一致する。派閥が分かれて宗教論争も盛んだった時期である。「そんな面倒くさい議論やっとれるか。俺は俺の流儀でやる」「現世の権力に興味ない」、と、そう考えた知識層が、王家の谷にある古代の墳墓など、砂漠の中の洞窟を利用して悟りを開こうとしたのが始まり。
やがて、そうした悟りの生活の中でカリスマ隠者が生まれ、弟子たちが集まって開山… じゃない、修道院が設立されるのである。
砂漠は異界であり、日本でいうところの修行僧たちの篭る聖山と同じだった。いま修道院が建っている場所が、古代エジプトの神殿の建つ場所とかぶっているのは、偶然ではない。古代の神殿や墓所を再利用したからであり、再利用したのはそこが祈りのための聖なる場所だったからだ。
■エジプト社会における自殺
一神教の社会で自殺は罪で、滅多に無いと言われるが、自殺のカタチが違うだけだと思う。
少なくとも、コプト教徒にとって、「砂漠の僧院への出家」は死を意味する。社会的な死ではなく、実際に死ぬのだ。砂漠は古代エジプトの時代から、死の世界へ通じる世界とされてきた。その砂漠の中にぽつんぽつんと建つ僧院は、行きながらにしてゆく棺桶なのだという。すべてを捨てて砂漠へ行けば、もう帰ってくることは出来ない。
僧院への出家の原因は、たいてい家族や社会のしがらみから逃げ出すためのようだ。男性は一家を背負わねばならない、という社会の重責、伝統的に母権が強いこともある。出家する多くが高学歴層というから、砂漠への遁走を自殺と見做せば、なんだか日本に似ていなくも無い。
女性の隠者がいるかどうかは分からないが、女性の場合は自殺したくなったら何処へ逃げ出せばいいのだろうか。女性も受け入れる修道院があるのなら、そこへ行くテはあるかもしれない。
■原罪の問題
間違っているかもしれないが、コプト教徒に原罪という意識は希薄だと感じた。
砂漠の修道院に旅立ち、魂が欲望に打ち勝って光の国(=魂の故郷)へと帰るための苦行を積むという行為は、己ひとりの努力によって己自身を救う行為である。そこにあるのは、自分のことは自分の責任という概念。アダムがパパの庭からリンゴを取って食ったのが罪だとすると、そんなもんはアダム個人の罪であって、人類全体が背負うべきものではない。そもそも魂を欲望から解き放つのは理性の働きによるのであって、知恵の実を食べて知恵をつけたのが悪だという思想には結びつかない。僧院に篭って修行するコプトの隠者たちは、ケルトのドルイドと同じように、原罪も、贖罪も否定しているのではないか。
■コプト教は多神教か
端的に言うと多神教だと思う。たぶん信者の人からは否定されると思うが。
父なる神がいて、キリストがいて、さらにマリアがいる。エジプトでは、古代に人気だったイシス女神とオバーラップするこの聖母様が人気だという。(実際、現地でも山ほどマリア様の護符や像を売ってたし…)
コプト教はキリストに神性を認めるという。人だったものが死後は神になれたという考え方だそうだ。キリストは古代のオシリス神の投影だったはずだから、そりゃ初期のコプト教徒は「そこは譲れませんよ」と言ったと思う。
コプト教徒にとっての「父なる神」とは(少なくとも、聖マルコさんが伝道した初期のキリスト教徒にとっては)、古代でいうところのアメン・ラーのように、そこにあって、そこに輝く、それは偉大で疑いようも無い大いなる存在なんだけど、でも具体的に見えないし自分が親しめるのはやっぱりオシリスとイシスなんだよね。という感じの存在なのではないかと推測する。
だいたい見当がついてきた。
コプト教は、確かにコプト教である。カトリックともプロテスタントとも違う。彼らはエジプト人だ。ピラミッドを築いた職人の子孫かどうかは別としても。
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https://55096962.seesaa.net/article/201003article_5.html
古代エジプト宗教からキリスト教へ至る道 -コプト教のはじまりからの流れ
https://55096962.seesaa.net/article/201003article_10.html

