リアルで知る古代エジプトの巫女さん ー アメンの神妻編 ー
というわけで前回からの続き。「純潔で高貴な巫女さんは実在したんだよ!」な、話から。
「アメンの神妻」-- ヘメト・ネチェル・ネト・アメン は、「アメンの聖妻」とか「神の手」などとも呼ばれる。
もともと、紀元前1550年頃に即位した第18王朝の祖、イアフメス王の時代に導入された制度で、読んで字のごとく、当時の最高神だった「アメン・ラー神」に仕える女性専用の職業である。ハトシェプスト女王がこの称号を名乗ったこともあった。
神の妻なる職業が生まれた時代背景とは、以下のようなものだ。
アメン・ラー神は国家の最高神であり、今の日本でいうとアマテラス大神以上に権威を集約された存在。政教分離のまだ成っていないような時代、権威をもつ神に仕える神官たちもまた絶大な権力を誇り、王に匹敵する発言力を持ちはじめていた。
イアフメス王は、戦国時代にあったエジプトを再統一して王朝をひらいた王であるから、まだエジプトが再統一されてまもなく不安定な時代、神官たちを味方につけ、王位を安定させようとして母親にこの称号を与えたようだ。女性でありながら王を名乗ったハトシェプストがこの称号を名乗った理由も同じ。自らをアメン神の娘とも名乗り、神の子孫たるエジプト王家の正当な後継者、ということを大いに喧伝していた。
この時点では、「アメンの神妻」という称号には、王家と神官たちの結びつきを強化する意味合いしかない。
しかし時代が進むにつれ、神官に権力を与えたことが裏目に出る。
国政が安定すると、王と神官の間で権力を巡る軋轢も生まれた。王は神官をうとましく思い、神官は自分たちの言いなりになる都合のいい王を玉座につけようとする。ツタンカーメンの父であるアクエンアテンは、それに反発して都を捨て、新しい首都を築いたのだとも言われている。(しかしそれも王の早世により失敗する)
王家と神官たちの結びつきを意味していた「アメンの神妻」の役職は、アクエンアテンの父(ツタンカーメンの祖父)であるアメンホテプ3世の時代から王族の女性の称号としては見られなくなり、明確に復活するのは第20王朝のラメセス6世の時代、前1150年あたり。神殿に送り込まれたのは、王の娘、つまり王女たちである。
この時代、「アメンの神妻」制度は、アメン神官たちの勢いをそぐため、王族の女性をアメン神の高位神官として神殿に送り込むために生まれた職業である。彼女らの役割は、文字通りアメン神の妻として一生を神殿に暮らし、アメン神官たちの動きに目を光らせていなければならない。結婚してはいけなかったのは、夫となる男性に権力を与えないためである。大変な職業だが、そうまでしなければ王家の権威を保てなかったということだろう。ラメセス6世の娘イセトは、はじめて結婚しなかった「アメンの神妻」である。
とは言いつつ、それから百年ほどあとには、努力むなしくアメン神官たちは王をしのぐ権力を持って独立してしまい、国土は分裂する。アメン神の祭りや伝統も省みられなくなり、「アメンの神妻」制度が再び復活するのは、747年ごろ。ヌビアのピアンキ王がエジプトに攻め入り、テーベを攻め落として以降の第25王朝のことである。
ここまでを簡単にまとめると。
********************
第18王朝
王家とアメン神の神官の関係強化のため王家の女性に「アメン神妻」の称号が与えられる
↓
王家とアメン神官団との関係悪化、王家の女性たちは「アメンの神妻」職に就かなくなる
↓
第20王朝
アメン神官団の見張りと権力を殺ぐため王女たちが「アメンの神妻」として神殿に送り込まれる
(夫となる人物に権力を与えないため、結婚禁止)
↓
第20王朝断絶、神官たちは勝手に国を作っちゃう
↓
第25王朝
エジプト再統一、「アメンの神妻」制度が復活
********************
こんな感じ。
第25王朝以降の「アメンの神妻」は、結婚を禁じられた王族の女性で構成され、王に匹敵する権力を持ったという。アメン神の信仰中心地はテーベの町である。大神殿のトップをつとめるということは、テーベの町を支配するのに等しかった。
特に、首都がテーベから移転してしまったあとはなおさらである。
第25王朝の時代には、首都はナイル下流のナイルデルタ周辺(メンフィス、アヴァリス、タニスなど)に築かれている。海を越えた貿易が盛んになったこと、リビアやパレスチナなど周辺地域との結びつきが強化され、人の行き来が頻繁になったことなどがその理由と思われる。ナイル上流にあるテーベは、相変わらず重要な町ではあり続けたが、首都機能は存在せず、王は遠く離れた場所で執政を行っていた。いわば「アメンの神妻」は、第二の首都であるテーベを見張る役目を持っていた、政治的な役職でもあるのだ。日本でいったら京都守護職みたいなものか。
か弱い巫女さん… ではなく、戦う巫女さんである。(笑)
神妻の権力は絶大で、第二首都であるテーベの実質の支配者でもあった。彼女たちは、王族の娘を養女にとって養育し、その権威を受け継いでいく。また、王に代わってアメン神を称える重要な祭儀も執り行ったという。
この仕組みは、ペルシャ王カンビュセスがエジプトに攻め入って、テーベの威光が失われる時まで続いていたという。
・・・・・・・うむ、まぁあれだ。
最高神をとりなして国を守る高貴な選ばれし巫女たちねとか
なんかそんな感じの設定に脳内置換すると萌えに通じるかなとか
いくら絶大な権力を持って、栄光のテーベの町を支配できたとしても、一生神殿に縛り付けられて権力争いの真っ只中で生きるのはキツいよなぁ…。
「アメンの神妻」-- ヘメト・ネチェル・ネト・アメン は、「アメンの聖妻」とか「神の手」などとも呼ばれる。
もともと、紀元前1550年頃に即位した第18王朝の祖、イアフメス王の時代に導入された制度で、読んで字のごとく、当時の最高神だった「アメン・ラー神」に仕える女性専用の職業である。ハトシェプスト女王がこの称号を名乗ったこともあった。
神の妻なる職業が生まれた時代背景とは、以下のようなものだ。
アメン・ラー神は国家の最高神であり、今の日本でいうとアマテラス大神以上に権威を集約された存在。政教分離のまだ成っていないような時代、権威をもつ神に仕える神官たちもまた絶大な権力を誇り、王に匹敵する発言力を持ちはじめていた。
イアフメス王は、戦国時代にあったエジプトを再統一して王朝をひらいた王であるから、まだエジプトが再統一されてまもなく不安定な時代、神官たちを味方につけ、王位を安定させようとして母親にこの称号を与えたようだ。女性でありながら王を名乗ったハトシェプストがこの称号を名乗った理由も同じ。自らをアメン神の娘とも名乗り、神の子孫たるエジプト王家の正当な後継者、ということを大いに喧伝していた。
この時点では、「アメンの神妻」という称号には、王家と神官たちの結びつきを強化する意味合いしかない。
しかし時代が進むにつれ、神官に権力を与えたことが裏目に出る。
国政が安定すると、王と神官の間で権力を巡る軋轢も生まれた。王は神官をうとましく思い、神官は自分たちの言いなりになる都合のいい王を玉座につけようとする。ツタンカーメンの父であるアクエンアテンは、それに反発して都を捨て、新しい首都を築いたのだとも言われている。(しかしそれも王の早世により失敗する)
王家と神官たちの結びつきを意味していた「アメンの神妻」の役職は、アクエンアテンの父(ツタンカーメンの祖父)であるアメンホテプ3世の時代から王族の女性の称号としては見られなくなり、明確に復活するのは第20王朝のラメセス6世の時代、前1150年あたり。神殿に送り込まれたのは、王の娘、つまり王女たちである。
この時代、「アメンの神妻」制度は、アメン神官たちの勢いをそぐため、王族の女性をアメン神の高位神官として神殿に送り込むために生まれた職業である。彼女らの役割は、文字通りアメン神の妻として一生を神殿に暮らし、アメン神官たちの動きに目を光らせていなければならない。結婚してはいけなかったのは、夫となる男性に権力を与えないためである。大変な職業だが、そうまでしなければ王家の権威を保てなかったということだろう。ラメセス6世の娘イセトは、はじめて結婚しなかった「アメンの神妻」である。
とは言いつつ、それから百年ほどあとには、努力むなしくアメン神官たちは王をしのぐ権力を持って独立してしまい、国土は分裂する。アメン神の祭りや伝統も省みられなくなり、「アメンの神妻」制度が再び復活するのは、747年ごろ。ヌビアのピアンキ王がエジプトに攻め入り、テーベを攻め落として以降の第25王朝のことである。
ここまでを簡単にまとめると。
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第18王朝
王家とアメン神の神官の関係強化のため王家の女性に「アメン神妻」の称号が与えられる
↓
王家とアメン神官団との関係悪化、王家の女性たちは「アメンの神妻」職に就かなくなる
↓
第20王朝
アメン神官団の見張りと権力を殺ぐため王女たちが「アメンの神妻」として神殿に送り込まれる
(夫となる人物に権力を与えないため、結婚禁止)
↓
第20王朝断絶、神官たちは勝手に国を作っちゃう
↓
第25王朝
エジプト再統一、「アメンの神妻」制度が復活
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こんな感じ。
第25王朝以降の「アメンの神妻」は、結婚を禁じられた王族の女性で構成され、王に匹敵する権力を持ったという。アメン神の信仰中心地はテーベの町である。大神殿のトップをつとめるということは、テーベの町を支配するのに等しかった。
特に、首都がテーベから移転してしまったあとはなおさらである。
第25王朝の時代には、首都はナイル下流のナイルデルタ周辺(メンフィス、アヴァリス、タニスなど)に築かれている。海を越えた貿易が盛んになったこと、リビアやパレスチナなど周辺地域との結びつきが強化され、人の行き来が頻繁になったことなどがその理由と思われる。ナイル上流にあるテーベは、相変わらず重要な町ではあり続けたが、首都機能は存在せず、王は遠く離れた場所で執政を行っていた。いわば「アメンの神妻」は、第二の首都であるテーベを見張る役目を持っていた、政治的な役職でもあるのだ。日本でいったら京都守護職みたいなものか。
か弱い巫女さん… ではなく、戦う巫女さんである。(笑)
神妻の権力は絶大で、第二首都であるテーベの実質の支配者でもあった。彼女たちは、王族の娘を養女にとって養育し、その権威を受け継いでいく。また、王に代わってアメン神を称える重要な祭儀も執り行ったという。
この仕組みは、ペルシャ王カンビュセスがエジプトに攻め入って、テーベの威光が失われる時まで続いていたという。
・・・・・・・うむ、まぁあれだ。
最高神をとりなして国を守る高貴な選ばれし巫女たちねとか
なんかそんな感じの設定に脳内置換すると萌えに通じるかなとか
いくら絶大な権力を持って、栄光のテーベの町を支配できたとしても、一生神殿に縛り付けられて権力争いの真っ只中で生きるのはキツいよなぁ…。

