歴史と伝説の狭間・クレオパトラ7世
ちょうどヒストリエの時代の少し後。現在のターゲットはプトレマイオス朝。
ところで、 プトレマイオス朝 と言って、ピンとくる人はどのくらいいるだろうか。
「エジプト最後の女王」がクレオパトラ7世であることは、おそらく良く知られている。そのクレオパトラ7世が所属するのがプトレマイオス王朝。エジプトの古代王国の歴史の最後に位置する王朝で、アレキサンダー大王なき後、その後継者の一人プトレマイオスが、アレキサンダーの帝国のうちエジプトを領地として選んだことから始まる。選んだ理由は「穀物が沢山とれて豊かな土地」「地理上、敵から攻められにくい」というもの。過酷な砂漠を越えてくる軍隊は、そうそういない。守るべき前線が地中海沿岸に限られているエジプトは、守るには有利だ。
ちなみに、プトレマイオスは、名前からしても、アレキサンダー大王の後継者の一人ということからしても分かるように、エジプト人ではない。マケドニア系のギリシャ人である。つまり、エジプト最後の女王は、エジプト人の血をいくばくか引いていたかもしれないが、祖先を辿れば外国人なのである。
…まずは、このへんから話をはじめよう。
この本が読みやすく、かつ面白いのは、著者がクレオパトラに対し激しすぎる「敵意」も「好意」も持っていないところが大きい。クレオパトラは世界でも有名な歴史上の人物であり、既に確立されたイメージや、知られているさまざまなエピソードがある。絨毯にくるまりカエサルの前に現れる可憐な美女、蠱惑的で聡明な高貴なる女王、ローマの支配者たちを次々と恋の罠にかけた妖婦…、エジプトの富をほしいままにした彼女の宮廷は、ハリウッドの見せる夢の舞台ですら及ばない…。
しかしそれゆえに、著者がクレオパトラに対し思い入れすぎてしまうことも多々ある。結果として、「歴史」と「伝説」の部分をごっちゃにしてしまうのだ。
たとえば、クレオパトラがコブラに胸を噛ませて死んだという話すら、実話かどうか怪しいのである。同時代の歴史化たちは、疑いながら「公式発表ではこうだった」と書いている。それが後世では事実とされてしまった。クレオパトラが大粒の真珠を酸に溶かして飲んだという話(「炭酸文明」の元ネタ)も眉唾ものだし、クレオパトラが薔薇風呂に入っていた話など、日本では有名だが、私はいまだにソースすら見つけられていない…。
何が歴史的事実で
何が本人の死後に作られた伝説なのか。
クレオパトラ本で、往々にしてごっちゃにして語られがちなこの点を明確に分離しようとしたところが、この本の面白いところだ。クレオパトラに関して言及した書物の名前と書き手の名前を明記した上で、引用部分に「」をつけるという念の入れよう。これは、歴史は、それを書いた人が存在する以上、既に客観的記録ではなくなっているという前提条件を思い出させる。ましてや、歴史を「書き残す」ことが出来るのはごく一部の限られた人だけ、その一部も大半がお国に雇われている役人のような人たちなのだから。
クレオパトラの伝説のうち、評判を貶めようとする内容はクレオパトラが破滅に追いやられる少し前から意図的に流布されていた。クレオパトラの「虜になった」とされるローマの実力者アントニウスに対し、その政敵であるオクタウィアヌスが仕掛けたデマゴーグである。クレオパトラは男を惑わす妖婦であり、女にだまされてアントニウスは母国ローマを裏切った、と主張するのがオクタウィアヌスの目的だった。であれば、ローマがエジプトに侵攻したところでローマ市民は反対しないだろうし、その戦争がアントニウスとの同士討ちである事実を隠せるはずだった。
オクタウィアヌスの作り上げた世論が強かった時代のクレオパトラは、「ローマを惑わす悪女」として歴史書に記されていたわけだ。だがやがて時が過ぎると、別のイメージも生まれてくる。遠くエキゾチックな国エジプトへの憧憬は、クレオパトラに悲劇の美女に変化させた。計算高い妖婦か、孤高の女王か。ただ言えることは、ローマの支配者を二人も誘惑した彼女の美しさは、単に見た目が美しかったのか、それ以上に人間的な魅力があったのかはさりとて、本物だったのだろう。
意外な話だが、クレオパトラは彼女と同時代に生きた人の記録が少ない。
エジプト側にはおそらくあったのだろうが、後の時代に喪失したか、あるいはローマがエジプトを支配した後に意図的に喪失させたのかは良く分からない。エジプトの各地の神殿にあったというクレオパトラの像も、今は残っていない。歴史というのはえてしてそんなもので、名前が良く知られている人ほど具体的な姿かたちが見えなかったりするものだ。
彼女の死とともに、エジプトはローマの「同盟国」から「属州」へと転落する。私が思うところのクレオパトラとは、いかにも女性的で直感的に動く、政治家としてはさほど優秀ではない人物。されど人をひきつける君主としての魅力には溢れていた女性、である。
ところで、 プトレマイオス朝 と言って、ピンとくる人はどのくらいいるだろうか。
「エジプト最後の女王」がクレオパトラ7世であることは、おそらく良く知られている。そのクレオパトラ7世が所属するのがプトレマイオス王朝。エジプトの古代王国の歴史の最後に位置する王朝で、アレキサンダー大王なき後、その後継者の一人プトレマイオスが、アレキサンダーの帝国のうちエジプトを領地として選んだことから始まる。選んだ理由は「穀物が沢山とれて豊かな土地」「地理上、敵から攻められにくい」というもの。過酷な砂漠を越えてくる軍隊は、そうそういない。守るべき前線が地中海沿岸に限られているエジプトは、守るには有利だ。
ちなみに、プトレマイオスは、名前からしても、アレキサンダー大王の後継者の一人ということからしても分かるように、エジプト人ではない。マケドニア系のギリシャ人である。つまり、エジプト最後の女王は、エジプト人の血をいくばくか引いていたかもしれないが、祖先を辿れば外国人なのである。
…まずは、このへんから話をはじめよう。
この本が読みやすく、かつ面白いのは、著者がクレオパトラに対し激しすぎる「敵意」も「好意」も持っていないところが大きい。クレオパトラは世界でも有名な歴史上の人物であり、既に確立されたイメージや、知られているさまざまなエピソードがある。絨毯にくるまりカエサルの前に現れる可憐な美女、蠱惑的で聡明な高貴なる女王、ローマの支配者たちを次々と恋の罠にかけた妖婦…、エジプトの富をほしいままにした彼女の宮廷は、ハリウッドの見せる夢の舞台ですら及ばない…。
しかしそれゆえに、著者がクレオパトラに対し思い入れすぎてしまうことも多々ある。結果として、「歴史」と「伝説」の部分をごっちゃにしてしまうのだ。
たとえば、クレオパトラがコブラに胸を噛ませて死んだという話すら、実話かどうか怪しいのである。同時代の歴史化たちは、疑いながら「公式発表ではこうだった」と書いている。それが後世では事実とされてしまった。クレオパトラが大粒の真珠を酸に溶かして飲んだという話(「炭酸文明」の元ネタ)も眉唾ものだし、クレオパトラが薔薇風呂に入っていた話など、日本では有名だが、私はいまだにソースすら見つけられていない…。
何が歴史的事実で
何が本人の死後に作られた伝説なのか。
クレオパトラ本で、往々にしてごっちゃにして語られがちなこの点を明確に分離しようとしたところが、この本の面白いところだ。クレオパトラに関して言及した書物の名前と書き手の名前を明記した上で、引用部分に「」をつけるという念の入れよう。これは、歴史は、それを書いた人が存在する以上、既に客観的記録ではなくなっているという前提条件を思い出させる。ましてや、歴史を「書き残す」ことが出来るのはごく一部の限られた人だけ、その一部も大半がお国に雇われている役人のような人たちなのだから。
クレオパトラの伝説のうち、評判を貶めようとする内容はクレオパトラが破滅に追いやられる少し前から意図的に流布されていた。クレオパトラの「虜になった」とされるローマの実力者アントニウスに対し、その政敵であるオクタウィアヌスが仕掛けたデマゴーグである。クレオパトラは男を惑わす妖婦であり、女にだまされてアントニウスは母国ローマを裏切った、と主張するのがオクタウィアヌスの目的だった。であれば、ローマがエジプトに侵攻したところでローマ市民は反対しないだろうし、その戦争がアントニウスとの同士討ちである事実を隠せるはずだった。
オクタウィアヌスの作り上げた世論が強かった時代のクレオパトラは、「ローマを惑わす悪女」として歴史書に記されていたわけだ。だがやがて時が過ぎると、別のイメージも生まれてくる。遠くエキゾチックな国エジプトへの憧憬は、クレオパトラに悲劇の美女に変化させた。計算高い妖婦か、孤高の女王か。ただ言えることは、ローマの支配者を二人も誘惑した彼女の美しさは、単に見た目が美しかったのか、それ以上に人間的な魅力があったのかはさりとて、本物だったのだろう。
意外な話だが、クレオパトラは彼女と同時代に生きた人の記録が少ない。
エジプト側にはおそらくあったのだろうが、後の時代に喪失したか、あるいはローマがエジプトを支配した後に意図的に喪失させたのかは良く分からない。エジプトの各地の神殿にあったというクレオパトラの像も、今は残っていない。歴史というのはえてしてそんなもので、名前が良く知られている人ほど具体的な姿かたちが見えなかったりするものだ。
彼女の死とともに、エジプトはローマの「同盟国」から「属州」へと転落する。私が思うところのクレオパトラとは、いかにも女性的で直感的に動く、政治家としてはさほど優秀ではない人物。されど人をひきつける君主としての魅力には溢れていた女性、である。