誰がスフィンクスの鼻を壊したか

ギザ台地に三つ並んだ、世界で最も有名な巨大なピラミッド。
そのうちのひとつ、カフラー王のピラミッド前にある巨大なスフィンクス。

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長年のうちに顔や輪郭は風化してしまっているが、中でも鼻が大きく欠けていることが目立っている。この鼻、いつからだか「エジプトに進行したナポレオン軍による大砲の射撃演習によって破壊されてしまった」という説がまことしやかに囁かれるようになったのだが、実はそうではない。

スフィンクスの鼻は、金属製の大きなノミで削り取られた跡がはっきりと残されている。

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と、いうわけで射撃演習ではなく、誰かが故意にノミで鼻だけ剥がしとったのは確実なわけだが、では、「いつ」「誰が」やったのか。
まずは状況と手口から犯人を推測してみよう。イッツ歴史ミステリィー(笑)



注意深く見てみると、エジプトの他の神殿でも、神やファラオの鼻や顔が削り取られている場面に出会うことがある。
出っ張っていて、もともと壊れやすい場所だというのもあるが、明らかにそうではないものもある。


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デンデラ神殿の屋上のあずま屋の柱。
柱に彫られたハトホル女神の顔の鼻の部分の左右には、スフィンクスと同じようにノミで削り取られた跡がある。

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ハトホル神殿背後の女神の顔部分は特に念入りに削られている。

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フィラエ島のイシス神殿。入り口のスフィンクスの顔が砕かれている。
背後の壁面の神の姿も顔の部分にくさびを打ち込んだような穴が開けられている。



これらの神や王の像は、主にキリスト教がナイル上流にも広まり始めた4世紀末から5世紀ごろに破壊された。神殿内部がキリスト教仕様に改造されたり、柱に十字架が刻まれて説教施設として再利用されたりもしていたようだ。
ただし、エジプトにキリスト教が深く浸透する時間はなく、その後7世紀にはイスラム世界に吸収され、多くの一般人はイスラム教を受け入れた。

キリスト教もイスラム教も、基本的には一神教であり、古代エジプトの神殿や墓に刻まれた他宗教の神や神格化された王の姿を破壊する理由は十分にある。スフィンクスの鼻の破壊者も、これら後世に入ってきた一神教の熱狂的な信者だったことが、まずは推測出来るだろう。



時代を特定するうえでヒントになるのが、エジプトに旅行した旅行者のスケッチである。
とりあえず最古の「鼻のない」スケッチとして知られているのはフレデリック・ルイスによる1737年のスケッチだろうか。
旅行者のスケッチは必ずしも正確であるわけではなく、ルイス以降にスケッチされたはずなのに鼻がある、ものも多数存在するのだが、「ない」ものを「ある」と脳内で補完することはあっても、「ある」ものをわざわざ「ない」状態で描くことはほぼ無いだろう。鼻のない状態のスフィンクスを描くことが出来た1737年には、すでにギザの大スフィンクスの鼻は消失していた。
この時点で、ナポレオン軍にかけられた疑いは完全に晴れる。



そして、それ以前の証言者が15世紀の歴史家アル・マクリズ(al-Maqrizi)さんである。
彼いわく「1378年に熱心なスーフィー教徒(イスラムの一派)が、スフィンクス拝んでる地元民を見つけて激怒して破壊した」…とのこと。
破壊が14世紀後半とすれば、アル・マクリズの活動していた時期と年代的にも近いため、この証言には信ぴょう性があると言える。

また、地元民が豊穣を願ってスフィンクスに供え物をしていたという話も生々しくてリアリティがある。エジプトの民は、たった100年前まで実際にナイルの増水を願う地元ローカルな祭りを行っていたからだ。
表面上はイスラム教を受け入れても、同時に古代から続く多神教の祭りもひそかに受け継いでいるというごった煮感はエジプトならでは。



というわけで、犯人は14世紀のスーフィー教徒だった可能性が高い、と結論づけてよいようだ。ナポレオンがやって来るより400年以上も前の話である。

アル・マグリズはムハンマド・サイム・アル・ダハルという名前をだしているが、この人が実在したのかどうか、どんな人だったのかがよくわからんので「お前が犯人だぁ!」とは指ささないでおく。狂信的な原理主義者が私刑と称して犯罪者の鼻をそぎとる蛮行は現代でも行われているが、スフィンクスは、私刑によって鼻を削ぐ行為がはるか昔から行われていたことの最も長命な生き証人なのかもしれない。

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