マヤの暦はじまりとおわり -2012年が終わりなら、その始まりをキミは知っているか
ずいぶん前に一度ネタにしたことがあるよあなないようなうっすらとした記憶があるのだが、確か「2012」という映画が公開されたあたりで、マヤの暦は2012年で終わっているから、2012年で世界が滅びるんだ云々…という話が世間的に盛り上がったように思う。
しかし、別にマヤ人は2012年で世界が終わるなんて一言も言っていない。
彼らの使っていた暦は、大小さまざまな歯車が噛み合わさって回っているイメージのものだ。
日本でいうと「つちのと ひつじ」みたいな感じで、十干・十二支に相当するいくつかの「周期」が存在し、その組み合わせで日付を表現していた。その中の最も長い「長期暦」と呼ばれるものの一周が終了するのが2012年なのである。
開始はいつか?
答えは、紀元前3114年8月13日。
この場合、終了は紀元後2012年12月23日。
※西洋暦との対比は、16世紀にマヤ地方に行ったスペイン人の記録と付きあわせて算出
※ちなみに、8/11開始 12/21終了という別説もある。
もし、この暦で「世界の終了」を信じるのなら、「世界の開始」日付ももちろん信じていただかなくてはならない。
しかし紀元前3114年なんていうとメソポタミアではシュメール人がブイブイいわし、エジプトではナルメルさんあたりが「エジプト統一王に、俺はなるっっ!」とかやっており、残念ながらすでに世界は天地開闢の混沌を通り過ぎたあとである。
始まりが世界の始まりでないのなら、終わりも世界の終わりではない。
というかそもそも、暦自体が「周期」でしかないのだから、一周終わったら二周目に入るだけなんじゃない? という。
ちなみに、マヤ文明の萌芽となる文明が発達しはじめた時代がだいたい紀元前3世紀ごろ。長期暦で記された最古の石碑もそのくらいの時代なので、暦が考案されたのは紀元前3世紀くらいなのではないかと思う。にもかかわらず、暦の始まりがそれよりもはるか昔の紀元前3114年になっているのは、ぶっちゃけ、歴史を水増ししたかったからではないのかという予感がうっすらと。
「よーし今日からこの暦使うねっ! 今日が建国記念日!」…とは、ならないのが世の常なわけで。「うちの王家は神の子孫なんで、ずっと昔からこの地上にあったわけですよ。でもって地上に降臨して最初の王国を築いた日を暦の始まりにするんですよ。」…みたいな感じで導入すると思うんですよね。エジプトさんがそんな感じだから(笑)
ただ、マヤ人にも想定外だったのは、この暦が終わるより前に自分たちの王国が崩壊しちゃったことだと思う。
ちなみに、中南米、とまとめて言われることが多いが、マヤは中米。現在のグァテマラやホンジュラスのあたり、カリブ海に突き出すユカタン半島を中心に発達した。その少し北、現在のメキシコあたりを中心にして少しあとの時代に発達するのがアステカ。
アステカと同時代に、南米の太平洋側、現在のチリ付近で発達したのがインカ。
帝国を築いたインカに対し、マヤ・アステカはともに、大国小国が入り混じる多くの都市国家の集合体としての文明である。インカがエジプトタイプなら、マヤ・アステカはメソポタミアタイプの文明。地理的にも文化的にも、エジプトとメソポタミアくらいの距離感だと思っていいだろう。
多くの都市国家が衰退と繁栄を繰り返し、都市間戦争を繰り広げていたマヤでは、紀元後8世紀から9世紀ごろに都市間戦争がピークを迎える。原因は森林伐採のしすぎや干ばつによる食料不足とも、強大な都市国家に対する周辺の従属都市の反乱とも言われる。5000年以上の周期を持つ暦を準備したにもかかわらず、文明自体は1000年くらいで衰退してしまうのである。
しかし、殺傷能力の高い武器を持たなかったマヤ人の戦争は、人を根絶するには至らなかった。
戦争によって王族や神官などの支配者層が失われたため、壮麗な都市文明や文字は失われたかもしれないが、古き神々への信仰や民間の儀礼、言葉などは生き残り続け、その後、スペイン人がやってきた時にはマヤ人たちはまだ同じ場所に暮らしていて、同じ暦を使って生活していた。(だからこそ、西洋歴とマヤ暦の対比が行われた)
彼らは暦が世界の始まりと終わりを示しているとは言っていない。
ただ、言っていない理由は簡単で、紀元前3114年に始まる「長期暦」は、一般庶民の日常生活で使われるものではなく、彼らはその始まりも終わりも意識していなかったからだ。生活単位が1年なのは地球上のどこの文明でも同じこと。庶民は、「月」「日」を表すのに使う短い暦の組み合わせだけを使用して暮らしていたのだ。
そもそも5000年周期の暦なんて、日常生活では使いようがない。
記念用の石碑などで使われていることからしても王権の儀礼用の特別な暦ではあったのだろうが…。
しかし、別にマヤ人は2012年で世界が終わるなんて一言も言っていない。
彼らの使っていた暦は、大小さまざまな歯車が噛み合わさって回っているイメージのものだ。
日本でいうと「つちのと ひつじ」みたいな感じで、十干・十二支に相当するいくつかの「周期」が存在し、その組み合わせで日付を表現していた。その中の最も長い「長期暦」と呼ばれるものの一周が終了するのが2012年なのである。
開始はいつか?
答えは、紀元前3114年8月13日。
この場合、終了は紀元後2012年12月23日。
※西洋暦との対比は、16世紀にマヤ地方に行ったスペイン人の記録と付きあわせて算出
※ちなみに、8/11開始 12/21終了という別説もある。
もし、この暦で「世界の終了」を信じるのなら、「世界の開始」日付ももちろん信じていただかなくてはならない。
しかし紀元前3114年なんていうとメソポタミアではシュメール人がブイブイいわし、エジプトではナルメルさんあたりが「エジプト統一王に、俺はなるっっ!」とかやっており、残念ながらすでに世界は天地開闢の混沌を通り過ぎたあとである。
始まりが世界の始まりでないのなら、終わりも世界の終わりではない。
というかそもそも、暦自体が「周期」でしかないのだから、一周終わったら二周目に入るだけなんじゃない? という。
ちなみに、マヤ文明の萌芽となる文明が発達しはじめた時代がだいたい紀元前3世紀ごろ。長期暦で記された最古の石碑もそのくらいの時代なので、暦が考案されたのは紀元前3世紀くらいなのではないかと思う。にもかかわらず、暦の始まりがそれよりもはるか昔の紀元前3114年になっているのは、ぶっちゃけ、歴史を水増ししたかったからではないのかという予感がうっすらと。
「よーし今日からこの暦使うねっ! 今日が建国記念日!」…とは、ならないのが世の常なわけで。「うちの王家は神の子孫なんで、ずっと昔からこの地上にあったわけですよ。でもって地上に降臨して最初の王国を築いた日を暦の始まりにするんですよ。」…みたいな感じで導入すると思うんですよね。エジプトさんがそんな感じだから(笑)
ただ、マヤ人にも想定外だったのは、この暦が終わるより前に自分たちの王国が崩壊しちゃったことだと思う。
ちなみに、中南米、とまとめて言われることが多いが、マヤは中米。現在のグァテマラやホンジュラスのあたり、カリブ海に突き出すユカタン半島を中心に発達した。その少し北、現在のメキシコあたりを中心にして少しあとの時代に発達するのがアステカ。
アステカと同時代に、南米の太平洋側、現在のチリ付近で発達したのがインカ。
帝国を築いたインカに対し、マヤ・アステカはともに、大国小国が入り混じる多くの都市国家の集合体としての文明である。インカがエジプトタイプなら、マヤ・アステカはメソポタミアタイプの文明。地理的にも文化的にも、エジプトとメソポタミアくらいの距離感だと思っていいだろう。
多くの都市国家が衰退と繁栄を繰り返し、都市間戦争を繰り広げていたマヤでは、紀元後8世紀から9世紀ごろに都市間戦争がピークを迎える。原因は森林伐採のしすぎや干ばつによる食料不足とも、強大な都市国家に対する周辺の従属都市の反乱とも言われる。5000年以上の周期を持つ暦を準備したにもかかわらず、文明自体は1000年くらいで衰退してしまうのである。
しかし、殺傷能力の高い武器を持たなかったマヤ人の戦争は、人を根絶するには至らなかった。
戦争によって王族や神官などの支配者層が失われたため、壮麗な都市文明や文字は失われたかもしれないが、古き神々への信仰や民間の儀礼、言葉などは生き残り続け、その後、スペイン人がやってきた時にはマヤ人たちはまだ同じ場所に暮らしていて、同じ暦を使って生活していた。(だからこそ、西洋歴とマヤ暦の対比が行われた)
彼らは暦が世界の始まりと終わりを示しているとは言っていない。
ただ、言っていない理由は簡単で、紀元前3114年に始まる「長期暦」は、一般庶民の日常生活で使われるものではなく、彼らはその始まりも終わりも意識していなかったからだ。生活単位が1年なのは地球上のどこの文明でも同じこと。庶民は、「月」「日」を表すのに使う短い暦の組み合わせだけを使用して暮らしていたのだ。
そもそも5000年周期の暦なんて、日常生活では使いようがない。
記念用の石碑などで使われていることからしても王権の儀礼用の特別な暦ではあったのだろうが…。