プラハの町の両替商の多さとユダヤ人町
女性の像「アンタがいけないのよ!」
男性の像「なんでやねん!」
…とか、そういう話ではなく右下に見きれている両替やさんの話である。
プラハの町は、ものすごく両替屋さんが多い。
これでもかというくらい両替屋さん。銀行ではなく両替やさん。
駅の中だけで2-3あり、さらに駅を出た通りにもあり、どの通りにも一件あるくらいの勢いで建っている。他のどこの国にもない多さ。
ユダヤ人が公的な仕事につくことが禁じられ、金貸しや両替商など一部の職業にしか就けなかった時代の名残りだとすれば、今のプラハの両替商の多さのウラには、プラハが抱えてきたユダヤ人口の多さがあるのではないかと思う。
チェコ(分離前のチェコスロバキアも同様)は、ヨーロッパの中でもユダヤ教徒人口の多い国だとされている。
ユダヤ人が現在のチェコ周辺に住み始めたのは11世紀ごろと言われるが、当時から他国にはなく保護政策などがとられ、常に一定数がプラハとその周辺に住み続けてきた。何度も反ユダヤ運動が起きながら政府が保護し続けた理由は、単純に言うとユダヤ人に高い税金をかけて収入源としてきたところにある。たとえユダヤ人地区に隔離したとしても、一定数いてくれたほうが税収が安定するのだ。
他のヨーロッパの大都市にたがわず、プラハでもユダヤ人を迫害する暴動も何度か起きているものの、皇帝ルドルフ2世の顧問となり、プラハのユダヤ人地区にマイゼル・シナゴーグを建設したモルデハイ・マイゼルのようなユダヤ人もおり、全体的に見れば他国よりはるかに有遇されていた。
ちなみに、プラハの東河岸にあるユダヤ人地区は「ヨゼフォフ」と呼ばれるが、これは女帝マリア・テレジアの後を継いだヨーゼフ2世(1780年即位)の名前に由来する。
ヨーゼフ2世は宗教の自由を認め、ユダヤ人が一般職に就くことも許したからだ。これは、ヨーゼフ2世が特別にユダヤ人を有遇したというよりも、マリア・テレジア時代に女系相続を認めないプロイセンとの間で激しい戦争が起こり、帝国の財政を支えるユダヤ人を邪険に出来なかったことや、帝国内の制度化をすすめる上で各地方の統一を図る必要があったのが理由のようだが、結果としてユダヤ人にとっては優遇策となった。
好条件の揃うチェコには、多くのユダヤ人が移り住んでいった。
プラハに住んだユダヤ人は、第二次世界大戦時には5万5千人に及んでいたといい、ナチス・ドイツ占領下に置かれた際には、その2/3までもがゲットーに連行されたのだそうだ。プラハ以外のチェコ各地に住んでいたユダヤ人たちもナチス・ドイツの犠牲となり、ヨゼフォフの一角にあるピンカス・シナゴーグ(ユダヤの教会)の内部には、チェコ全土のユダヤ人犠牲者、約7万8千人の氏名がびっしりと書き記されている。
現在プラハに住むユダヤ人たちは、その恐怖の時代を生き抜いたユダヤ人の末裔… と、いうことになる。
***
本題とはズレるが、チェコに住むユダヤ人がどこから来たのかについては色々と面倒くさい議論がある。
チェコに住むユダヤ人のほとんどは、旧約聖書で「出エジプト」したことになっている元々の神に選ばれし民の末裔ではなく、後世にユダヤ教に改宗したハザール汗国の末裔だという説である。
(参考)アシュケナジム・ハザール起源説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB#.E3.80.8C.E3.82.A2.E3.82.B7.E3.83.A5.E3.82.B1.E3.83.8A.E3.82.B8.E3.83.A0.E3.83.BB.E3.83.8F.E3.82.B6.E3.83.BC.E3.83.AB.E8.B5.B7.E6.BA.90.E8.AA.AC.E3.80.8D.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6
ハザール人は、黒海東岸~カスピ海あたりの地域をコアに、10世紀ごろまで王国を保っていた人々である。ウイグル系の人種と言われ、もともとはユダヤ教となんの関係もない。
そのハザール人がユダヤ教に改宗した理由は、キリスト教のビザンツとアラビアのイスラム教勢力のどちらからも干渉されず、かつどちらともそれなりに有効な関係を築く必要があったからではないかと言われている。(ユダヤ教はキリスト教・イスラム教両方の祖でもあり崇める神は同じなので、まぁ、角の立たない良い方法かもしれない…)
ハザール汗国が衰退していくのが9世紀末。
東欧にユダヤ人が多いのは、崩壊した王国から移転してきたユダヤ教徒が多かったからではないか、というのが一つの説である。
チェコの場合、最初にユダヤ人が住み始めたのがいつかは不明だが、第一次十字軍(1096)時にプラハでユダヤ人襲撃事件が発生しているので、11世紀末の時点で既に一定数が居住していたのだと思われる。地理的に近いので、ハザール人の移住があった可能性もある。
ただし、歴史を通して他国よりユダヤ人に有利な政策がとられていたことから、近隣諸国からのユダヤ人の移住も多く、もともとハザール人が多かったのだとしても今では立証できないし血も混じりまくっててわかんない…という状態のようだ。
東欧のユダヤ人が後から改宗したユダヤ教徒で元々のユダヤ人とは異なるんだよ説をとりたい人と、そんなことない東欧のユダヤ人は本物のユダヤ人だ説をとりたい人とのあいだで、政治的・人種差別敵なアレとかナニとかがあって面倒で不毛な議論が盛り上がっていたりするようだ…。
※ここらへんは、フン族と匈奴が同一かどうかという議論と構造は同じ。
***
なお、プラハの町には中国人観光客が溢れていたが、どこの両替屋さんも中国元の両替は取り扱っていなかったようだ。日本円→チェココルナはチョクで両替OK。
観光客が一定数いても中国元や韓国ウォンを取り扱わない理由は「偽札多くてメンドー」だからだそうだ。
まあ、それはアルヨネ。
男性の像「なんでやねん!」
…とか、そういう話ではなく右下に見きれている両替やさんの話である。
プラハの町は、ものすごく両替屋さんが多い。
これでもかというくらい両替屋さん。銀行ではなく両替やさん。
駅の中だけで2-3あり、さらに駅を出た通りにもあり、どの通りにも一件あるくらいの勢いで建っている。他のどこの国にもない多さ。
ユダヤ人が公的な仕事につくことが禁じられ、金貸しや両替商など一部の職業にしか就けなかった時代の名残りだとすれば、今のプラハの両替商の多さのウラには、プラハが抱えてきたユダヤ人口の多さがあるのではないかと思う。
チェコ(分離前のチェコスロバキアも同様)は、ヨーロッパの中でもユダヤ教徒人口の多い国だとされている。
ユダヤ人が現在のチェコ周辺に住み始めたのは11世紀ごろと言われるが、当時から他国にはなく保護政策などがとられ、常に一定数がプラハとその周辺に住み続けてきた。何度も反ユダヤ運動が起きながら政府が保護し続けた理由は、単純に言うとユダヤ人に高い税金をかけて収入源としてきたところにある。たとえユダヤ人地区に隔離したとしても、一定数いてくれたほうが税収が安定するのだ。
他のヨーロッパの大都市にたがわず、プラハでもユダヤ人を迫害する暴動も何度か起きているものの、皇帝ルドルフ2世の顧問となり、プラハのユダヤ人地区にマイゼル・シナゴーグを建設したモルデハイ・マイゼルのようなユダヤ人もおり、全体的に見れば他国よりはるかに有遇されていた。
ちなみに、プラハの東河岸にあるユダヤ人地区は「ヨゼフォフ」と呼ばれるが、これは女帝マリア・テレジアの後を継いだヨーゼフ2世(1780年即位)の名前に由来する。
ヨーゼフ2世は宗教の自由を認め、ユダヤ人が一般職に就くことも許したからだ。これは、ヨーゼフ2世が特別にユダヤ人を有遇したというよりも、マリア・テレジア時代に女系相続を認めないプロイセンとの間で激しい戦争が起こり、帝国の財政を支えるユダヤ人を邪険に出来なかったことや、帝国内の制度化をすすめる上で各地方の統一を図る必要があったのが理由のようだが、結果としてユダヤ人にとっては優遇策となった。
好条件の揃うチェコには、多くのユダヤ人が移り住んでいった。
プラハに住んだユダヤ人は、第二次世界大戦時には5万5千人に及んでいたといい、ナチス・ドイツ占領下に置かれた際には、その2/3までもがゲットーに連行されたのだそうだ。プラハ以外のチェコ各地に住んでいたユダヤ人たちもナチス・ドイツの犠牲となり、ヨゼフォフの一角にあるピンカス・シナゴーグ(ユダヤの教会)の内部には、チェコ全土のユダヤ人犠牲者、約7万8千人の氏名がびっしりと書き記されている。
現在プラハに住むユダヤ人たちは、その恐怖の時代を生き抜いたユダヤ人の末裔… と、いうことになる。
***
本題とはズレるが、チェコに住むユダヤ人がどこから来たのかについては色々と面倒くさい議論がある。
チェコに住むユダヤ人のほとんどは、旧約聖書で「出エジプト」したことになっている元々の神に選ばれし民の末裔ではなく、後世にユダヤ教に改宗したハザール汗国の末裔だという説である。
(参考)アシュケナジム・ハザール起源説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB#.E3.80.8C.E3.82.A2.E3.82.B7.E3.83.A5.E3.82.B1.E3.83.8A.E3.82.B8.E3.83.A0.E3.83.BB.E3.83.8F.E3.82.B6.E3.83.BC.E3.83.AB.E8.B5.B7.E6.BA.90.E8.AA.AC.E3.80.8D.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6
ハザール人は、黒海東岸~カスピ海あたりの地域をコアに、10世紀ごろまで王国を保っていた人々である。ウイグル系の人種と言われ、もともとはユダヤ教となんの関係もない。
そのハザール人がユダヤ教に改宗した理由は、キリスト教のビザンツとアラビアのイスラム教勢力のどちらからも干渉されず、かつどちらともそれなりに有効な関係を築く必要があったからではないかと言われている。(ユダヤ教はキリスト教・イスラム教両方の祖でもあり崇める神は同じなので、まぁ、角の立たない良い方法かもしれない…)
ハザール汗国が衰退していくのが9世紀末。
東欧にユダヤ人が多いのは、崩壊した王国から移転してきたユダヤ教徒が多かったからではないか、というのが一つの説である。
チェコの場合、最初にユダヤ人が住み始めたのがいつかは不明だが、第一次十字軍(1096)時にプラハでユダヤ人襲撃事件が発生しているので、11世紀末の時点で既に一定数が居住していたのだと思われる。地理的に近いので、ハザール人の移住があった可能性もある。
ただし、歴史を通して他国よりユダヤ人に有利な政策がとられていたことから、近隣諸国からのユダヤ人の移住も多く、もともとハザール人が多かったのだとしても今では立証できないし血も混じりまくっててわかんない…という状態のようだ。
東欧のユダヤ人が後から改宗したユダヤ教徒で元々のユダヤ人とは異なるんだよ説をとりたい人と、そんなことない東欧のユダヤ人は本物のユダヤ人だ説をとりたい人とのあいだで、政治的・人種差別敵なアレとかナニとかがあって面倒で不毛な議論が盛り上がっていたりするようだ…。
※ここらへんは、フン族と匈奴が同一かどうかという議論と構造は同じ。
***
なお、プラハの町には中国人観光客が溢れていたが、どこの両替屋さんも中国元の両替は取り扱っていなかったようだ。日本円→チェココルナはチョクで両替OK。
観光客が一定数いても中国元や韓国ウォンを取り扱わない理由は「偽札多くてメンドー」だからだそうだ。
まあ、それはアルヨネ。