南米(ペルー方面)文明成立をめぐるジャガイモとトウモロコシの激しい攻防(?)
へべれけになりつつ帰宅した翌日、冷蔵庫を開けると何故か目覚まし時計やハンドクリームが程良く冷えているというのは我が家では良くあることですが、雨宿りついでにアーケードを通って帰宅した翌日、何故か机の上に見知らぬ本が置いてありしかも気になったページに付箋が挟み込まれている、なんていうのもまた、我が家では日常茶飯事的なミステリーでございます。ええ。全く記憶にございません。きっと秘書(いないけど)が勝手にやったことなんです。
そんなわけで、小一時間ほど人を待っていた間にうっかり本屋の前を通り過ぎたついでに手にしたと思しき本、「ジャガイモのきた道」をとりあえず半分ほど消化してみたところ、あまりにもツッコミどころが多くてムラムラしてきたので忘れないうちに書いておこうと思い立ち、ブロガーもすなる日記といふものを、一介のサイト管理人もしてみむとしてするなり。
本のタイトルは、ジャレド・ダイアモンドの名著「銃・病原菌・鉄」にインスパイアされたのではないかと推測。
…ので、タイトルにちょっと惹かれてみたわけだが、内容のレベルは…まぁ… 「元」には遠く及ばず。
どこかで読んだ内容だと思って巻末を見たら、途中までは同じ人の著書「ジャガイモとインカ帝国」の書きなおしらしい。なるほど。
で、この本「ジャガイモのきた道」の前半部分の内容を要約すると、こうだ。
インカ文明の発展に寄与した、ジャガイモの重要度が軽視されている。
インカの主食は従来のようにトウモロコシではなく、ジャガイモであるはず。
というわけでこの編は、これまで考古学的に軽視されてきたジャガイモが人類史の中で持つ重要度をアピールし、イモの地位向上を! と、著者が熱っぽくイモ愛を語っている本なのだ。
で、ツッコミどころが何処かといえば、さっくりと言えば、著者は愛ゆえに少し過剰に言い過ぎたのである。
インカを含む南米でイモが重要な食料だったのは確か。インカの繁栄にイモが寄与したのは間違いない。しかし、トウモロコシよりイモが重要視されていたとは言えないし、ましてイモが主導権を握って文明を築いたというのは言い過ぎ。トウモロコシの補助としてイモがあったからこそ文明が発展した。
何でかというと、最初のほうで著者自身が言っているとおり、イモの原種には毒があったからだ。
対して、トウモロコシの原種には、毒がない。
同じ一年草で、品種改良のサイクルは同じとなれば、毒のないほうからまず食用化するのは当然だろう。毒があるものを敢えて食おうとするのは(まして主食の一部として品種改良しようと試みるのは)、往々にして食べるものに窮した時である。
そして、ジャガイモが寒冷な気候での生育に適しているという著者自身の主張もまた、トウモロコシの補佐としてのイモを裏付ける。当たり前だが人間は住みやすいところから先に定住を始める。インカ地方の人々だって、最初っからトウモロコシも育たないような高地にばっかり町を作っていたわけではない。トウモロコシの育つ場所にまず定住を開始し、ジャガイモという寒冷地でも育つ農作物を手に入れたことで、さらに高地への移住も可能にした、と考えるのが自然。
だから、
×ジャガイモがインカを作った
◎ジャガイモはインカの拡大に貢献した
このあたりが妥当だろう。
イモが重要だったのは分かるが、だからといって相対的なトウモロコシの地位を必要以上に軽視しようとするのは、結局は著者の憤慨している「イモ軽視」の学者と同じ過ちを繰り返しているようにしか見えない。どっちがより重要かとかそーいう問題じゃないだろコレ。
それに、人々がそんなにジャガイモを重要視していたなら、なぜジャガイモの神様がいないんだ。
インカにも、プレ・インカにも、全身トウモロコシになってるトウモロコシの化身な豊穣神がいるぞ。
探せばどっかいるかもしれないんだけど、ジャガイモ神があんまり目立っていないあたり、インカの人たちがトウモロコシよりジャガイモを上に見ていたとは思いがたいんだよなあ…。
あと、著者は何故か「日本ではイモといえばダサいことの象徴のように思われている」と憤慨しているが、…あれだ。日本でいう「イモい」(=ダサい)が指してるのはジャガイモじゃなくて里芋とかのことだよ、多分。日本伝統の言い回しは、日本古来のイモしか想定してないだろう普通に考えて。「芋洗いのごとく」って小芋を桶で一気洗いするときの情景描写だよね…。
里芋なんかのイモが穀物に比べてダサい扱いなのは、山で採れる「野山のもの」扱いだからと、見た目の話じゃないの。同じく黒くて毛が生えてるゴボウさんもダサいものの形容詞だし。
イモ愛が行きすぎて、なんか全く関係ないところにまで見当はずれの熱弁を振るっちゃってるようにしか見えないのがなー…。自分も人のこと言えないけど、まあちょっと冷静になろうぜ。
*******************************************************
過去にインカとジャガイモについて調べたときのエントリ
* 霧のインカ ジャガイモにかけた垂直の情熱
https://55096962.seesaa.net/article/200909article_15.html
インカ人がイモを愛していたのは正解だろう。
ただ、イモの品種改良に多大な情熱を傾けざるを得なかったのは、それだけジャガイモが食用化しづらい、そのままでは毒があって食べられない厄介な作物だったことに起因する。帝国拡大のために、そんな厄介なイモでもうまく付き合っていくしかなかった、という見方もできる。
* マヤ・アステカとインカとの違い
https://55096962.seesaa.net/article/201001article_4.html
高地集落の多いインカでイモが主食だったことも把握してますが、インカ人が最初からイモを主食としていたという説には意義を唱えさせていただく。トウモロコシが儀式用や王族用の食事だった、なんてことはないし、酒にするのがメインの使い方だったってのは、おかしい。まず第一にメシにしてから余りで酒を作るのが普通。いきなりトウモロコシは酒にするための穀物とか言い出したら、そりゃ言いすぎだ。エジプト人がビール大量消費してるからって、大麦はビール専用の穀物だったとか言っちゃうようなもんだ。
そんなわけで、小一時間ほど人を待っていた間にうっかり本屋の前を通り過ぎたついでに手にしたと思しき本、「ジャガイモのきた道」をとりあえず半分ほど消化してみたところ、あまりにもツッコミどころが多くてムラムラしてきたので忘れないうちに書いておこうと思い立ち、ブロガーもすなる日記といふものを、一介のサイト管理人もしてみむとしてするなり。
本のタイトルは、ジャレド・ダイアモンドの名著「銃・病原菌・鉄」にインスパイアされたのではないかと推測。
…ので、タイトルにちょっと惹かれてみたわけだが、内容のレベルは…まぁ… 「元」には遠く及ばず。
どこかで読んだ内容だと思って巻末を見たら、途中までは同じ人の著書「ジャガイモとインカ帝国」の書きなおしらしい。なるほど。
で、この本「ジャガイモのきた道」の前半部分の内容を要約すると、こうだ。
インカ文明の発展に寄与した、ジャガイモの重要度が軽視されている。
インカの主食は従来のようにトウモロコシではなく、ジャガイモであるはず。
というわけでこの編は、これまで考古学的に軽視されてきたジャガイモが人類史の中で持つ重要度をアピールし、イモの地位向上を! と、著者が熱っぽくイモ愛を語っている本なのだ。
で、ツッコミどころが何処かといえば、さっくりと言えば、著者は愛ゆえに少し過剰に言い過ぎたのである。
インカを含む南米でイモが重要な食料だったのは確か。インカの繁栄にイモが寄与したのは間違いない。しかし、トウモロコシよりイモが重要視されていたとは言えないし、ましてイモが主導権を握って文明を築いたというのは言い過ぎ。トウモロコシの補助としてイモがあったからこそ文明が発展した。
何でかというと、最初のほうで著者自身が言っているとおり、イモの原種には毒があったからだ。
対して、トウモロコシの原種には、毒がない。
同じ一年草で、品種改良のサイクルは同じとなれば、毒のないほうからまず食用化するのは当然だろう。毒があるものを敢えて食おうとするのは(まして主食の一部として品種改良しようと試みるのは)、往々にして食べるものに窮した時である。
そして、ジャガイモが寒冷な気候での生育に適しているという著者自身の主張もまた、トウモロコシの補佐としてのイモを裏付ける。当たり前だが人間は住みやすいところから先に定住を始める。インカ地方の人々だって、最初っからトウモロコシも育たないような高地にばっかり町を作っていたわけではない。トウモロコシの育つ場所にまず定住を開始し、ジャガイモという寒冷地でも育つ農作物を手に入れたことで、さらに高地への移住も可能にした、と考えるのが自然。
だから、
×ジャガイモがインカを作った
◎ジャガイモはインカの拡大に貢献した
このあたりが妥当だろう。
イモが重要だったのは分かるが、だからといって相対的なトウモロコシの地位を必要以上に軽視しようとするのは、結局は著者の憤慨している「イモ軽視」の学者と同じ過ちを繰り返しているようにしか見えない。どっちがより重要かとかそーいう問題じゃないだろコレ。
それに、人々がそんなにジャガイモを重要視していたなら、なぜジャガイモの神様がいないんだ。
インカにも、プレ・インカにも、全身トウモロコシになってるトウモロコシの化身な豊穣神がいるぞ。
探せばどっかいるかもしれないんだけど、ジャガイモ神があんまり目立っていないあたり、インカの人たちがトウモロコシよりジャガイモを上に見ていたとは思いがたいんだよなあ…。
あと、著者は何故か「日本ではイモといえばダサいことの象徴のように思われている」と憤慨しているが、…あれだ。日本でいう「イモい」(=ダサい)が指してるのはジャガイモじゃなくて里芋とかのことだよ、多分。日本伝統の言い回しは、日本古来のイモしか想定してないだろう普通に考えて。「芋洗いのごとく」って小芋を桶で一気洗いするときの情景描写だよね…。
里芋なんかのイモが穀物に比べてダサい扱いなのは、山で採れる「野山のもの」扱いだからと、見た目の話じゃないの。同じく黒くて毛が生えてるゴボウさんもダサいものの形容詞だし。
イモ愛が行きすぎて、なんか全く関係ないところにまで見当はずれの熱弁を振るっちゃってるようにしか見えないのがなー…。自分も人のこと言えないけど、まあちょっと冷静になろうぜ。
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過去にインカとジャガイモについて調べたときのエントリ
* 霧のインカ ジャガイモにかけた垂直の情熱
https://55096962.seesaa.net/article/200909article_15.html
インカ人がイモを愛していたのは正解だろう。
ただ、イモの品種改良に多大な情熱を傾けざるを得なかったのは、それだけジャガイモが食用化しづらい、そのままでは毒があって食べられない厄介な作物だったことに起因する。帝国拡大のために、そんな厄介なイモでもうまく付き合っていくしかなかった、という見方もできる。
* マヤ・アステカとインカとの違い
https://55096962.seesaa.net/article/201001article_4.html
高地集落の多いインカでイモが主食だったことも把握してますが、インカ人が最初からイモを主食としていたという説には意義を唱えさせていただく。トウモロコシが儀式用や王族用の食事だった、なんてことはないし、酒にするのがメインの使い方だったってのは、おかしい。まず第一にメシにしてから余りで酒を作るのが普通。いきなりトウモロコシは酒にするための穀物とか言い出したら、そりゃ言いすぎだ。エジプト人がビール大量消費してるからって、大麦はビール専用の穀物だったとか言っちゃうようなもんだ。