シェバの女王―伝説の変容と歴史との交錯
買い物に行って、あちーのでちょっと涼んでいこうと本屋に入ったら(ry
お察しください。
まったくほんとに学習能力のない奴でございますよ…
というわけで特に買う気もなく何気なく手にとったシバの女王についての本。
この本の内容については、サブタイトルの「伝説の変容と歴史との交錯」が余す所なく示している。そういう内容である。
宗教や歴史の側面からシバの女王について語る本はわりとあるのだが、「伝説」として、シバの女王のイメージが時代とともにどのように変化していったのか、それが現代にどう繋がっているのかをメインにした本というのは珍しい気がする。面白い話だが、南仏ではシバの女王の足が「ガチョウの水かき」つきで表現されている。レーヌ・ペドーク(ガチョウ足の女王)というワインのブランド名にもなっているという。北仏ではそのイメージはないというから、ノルマン系フランス人ではなくケルト系フランス人の間で流行った伝説ということだろうか。旧約聖書の「香料と黄金の国」の女王が、いかにしてガチョウ足の女王になったのか。追っていくと面白い。
シバの女王とは、旧約聖書に登場する架空の国「シバ(この本ではシェバとしている)」の女王。ソロモン王の噂を聞いてその知恵を試しにやって来るが、たしかに優れた知恵であるとして感銘を受け、数々の贈り物をして帰っていったという人物である。
実は大元のネタになっている「列王記」にはこの程度のものすごく簡素な記載しかないのだが、いつしか女王自身も美女で知恵に長けた人物で、帰国前に王と同衾して息子をもうけ、その息子が成長して父に会いに行ったさいに「十戒」の収められた契約の箱を持ち出し故国へ運んだ、などといった付随する数々の伝説が生まれていった。
その、様々に変容していく伝説の各パリエーションがこの本のテーマ。
というか、今までは漠然と、「シバの女王っつったらイエメンの女王で、名前はマケダだろう」と思っていたので、マケダはアフリカ女王として語られるときの名前で、アラビア半島の女王としての伝説ではビルキスという名前が一般的なのを知って混乱した。というか、シバの女王の国がアフリカにあったと信じているのは、それを公式な国の歴史にしてしまったエチオピア人だけかと思っていたら、他の国でもそうらしい…。ということは、隣の国が東方三賢者の故郷が朝鮮半島だということを国の公式見解にして宣伝しまくってるのも、数百年後には真実に …いや、それは流石にムリかな、うん。
著者も同じく、「シバの女王はアフリカの女王ではないのか」と言われたとき吃驚したと書いており、それがこの本の出発点になっている。
本の構成としては、
・シバの女王伝説概要
・ユダヤ教世界(旧約聖書)における女王像
・イスラーム教世界(コーラン)における女王像
・キリスト教世界(新約聖書)における女王像
・エチオピア(近代王朝)における女王像
・それ以降の世界各地における描かれ方
と、なっている。
時代の順番的に並べるなら、イスラームとキリスト教を入れ替えて、ユダヤ→キリスト→イスラーム にした方が分かりやすいとも思ったが、地理的に近いぶん旧約とコーランの内容のほうが近いということかもしれない。
ちなみにユダヤ教の中のシバの女王は、アダムの最初の妻で魔女となったリリトと同一視されるほど悪魔的で邪悪な存在と扱われている。それ以外のキリスト教でもイスラームでもシバの女王は好意的にとられ、特にキリスト教においては、イエスがシバの女王を「しるし無くとも改宗した」例として挙げているというので、良いイメージで捉えられていると思う。
キリスト教世界、特にヨーロッパにおいては、エジプトやメソポタミアといったヨーロッパから見た「東方」に対する人気の高まったオリエンタリズムの時代において、シバの女王が美しき東方の化身として扱われ、特に人気が高かったようだ。ちなみの、この場合の「東方」は、アラブもペルシャもエジプトも全部一緒くただったらしく、ペルシャ風の衣装をまとったシバの女王のタペストリーから、シバの女王を"女神イシスのごとき"と謳っている詩まである。
これらに加え、エチオピアが入っているのは、先述したように近年までエチオピアを支配した王朝では、公式の歴史として「王家の祖先はシバの女王とソロモンの間に生まれた息子で、契約の箱を受け継いだのはその人物なので、ウチが正統な"選ばれし民"の子孫。」と名乗っていたからだ。もちろんこれは、かなりムリのあるこじつけで史実ではないのだが、エチオピアの古代王国アクスムがシバの女王の国で、ソロモンとの間に生まれた息子がその国の王座を継いだという伝説自体は、かなり昔からあったものらしい。
歴史学、考古学的にはシバの女王の国は現在のイエメンあたりということになっている(ただし女王が実在した証拠はない)が、伝説として見れば、航海を挟んでイエメンの対岸にあたるエチオピアがその国であったというバージョンもある、ということだ。シバの女王がアフリカの女王ではないのかと言った人は、こちらのバージョンを信じていたことになる。
そして現代においては、この女王に対するイメージは主に映画や歌によって広められている。
元ネタにおいてほんのちょこっと触れられるだけにすぎなかった人物は、多くの人々のイメージを経て、今や映画や小説の主人公になれるまでの肉付けをされた。現在は、多くの過去によって造られている。当たり前だと思っていることも、時を過去へたぐってみれば、実はある時点に作られたもので、それより前には当たり前ではないどころか全く違う意味を持っていることもある。シバの女王というひとつのキャラクターに対するイメージも、その一つだ。
というわけで、この本は、記述が時代順に並んでいると変遷が追えてより分かりやすかったと思う。まあ、そこは著者が何を伝えたいかにもよるので、好みの問題かもしれないが。
お察しください。
まったくほんとに学習能力のない奴でございますよ…
というわけで特に買う気もなく何気なく手にとったシバの女王についての本。
この本の内容については、サブタイトルの「伝説の変容と歴史との交錯」が余す所なく示している。そういう内容である。
宗教や歴史の側面からシバの女王について語る本はわりとあるのだが、「伝説」として、シバの女王のイメージが時代とともにどのように変化していったのか、それが現代にどう繋がっているのかをメインにした本というのは珍しい気がする。面白い話だが、南仏ではシバの女王の足が「ガチョウの水かき」つきで表現されている。レーヌ・ペドーク(ガチョウ足の女王)というワインのブランド名にもなっているという。北仏ではそのイメージはないというから、ノルマン系フランス人ではなくケルト系フランス人の間で流行った伝説ということだろうか。旧約聖書の「香料と黄金の国」の女王が、いかにしてガチョウ足の女王になったのか。追っていくと面白い。
シバの女王とは、旧約聖書に登場する架空の国「シバ(この本ではシェバとしている)」の女王。ソロモン王の噂を聞いてその知恵を試しにやって来るが、たしかに優れた知恵であるとして感銘を受け、数々の贈り物をして帰っていったという人物である。
実は大元のネタになっている「列王記」にはこの程度のものすごく簡素な記載しかないのだが、いつしか女王自身も美女で知恵に長けた人物で、帰国前に王と同衾して息子をもうけ、その息子が成長して父に会いに行ったさいに「十戒」の収められた契約の箱を持ち出し故国へ運んだ、などといった付随する数々の伝説が生まれていった。
その、様々に変容していく伝説の各パリエーションがこの本のテーマ。
というか、今までは漠然と、「シバの女王っつったらイエメンの女王で、名前はマケダだろう」と思っていたので、マケダはアフリカ女王として語られるときの名前で、アラビア半島の女王としての伝説ではビルキスという名前が一般的なのを知って混乱した。というか、シバの女王の国がアフリカにあったと信じているのは、それを公式な国の歴史にしてしまったエチオピア人だけかと思っていたら、他の国でもそうらしい…。ということは、隣の国が東方三賢者の故郷が朝鮮半島だということを国の公式見解にして宣伝しまくってるのも、数百年後には真実に …いや、それは流石にムリかな、うん。
著者も同じく、「シバの女王はアフリカの女王ではないのか」と言われたとき吃驚したと書いており、それがこの本の出発点になっている。
本の構成としては、
・シバの女王伝説概要
・ユダヤ教世界(旧約聖書)における女王像
・イスラーム教世界(コーラン)における女王像
・キリスト教世界(新約聖書)における女王像
・エチオピア(近代王朝)における女王像
・それ以降の世界各地における描かれ方
と、なっている。
時代の順番的に並べるなら、イスラームとキリスト教を入れ替えて、ユダヤ→キリスト→イスラーム にした方が分かりやすいとも思ったが、地理的に近いぶん旧約とコーランの内容のほうが近いということかもしれない。
ちなみにユダヤ教の中のシバの女王は、アダムの最初の妻で魔女となったリリトと同一視されるほど悪魔的で邪悪な存在と扱われている。それ以外のキリスト教でもイスラームでもシバの女王は好意的にとられ、特にキリスト教においては、イエスがシバの女王を「しるし無くとも改宗した」例として挙げているというので、良いイメージで捉えられていると思う。
キリスト教世界、特にヨーロッパにおいては、エジプトやメソポタミアといったヨーロッパから見た「東方」に対する人気の高まったオリエンタリズムの時代において、シバの女王が美しき東方の化身として扱われ、特に人気が高かったようだ。ちなみの、この場合の「東方」は、アラブもペルシャもエジプトも全部一緒くただったらしく、ペルシャ風の衣装をまとったシバの女王のタペストリーから、シバの女王を"女神イシスのごとき"と謳っている詩まである。
これらに加え、エチオピアが入っているのは、先述したように近年までエチオピアを支配した王朝では、公式の歴史として「王家の祖先はシバの女王とソロモンの間に生まれた息子で、契約の箱を受け継いだのはその人物なので、ウチが正統な"選ばれし民"の子孫。」と名乗っていたからだ。もちろんこれは、かなりムリのあるこじつけで史実ではないのだが、エチオピアの古代王国アクスムがシバの女王の国で、ソロモンとの間に生まれた息子がその国の王座を継いだという伝説自体は、かなり昔からあったものらしい。
歴史学、考古学的にはシバの女王の国は現在のイエメンあたりということになっている(ただし女王が実在した証拠はない)が、伝説として見れば、航海を挟んでイエメンの対岸にあたるエチオピアがその国であったというバージョンもある、ということだ。シバの女王がアフリカの女王ではないのかと言った人は、こちらのバージョンを信じていたことになる。
そして現代においては、この女王に対するイメージは主に映画や歌によって広められている。
元ネタにおいてほんのちょこっと触れられるだけにすぎなかった人物は、多くの人々のイメージを経て、今や映画や小説の主人公になれるまでの肉付けをされた。現在は、多くの過去によって造られている。当たり前だと思っていることも、時を過去へたぐってみれば、実はある時点に作られたもので、それより前には当たり前ではないどころか全く違う意味を持っていることもある。シバの女王というひとつのキャラクターに対するイメージも、その一つだ。
というわけで、この本は、記述が時代順に並んでいると変遷が追えてより分かりやすかったと思う。まあ、そこは著者が何を伝えたいかにもよるので、好みの問題かもしれないが。