西方にヴィンランドを探して ―レイフ・エイリークスソンの冒険から新天地の忘却まで
大航海時代Online、ヴィンランドアップデート。
内容が激しく不満で、 ヴァイキングほとんど関係ないやんけ っていうか ロングシップ実装しろばんばん ――と、中の人が暴れております。暴れつつ一方で黙々とクエの文面チェックを行い不具合申請から文面の訂正依頼を出しているとかいう話もあったり無かったりですが。イヤなプレイヤーですねHAHAHA。
ちなみに、グリーンランドからの撤退は 15世紀後半 なので、大航海時代序盤には、まだグリーンランドには人が住んでたんですよ…。なんかゲーム内では「忘れ去られた地」扱いですが…。オリガたん…。
という前置きはさておき。
グリーンランド入植地をハブにした、アメリカ大陸への入植について。
ヴァイキングといえば、卓越した航海術で世界の海を駆け巡りヒャッハーしたことで知られる人々ですが、南や東へ向かった人々と、アイスランドより西に向かった人々の目的は明確に異なります。
南や東へ向かった人々は、既に人の住んでいる土地へ向かうわけなので「略奪」(対ブリテン島・フランス沿岸など)または「交易」(対ロシアなど)、場合によっては「士官による外貨獲得」(対東ローマなど)が目的。一方で、西へ向かうということは人のいない土地を目指すということなので、純粋な「土地獲得」が目的となります。
なぜ土地を求めるのかというと、当時ヴァイキングにとって土地=不動産 を持っているということが「一人前」の条件のようなものだったから。放牧のための牧草地や、畑を作る土地を持っていないで定住するということは、他人に雇われて生活する不安定な身分を意味しました。一家を養う食料は自前の農場で賄うのが当たり前でもあったので、一家族あたりに広い土地が必要だったのです。
※ヴァイキング時代の「農民」の定義については、こことか参照。
アイスランドはその意味で理想的な土地であり、逆に言えば先住民・エスキモーのいたグリーンランドや、先住民・インディオ(北欧人はスクレーリンガルと呼んだ)のいたアメリカ大陸は、移住にはリスキーすぎた…ということになります。
グリーンランド入植が何とか500年もったのに対し、ヴァイキングによる北米大陸への移住は、実際のところ、すぐに実現不可能と見なされ、諦められていたようです。有名なランス・オ・メドゥのヴァイキングの遺跡は、確かにヴァイキング時代の遺跡には違いないのですが、使用された痕跡は殆ど無く、数年程度で放棄されていることが分かっています。遺跡に残された墓もなく、残されているのは牧場と建物の跡くらい。
結局のところ、ヴァイキングが新大陸に残した足あとは、カナダのニューファンドランド島付近に限定されたもので、定住し根付いた人はおそらく誰もいなかったと思われます。
ヴァイキングによる新大陸の発見は、発見から数百年を経てようやく文書化して残されるようになります。
アイスランドへのキリスト教の伝来により、口伝を文字化する習慣が根付いたためです。
さて。それではエイリークの二人の息子のうちの一人、「幸運の」レイヴによるヴィンランド発見箇所を、「赤毛のエイリークルのサガ」抜き出してみましょう。
わりとそっけない記述で、ここでは「ヴィンランド」の名は出てきません。
名前が出てくるのは、さらに後のほう。
「ブラッタフリーズ」はグリーンランドの地名。↓で地図を確認のこと。
グリーンランド入植地めも
https://55096962.seesaa.net/article/201106article_2.html
ヴィンランドの名前の由来などはなく、いきなりこう呼ばれているため、実は「ヴィンランド」が葡萄の地を意味するかどうかは定説ではなかったりします。初登場時にレイヴが見たという葡萄の木からの連想でそうだと推測されているだけで、別説では「牧草地に由来する」というものも。入植地であるニューファンドランド島では寒すぎて葡萄が育たない、というのも、ヴィンランド=葡萄の地 に疑問符がつけられる原因になっています。
ここに出てくるカルルスエヴニによる入植の失敗が決定打となり、グリーンランドのヴァイキングたちは、以降、北アメリカへの本格的な移住は行わなくなっていきます。理由は幾つかありますが、一つには、気候の悪化によりハブとなるグリーンランドの集落自体が生存困難になっていったこと。もう一つには、ヴァイキングの生活体系自体が変化し、広い牧草地を必要とする独立農場主の時代ではなくなっていったことなどが挙げられます。
西方フロンティアへの入り口となったアイスランドがキリスト教に改宗するのは1000年頃。ノルウェー支配下に入り独立を失うのが1281年。その後、デンマーク領となり、15世紀初頭にはペストの流行により島民の多くが命を落とします。15世紀後半にはグリーンランド入植地も放棄され、はるか西方の新天地は、いつしか忘れられた存在となっていったのです。
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同名の人物が多かったり、繰り返しが多かったりで読みづらいと言われることの多い「アイスランド・サガ」ですが、中でも読みやすく長さもそんなに長くないものを集めてくれているのがコチラ。ヴィンランドへの航路地図もついている。
この夏、西方ヴァイキングに目覚めたいあなたにお勧め出来る一冊。
内容が激しく不満で、 ヴァイキングほとんど関係ないやんけ っていうか ロングシップ実装しろばんばん ――と、中の人が暴れております。暴れつつ一方で黙々とクエの文面チェックを行い不具合申請から文面の訂正依頼を出しているとかいう話もあったり無かったりですが。イヤなプレイヤーですねHAHAHA。
ちなみに、グリーンランドからの撤退は 15世紀後半 なので、大航海時代序盤には、まだグリーンランドには人が住んでたんですよ…。なんかゲーム内では「忘れ去られた地」扱いですが…。オリガたん…。
という前置きはさておき。
グリーンランド入植地をハブにした、アメリカ大陸への入植について。
ヴァイキングといえば、卓越した航海術で世界の海を駆け巡りヒャッハーしたことで知られる人々ですが、南や東へ向かった人々と、アイスランドより西に向かった人々の目的は明確に異なります。
南や東へ向かった人々は、既に人の住んでいる土地へ向かうわけなので「略奪」(対ブリテン島・フランス沿岸など)または「交易」(対ロシアなど)、場合によっては「士官による外貨獲得」(対東ローマなど)が目的。一方で、西へ向かうということは人のいない土地を目指すということなので、純粋な「土地獲得」が目的となります。
なぜ土地を求めるのかというと、当時ヴァイキングにとって土地=不動産 を持っているということが「一人前」の条件のようなものだったから。放牧のための牧草地や、畑を作る土地を持っていないで定住するということは、他人に雇われて生活する不安定な身分を意味しました。一家を養う食料は自前の農場で賄うのが当たり前でもあったので、一家族あたりに広い土地が必要だったのです。
※ヴァイキング時代の「農民」の定義については、こことか参照。
アイスランドはその意味で理想的な土地であり、逆に言えば先住民・エスキモーのいたグリーンランドや、先住民・インディオ(北欧人はスクレーリンガルと呼んだ)のいたアメリカ大陸は、移住にはリスキーすぎた…ということになります。
グリーンランド入植が何とか500年もったのに対し、ヴァイキングによる北米大陸への移住は、実際のところ、すぐに実現不可能と見なされ、諦められていたようです。有名なランス・オ・メドゥのヴァイキングの遺跡は、確かにヴァイキング時代の遺跡には違いないのですが、使用された痕跡は殆ど無く、数年程度で放棄されていることが分かっています。遺跡に残された墓もなく、残されているのは牧場と建物の跡くらい。
結局のところ、ヴァイキングが新大陸に残した足あとは、カナダのニューファンドランド島付近に限定されたもので、定住し根付いた人はおそらく誰もいなかったと思われます。
ヴァイキングによる新大陸の発見は、発見から数百年を経てようやく文書化して残されるようになります。
アイスランドへのキリスト教の伝来により、口伝を文字化する習慣が根付いたためです。
さて。それではエイリークの二人の息子のうちの一人、「幸運の」レイヴによるヴィンランド発見箇所を、「赤毛のエイリークルのサガ」抜き出してみましょう。
レイヴルは出航し、長いこと洋上を航行した。そして、その存在などまったく予想もしていなかった陸地に出くわしたのである。そこは小麦が畑となって自生しており、葡萄の木も生えていた。モスル(楓)と呼ばれる木もあり、彼らはこれらすべてを少しずつ採取し見本として持ち帰った。
「アイスランドのサガ 中篇集」 東海大学出版会
わりとそっけない記述で、ここでは「ヴィンランド」の名は出てきません。
名前が出てくるのは、さらに後のほう。
ブラッタフリーズでは、肥沃な地ヴィーンランドを探しに行こうということで、話が盛り上がっていたからだ。そこへ行けば肥沃な土地が入手できようと言われていたからだ。その結果、春になってからカルルスエヴニとスノッリがその地を探すべく船の準備を整えた。
「ブラッタフリーズ」はグリーンランドの地名。↓で地図を確認のこと。
グリーンランド入植地めも
https://55096962.seesaa.net/article/201106article_2.html
ヴィンランドの名前の由来などはなく、いきなりこう呼ばれているため、実は「ヴィンランド」が葡萄の地を意味するかどうかは定説ではなかったりします。初登場時にレイヴが見たという葡萄の木からの連想でそうだと推測されているだけで、別説では「牧草地に由来する」というものも。入植地であるニューファンドランド島では寒すぎて葡萄が育たない、というのも、ヴィンランド=葡萄の地 に疑問符がつけられる原因になっています。
ここに出てくるカルルスエヴニによる入植の失敗が決定打となり、グリーンランドのヴァイキングたちは、以降、北アメリカへの本格的な移住は行わなくなっていきます。理由は幾つかありますが、一つには、気候の悪化によりハブとなるグリーンランドの集落自体が生存困難になっていったこと。もう一つには、ヴァイキングの生活体系自体が変化し、広い牧草地を必要とする独立農場主の時代ではなくなっていったことなどが挙げられます。
西方フロンティアへの入り口となったアイスランドがキリスト教に改宗するのは1000年頃。ノルウェー支配下に入り独立を失うのが1281年。その後、デンマーク領となり、15世紀初頭にはペストの流行により島民の多くが命を落とします。15世紀後半にはグリーンランド入植地も放棄され、はるか西方の新天地は、いつしか忘れられた存在となっていったのです。
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同名の人物が多かったり、繰り返しが多かったりで読みづらいと言われることの多い「アイスランド・サガ」ですが、中でも読みやすく長さもそんなに長くないものを集めてくれているのがコチラ。ヴィンランドへの航路地図もついている。
この夏、西方ヴァイキングに目覚めたいあなたにお勧め出来る一冊。