オーディン「酒は飲めども呑まれるな。」 ヴァイキングの心得

「散文エッダ」の中に、「オーディンの箴言」と呼ばれる作品がある。

箴言とは教訓のようなもの。ハーヴィ(北欧神話の最高神オーディンの別名)が、ロッドファーヴニルという名の詩人に対して「教訓」を次々と語っていくという形式になっているのだが、その中に、やたらと 酒 と 宴会 に関するものが多い。



己の知恵を自慢するな。賢くて無口な人が、他家を訪れても、ひどい目にあうことは稀だ。分別より頼りになる友は、決して手に入るものではないから。


注意深い客は、食事に呼ばれたら沈黙を守る。人の話に耳を傾け、眼であたりに気を配る。このように、賢明に人は誰でも、あたりに注意を払う。


宴会場を飛び回るのは、忘却の青鷺といって、人の心の分別を盗むものだ。わしも、グンレズ(蜜酒を守る女巨人)の家で、この鳥の翼にがんじがらめにされたことがある。




…こんな感じで。

なんでだろうと思っていたのだが、どうやらヴァイキングは宴会で飲み過ぎてすぐハメを外す性質があったらしい。
酒の席で大暴れの殺し合いを始めるくらいならまだしも、ムチャな約束をしてしまうこともあったとか。


フェリックス・ニードナーは言う「とくに危険なのは、上々起源で酒の上で誓われた約束ごとであった。それは命をもかける無鉄砲な行為の約束でもあったであろうし、酒気の抜けた状態に立ち戻った時、いたく後悔された。しかし誓約は神聖であり、取り消すわけには行かない。とくにこうした誓約はフレイ神に献ぜられた冬至の猪に賭けて誓われた…この雄猪の上に厳粛に両手をのせ、聖杯を飲みほしながら誓約をした」。

ヴァイキング・サガ/法政大学出版会



あー。やりそうだよな…ヴァイキング…。その勢いのまま大地主の娘に求婚しに行ったり竜退治に行ったりするアレだよね、わかります。

しかし「神の語る」箴言となって残されているということは、それでも言いつけを守らなかった不用意な人々が絶えなかったということでもあり。いつの時代も、世界のどこでも、酒の加減と自制心ってのは難しいもんだよなァ、というおはなし。




ちなみに、古代エジプトには「教訓文学」というジャンルがあり、王が後継者に、神官が弟子に語る形式で、各時代ごとに編纂された「日常のこうあるべき集」が数多く存在している。(例:「イプエルの訓戒」。エジプト文学の場合は箴言ではなく「訓戒」と訳されるのがお約束になっている)



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箴言が全部読みたければコレで。

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