古代エジプト:カノポス壷以前の内臓保存
カノポス壷というのは、古代エジプトでミイラを作るとき取り出した内臓を収めた壷。
4つセットで使い、それぞれの壷に入れる内臓が決まっていた。
(対応表コチラ
http://www.moonover.jp/bekkan/sisya/sisya-canope.htm)
壷のフタにはそれぞれ、"ホルスの息子たち"と呼ばれる四柱の神様の顔がつけられている。
この内蔵壷だが、使われ出したのは第四王朝。最初は壷のフタには神様の顔をつけておらず、かなりシンプルな構造。しかし当初から四つがセットだったようだ。
第四王朝はピラミッド建造が始まる王朝でもあるが、ミイラづくり=保存技術の研磨 が本格的に始まるのが丁度このあたりで、最初のピラミッドである階段ピラミッドの地下からは、亜麻布で巻いて防腐処理を施した王の腕っぽいものが発見されていたりする。(ただし発見当時、この腕は価値のないものと見なされ、腕のつけていたブレスレットを残し、腕本体と亜麻布は捨てられてしまった。)
やがて時代が進むにつれ、ミイラづくりの技術が発達して、あの有名なツタンカーメンのミイラのように生前の面影を残す状態で何千年も保存できるほどに進化するのだが…、それはともかく、第四王朝以前の保存方法である。
カノポス壷が使われだす以前、ミイラから取り出した内臓はひとまとめにして墓の壁面に作った窪みに置いておくという方法が取られていた。現存する中では第四王朝、メイドゥームの貴族墓のラーネフェルという人物の内臓が最古のようで、この人物の内臓は布でくるんであるだけで、容器には入れられていない。王族ではないからというより、体から取り出す内臓にあまり価値が無かったということだろう。
そもそも、ミイラ化するさいに体から内臓を取り出すようになったのは、そうしないと死体が上手に乾燥させられないからで、いわば魚の干物を作る際のわたぬきと同じことだ。そう言っちゃうとなんかアレなカンジになるが。(笑)
魂が宿ると信じられた「心臓」は初期から重要視されていたようだが、それ以外の内臓、胃や腸、肝臓、腎臓などについては最初はあまり重要視されていなかった。守護神の像を刻んだカノポス壷にいれて丁寧に保存するようになるのは、ミイラ本体の保存がある程度できるようになり、体から取り出したものに対しても気配りのできる余裕が生まれた後の話。
しかし、取り出した内臓を捨ててしまうのではなく、いちおう布にくるんで墓に入れていたところを見ると、「無いと困る」という考えはあったらしい。
良く分からないのは布にくるんだ内臓を必ず墓の南東に置いていたこと。なぜ南東なのか。東なら太陽の昇る方角、西なら沈む方角、北なら永遠を象徴する沈まない星・北極星…などとアタリが付けられるのだが、南東に何か意味があったのかどうか。
ちなみにカノポス壷にも設置方角が決まっていたが、これは四つで東西南北を示すので分かりやすい。
ともあれ、墓にピラミッド・テキストのような長々とした呪文を書く習慣もなく、文章で葬祭儀式の記録も残っていない第四王朝以前の考え方は、それ以降の考え方に慣れているとだいぶ違和感がある。ピラミッドの建造開始もそうだが、第四王朝あたりで古代エジプト人の"伝統"が、かなり大きく変化しているように思う。「ピラミッド以前のエジプト」が、それだけで一つのジャンルとして語られる所以だ。
4つセットで使い、それぞれの壷に入れる内臓が決まっていた。
(対応表コチラ
http://www.moonover.jp/bekkan/sisya/sisya-canope.htm)
壷のフタにはそれぞれ、"ホルスの息子たち"と呼ばれる四柱の神様の顔がつけられている。
この内蔵壷だが、使われ出したのは第四王朝。最初は壷のフタには神様の顔をつけておらず、かなりシンプルな構造。しかし当初から四つがセットだったようだ。
第四王朝はピラミッド建造が始まる王朝でもあるが、ミイラづくり=保存技術の研磨 が本格的に始まるのが丁度このあたりで、最初のピラミッドである階段ピラミッドの地下からは、亜麻布で巻いて防腐処理を施した王の腕っぽいものが発見されていたりする。(ただし発見当時、この腕は価値のないものと見なされ、腕のつけていたブレスレットを残し、腕本体と亜麻布は捨てられてしまった。)
やがて時代が進むにつれ、ミイラづくりの技術が発達して、あの有名なツタンカーメンのミイラのように生前の面影を残す状態で何千年も保存できるほどに進化するのだが…、それはともかく、第四王朝以前の保存方法である。
カノポス壷が使われだす以前、ミイラから取り出した内臓はひとまとめにして墓の壁面に作った窪みに置いておくという方法が取られていた。現存する中では第四王朝、メイドゥームの貴族墓のラーネフェルという人物の内臓が最古のようで、この人物の内臓は布でくるんであるだけで、容器には入れられていない。王族ではないからというより、体から取り出す内臓にあまり価値が無かったということだろう。
そもそも、ミイラ化するさいに体から内臓を取り出すようになったのは、そうしないと死体が上手に乾燥させられないからで、いわば魚の干物を作る際のわたぬきと同じことだ。そう言っちゃうとなんかアレなカンジになるが。(笑)
魂が宿ると信じられた「心臓」は初期から重要視されていたようだが、それ以外の内臓、胃や腸、肝臓、腎臓などについては最初はあまり重要視されていなかった。守護神の像を刻んだカノポス壷にいれて丁寧に保存するようになるのは、ミイラ本体の保存がある程度できるようになり、体から取り出したものに対しても気配りのできる余裕が生まれた後の話。
しかし、取り出した内臓を捨ててしまうのではなく、いちおう布にくるんで墓に入れていたところを見ると、「無いと困る」という考えはあったらしい。
良く分からないのは布にくるんだ内臓を必ず墓の南東に置いていたこと。なぜ南東なのか。東なら太陽の昇る方角、西なら沈む方角、北なら永遠を象徴する沈まない星・北極星…などとアタリが付けられるのだが、南東に何か意味があったのかどうか。
ちなみにカノポス壷にも設置方角が決まっていたが、これは四つで東西南北を示すので分かりやすい。
ともあれ、墓にピラミッド・テキストのような長々とした呪文を書く習慣もなく、文章で葬祭儀式の記録も残っていない第四王朝以前の考え方は、それ以降の考え方に慣れているとだいぶ違和感がある。ピラミッドの建造開始もそうだが、第四王朝あたりで古代エジプト人の"伝統"が、かなり大きく変化しているように思う。「ピラミッド以前のエジプト」が、それだけで一つのジャンルとして語られる所以だ。