考古学的発見と遺物の「価値」、発掘は宝探しではないということ

他のエジプトマニアさんが↓に怒り心頭だったので、おいらも参戦してみますよ(笑) ネタふりどうもです! 一人だけど全力だ!わっしょい。

【お題】
ヒストリーチャンネル 吉村作治インタビュー
http://www.thecinema.jp/treasure/interview/p_2.html


また吉村のオッサンかい。という話ですが、まぁまぁ落ち着いて。
何度目かになりますが、言いたいことは一つなんです。

考古学は宝探しではありません。

まず吉村さんは、このことを理解していない人です。発見後の考察も、保存もどーでもいい。
発見物の価値を財宝としてしか見ておらず、ために見た目の地味な発見物、金銭的価値に換算できないようなものを軽視する致命的で危険な考え方をしています。

考古学ファン・歴史ファンを名乗る方、考古学を専攻される方、またはこれから目指す方のために、どうしても、「それは間違えている、絶対な同じ考え方をしてはいけない」と言わなくてはなりません。考古学者をバックアップする真の考古学ファンを育てるために。すべては未来のために。



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●考古学的発見物の意味●


かなり単純化しますが、こういうことです。

たとえば、ツタンカーメンと同時代の貴族の墓から、金の腕輪が見つかったとします。
もう一つ、同じ時代の寂れた村の遺跡から、アジア風の特徴を持った土器の破片が見つかったとします。
どちらがより重要でしょうか?


…金銭的な価値としては金の腕輪です。財宝と呼ぶことが出来、見た目も派手で発見物として価値がありそうに見えます。発見した考古学者もテンションが上がるでしょう。

ですが、考古学的な発見、歴史的な意味という意味では、土器の破片が上になります。なぜか。

それは、金の腕輪には単体では意味がないからです。王の家臣が金の腕輪を副葬品として収めるなどというのはありふれた出来事で、何も得られるものがありません。しかし、土器は文化圏ごとに様式が異なりますし、材料となった土の分析から作られた場所が分かり、人間集団や交易ルートの解明に繋がることがあります。
もしも発見された土器がパレスチナやレバノンではなく中央アジアのものだったりしたら、その時代のエジプトは、既に中央アジアに至る交易ルートを確立していた可能性が出てきます。場合によっては、失われた超古代のシルクロードの発見になるかもしれません。

歴史的な価値や、もっと単純に"ロマン"においても、見た目が派手でキラキラしている腕輪より、一つの不完全な土器のほうが大きな価値を持つのが考古学の世界です。

ちなみに、先王朝時代の副葬品にラピスラズリが見つかったことにより、古代エジプトは、王朝成立以前に既に現在のアフガニスタンに繋がる交易ルートを持っていたことが分かっています。ちっちゃな石ころ一つでも、世界の歴史が書き換わるんだぜ。

https://55096962.seesaa.net/article/201001article_14.html


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つまり、冒頭のURLで吉村さんが言っている

ただ、1974年の1月に見つけた“魚の丘”っていう、僕の初めての発見だったんですが、それが過大評価されて、世界中のニュースになった。当時の僕なんて世界の考古学会ではみそっかすでしたからオマケで褒めてくれたんでしょうけど、


豪華な副葬品のある墓を見つけたのに、地味な「魚の丘」のほうがクローズアップたんだよ。っていうこれはまさに、考古学的な発見物の価値を理解していないから出た言葉だと思われます…。なんかこの人、綺麗な棺見つけたのにロイターが流してくれねぇ! きっと日本人だから差別されてるんだファビョーン とか思ってそう。勘違いっぷりが痛々しいですね。


勘違い発言は他にもあって、これなんかは結構致命的です。
墓、というか、財宝が埋まってそうなところにしか興味がないということを暴露しているようなもの。

 エジプトではお墓を掘らないと物が出てきません。現世で使った物を来世でも使えるようにとお墓に入れるので、日本みたいに普通の家屋、居住していた家の跡を発掘しても、何も出てこない。だからまず、お墓のありそうな場所を見つける。


百年ほど前のエジプト考古学は、財宝のありそうな墓をかき乱し、時に爆破し(!)、発見物は発見者が根こそぎ奪って本国で売りさばくようなムチャクチャな状態でした。墓ばかり掘り返されていたので、「エジプト考古学は死の考古学だ」とか、「特権階級の死の文化しか見ていない、生きた庶民の声が聞けていない」などの批判もありました。

しかし現在では、財宝としての価値よりも考古学的な価値を重視し、歴史を明らかにすることと遺産の保存に重点が置かれているため、地味であっても生きた人間の文化の分かる都市の発掘も注目されています。ペル・ラメセス、エル・アマルナ、アヴァリスなどなど、発掘された古代の大都市は数多く存在します。これらが近年まであまり注目されなかったのは、財宝が出にくいこともありますが、ナイル川が長年運び続けてきた堆積物に覆われていたり、現在も遺跡の上に町が築かれていたりすることが大きいです。

ちなみに、これらの都市からは重要な発見もなされており、「墓を掘らないと何も出てこない」などというのは、おまいは何時の時代の話をしてるんだ くらいの言い草。「物が出てこない」の「物」が盗掘者目線での金銀財宝だというなら、まぁ出てこないでしょうが。価値ある土器や古代人の生活用品、場合によっては陶器の破片に書いたメモまで出てきますよ…。

確かに掘ってて何か出てくるのはワクワクすると思うんですよ。
でも現実は、何かを見つけたら、それを選別・分別し、さらに保存するという気の遠くなるような作業が待っている。掘ってる時間より調査と事後処理のほうが長いはず。

発見だけすればいいやという吉村さんの思考は墓荒しや盗掘人のそれと同じものですが、本来の考古学者はそうではないはずです。いやむしろ、そうであっては困るので違うと言ってください本職の方。


ちなみに、さらにあとで「考古学の目的は、新発見じゃないんです」とも言ってますが、この流れでそれ言うと、嘘くさいというより「オレは発見しまくってるけど、ま、発見してないお前も頑張れば?」…という自慢にしか読めない。




ちなみに他のエジプトマニアの人がブチ切れていたのは、以下の下りでしたが…。

段取りとして、ちゃんとした勉強ということから最初に始めました。「まず一番は、カイロ大学で勉強することだ。日本ではエジプト考古学なんてやってる人は1人もいないから(僕が初めてだからね)、やっぱり本場で習うべきだ」ってことになったんですね。



”オレの前にエジプト考古学者はいなかった”

言い切り先人の存在をナチュラルに抹消しようとする吉村氏(笑)
いやだからいつも言ってるじゃないですか、この人は手柄たてた人が反論しなかったら、その人の手柄をしれっと横取りするんですって。

魚の丘は俺の発見物。日本初のエジプト発掘隊は俺の手柄。
<え? 恩師? 知りませんよそんな人いたんですか。

太陽の船を発見した! と言い張り、
ピラミッドに未知の空間を見つけた! と言い張り、
古代ビールの製法の新説をたてた! と宣伝し、

色々ありすぎてムチャクチャなことになってますが、とりあえず、吉村氏は偉大な先達に頭を下げることを覚えるべき。

過去のエントリから引用しときますねー…


日本におけるエジプト学のはじまりと歴史
https://55096962.seesaa.net/article/200803article_7.html



1954年(昭和29年) 三笠宮殿下を会長として、日本オリエント学会設立。

1965年(昭和40年)  日本でツタンカーメン展が開催される。

1972年(昭和47年) 早稲田大学によるエジプト発掘開始。

1973年(昭和48年) 早稲田隊によってテーベ対岸でアメンヘテプ三世時代の彩色階段が発掘され、日本の発掘隊の名が知られるようになる。

<<1970年代後半 ピラミッド・パワーブーム>>

1985年(昭和59年) 日本が「魚の丘」マルカタ王宮の発掘権を獲得、渡辺保忠氏が現場指揮(この時に発見されたわけではなく遺跡の発掘開始自体は1888年)。



吉村さん以前にエジプト学者がいなかったなら、なぜ日本初のヒエログリフ辞典が作られたのが大正時代なんでしょうね。専門の学者もいないのにツタンカーメン展が開けたんですか? オリエント学会にはなぜかエジプト学者は一人もいなくて、みんなシュメールだヒッタイトだの人ばっかりだったの?…^^;

 ね え よ

こうやってシレっと嘘付くからダメなんだっつの。三流学者でもエジプト風タレントでも何でもいいけど、知識がないのはまぁ本人の頭の問題なので呆れつつシコシコ訂正はするけど、先人の業績をちょろまかして自分のものにしようとするのは人間として恥。アヌビス神も天秤放り投げてチョクでアメミットちゃんに心臓差し出すレベル。



とりあえず、確実にエジプトマニアに敵を増やしつつあるのは間違いないぜ吉村さん…。

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関連エントリ

宝捜しの時代は終わった、これから必要とされること
https://55096962.seesaa.net/article/200804article_15.html

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