血液型占いに科学的根拠はないという話を、心理学の歴史として捉えてみようか
突然ですが番組の予定を変更して別の話題をお送りします。
ちょい古いネタなんですが、このニュース記事に爆笑してしまったので。
こんなんニュースにすんなよ…(笑)
テレビに出てくるしたり顔の「自称心理学者」って、ほぼ間違いなくただのオカルト野郎なんで。ええ。
まともな…心理学者も、いるんだよ…。パニック心理の研究を効果的な避難経路の設計に活かすとか、役に立ってる心理学も…あるんだよ…;;
****
さて。
血液型占いは、念写などのオカルトとともに、ずっと残っていくだろう誤解である。人々が完全に、それらが誤りだと認めることがあり得るかというと、まぁ無いほうに賭ける。
「人は信じたいものを信じる」
「疑似科学が根絶される日は来ないだろう」、である。
科学的に証明されたことが一度もなく、これだけ広まっている裏には、それが「ウケる」だろうと思ってさも当たり前のように使っている雑誌やテレビの責任が大きいのだが、そういうの言い出すと面倒くさいし、当たり前すぎることをイチイチ否定してもつまらんので、ここでは、血液型占いを含む
類型論(Typological Theory)
または類型学と呼ばれる心理学について、書いてみることにする。
そもそも、人間を外見や肉体的特徴から性格分類する学問というのは、ギリシャ古典期の哲学者が既にやってた話である。
2世紀に、現代医学の基礎を作ったガレノスという医師が考案した分類では、人間には「血液・黒胆汁・黄胆汁・粘液」の四種類の体液があり、どれが優勢かによって人間の性格が決まるとされている。粘液が優勢なら、その人の性格は「粘着質」になるという。今ではネットスラング扱いのこの単語だが、実は哲学用語でもある。
錬金術やるのに向いてる人間と向いてない人間がいると大真面目に論じた時代があれば、黒人は生来怠惰な性格であり白人は勤勉で知能指数が高い、などと決めつけたロクでもない時代もある。
血液型占い自体は、現代では毒にも薬にもならないようなものだが、歴史をたどれば、その裏にある「類型論心理学」は人種差別的な思想を強く含む危険なものだ。それが分かっていれば、このお笑いニュースの自称学者のような恥さらしなことは出来ない。
19-20世紀、特に1920年代あたりまでは様々な分類方法が生まれ、見た目の体格や、生まれ持った「気質」によるとするものが多数生まれた。血液型による性格分類も、そうした時代に生まれた一つだ。
血液型が発見されたのは20世紀初頭であり、まだ理解が進んでいなかったことを考えれば、これは当然のように思える。特にABO方式の血液型は4種類に分けられるので、2世紀にガレノスが言った4種類と対応させて大喜びした学者もいたことだろう。
ただし、この時代に考えられた類型論のどれも不十分で、研究結果として裏付けがとれるものではなかった。結論として、「人間の性格ってそんな単純に分けられないよね」ということで終わった。そもそも当時は、生まれ持った遺伝的な特性と、成長過程の環境から来る特性を分離させることが出来ていなかったので、ある意味では当然の結果と言える。
…ちなみに「類型論」は、20世紀前半のドイツで特に流行していた。
ナチスドイツな皆さんが人間の性格分類を弾圧に利用したのは、なんとなくお察しください。
というわけで、類型論自体は、心理学の長い過去の中では「黒歴史」扱いされている考え方の一つ…だということは知られているのだが、もうちょっと掘り下げると、もっと重要なことが見えてくる。
血液型による性格分類は、日本国内の心理学論文の中で、最も多く検証された説である。
300以上の論文が書かれ、それだけの数の追試が行われたにも関わらず、血液型による性格分類は立証することが出来なかった。つまり、日本国内における心理学の理論の中で最も完璧に、徹底的に否定されているもの、それが血液型による性格分類である、ということだ。
以下のグラフ参照。
1933年頃をピークに、血液型に関する論文の数が減っているのは、そのあたりで、理論が間違っていることが確定的になったからだ。
一般的に、日本に血液型による類型論を広めたのは古川竹二という教育者(心理学者ではない)だとされている。
この人物は東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大)で教諭となっていたのだが、入試の監督をするにあたり、此処の受験者の性格に配慮したやり方が必要ではないかと考えた。そのとき思いついたのが、当時(1927年)としては最新の、血液型による性格分類である。
しかし、その研究のために教え子含め子供たちから血を採取しまくったので新聞ざたに。(笑)
結果的に自分の理論が世の中に知れ渡り研究が捗ることになった。
この理論は最終的には否定されたが、数多くの学者が携わり、十分過ぎるほど研究されたことは間違いない。
もしも、血液型による性格分類に科学的な根拠があると主張したいのなら、これら膨大な先人たちの研究を踏み越えていくことが必須条件となる。過去の検証の方法が全て間違っていたと証明しなくてはならない。出来ないとは言い切れないが、テレビで小銭稼ぎをしている自称心理学者は、果たして一つでもまともにこれらの論文を読み、反駁してみたことがあるんだろうか…? 無いなら黙ってすっこんでろ。古川先生は教え子のために血液型分類を考案したのであって、おまいのメシの種のためじゃない。
どんな学者も、先人の研究への敬意は大事だと思うんだぞ!
尚、この件に関して、血液型占いなんて信じるのは女だけだ という意見を私は認めない。男性代表である我が国の大臣様が、「私は九州人だしB型だから短絡的なんです!」とか発言して、わずか一週間あまりで辞職まで突き抜けていったことを、よもやお忘れではあるまいな。
うちの親父とかも血液型占い大好きだし。
かたや女の私はどーなんだと。
女だから とか 男だから とかいう単純なカテゴライズは、A型だから とか B型だから とかいうのと同じ、根拠のない偏見だ。偏見的な根拠のないステレオタイプで人を見てる奴に、血液型占いを受け入れている人を笑う資格はないぞ。
"人は信じたいものを信じる"。
女はオカルト的な占いが好き、男はもっと理性的な生き物だ、と信じたいなら信じればよろしい。確かに性差による傾向の差異は存在する。しかしそれは、曖昧なものを信じるか否かや、単純な知性の差異ではない。
*************
「心理学には長い過去と、短い歴史がある。」
この本は日本における幕末以降の「心理学」の「歴史」を追いかけたもの。「心理」という言葉さえまだなかった時代からスタートして、「そもそも心理学とは何か」「どうやってアプローチすればいいのか」と歴代の学者たちが試行錯誤していきます。
心理学という学問はごく最近になって新しく生まれ、発展し、今もまだその途上にあるうちの一つなんだと思います。
まぁその過程で徒花も咲くんだろうが… 毒花は駆除しとくべきだよね。
ちょい古いネタなんですが、このニュース記事に爆笑してしまったので。
こんなんニュースにすんなよ…(笑)
テレビに出てくるしたり顔の「自称心理学者」って、ほぼ間違いなくただのオカルト野郎なんで。ええ。
まともな…心理学者も、いるんだよ…。パニック心理の研究を効果的な避難経路の設計に活かすとか、役に立ってる心理学も…あるんだよ…;;
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さて。
血液型占いは、念写などのオカルトとともに、ずっと残っていくだろう誤解である。人々が完全に、それらが誤りだと認めることがあり得るかというと、まぁ無いほうに賭ける。
「人は信じたいものを信じる」
「疑似科学が根絶される日は来ないだろう」、である。
科学的に証明されたことが一度もなく、これだけ広まっている裏には、それが「ウケる」だろうと思ってさも当たり前のように使っている雑誌やテレビの責任が大きいのだが、そういうの言い出すと面倒くさいし、当たり前すぎることをイチイチ否定してもつまらんので、ここでは、血液型占いを含む
類型論(Typological Theory)
または類型学と呼ばれる心理学について、書いてみることにする。
そもそも、人間を外見や肉体的特徴から性格分類する学問というのは、ギリシャ古典期の哲学者が既にやってた話である。
2世紀に、現代医学の基礎を作ったガレノスという医師が考案した分類では、人間には「血液・黒胆汁・黄胆汁・粘液」の四種類の体液があり、どれが優勢かによって人間の性格が決まるとされている。粘液が優勢なら、その人の性格は「粘着質」になるという。今ではネットスラング扱いのこの単語だが、実は哲学用語でもある。
錬金術やるのに向いてる人間と向いてない人間がいると大真面目に論じた時代があれば、黒人は生来怠惰な性格であり白人は勤勉で知能指数が高い、などと決めつけたロクでもない時代もある。
血液型占い自体は、現代では毒にも薬にもならないようなものだが、歴史をたどれば、その裏にある「類型論心理学」は人種差別的な思想を強く含む危険なものだ。それが分かっていれば、このお笑いニュースの自称学者のような恥さらしなことは出来ない。
19-20世紀、特に1920年代あたりまでは様々な分類方法が生まれ、見た目の体格や、生まれ持った「気質」によるとするものが多数生まれた。血液型による性格分類も、そうした時代に生まれた一つだ。
血液型が発見されたのは20世紀初頭であり、まだ理解が進んでいなかったことを考えれば、これは当然のように思える。特にABO方式の血液型は4種類に分けられるので、2世紀にガレノスが言った4種類と対応させて大喜びした学者もいたことだろう。
ただし、この時代に考えられた類型論のどれも不十分で、研究結果として裏付けがとれるものではなかった。結論として、「人間の性格ってそんな単純に分けられないよね」ということで終わった。そもそも当時は、生まれ持った遺伝的な特性と、成長過程の環境から来る特性を分離させることが出来ていなかったので、ある意味では当然の結果と言える。
…ちなみに「類型論」は、20世紀前半のドイツで特に流行していた。
ナチスドイツな皆さんが人間の性格分類を弾圧に利用したのは、なんとなくお察しください。
というわけで、類型論自体は、心理学の長い過去の中では「黒歴史」扱いされている考え方の一つ…だということは知られているのだが、もうちょっと掘り下げると、もっと重要なことが見えてくる。
血液型による性格分類は、日本国内の心理学論文の中で、最も多く検証された説である。
300以上の論文が書かれ、それだけの数の追試が行われたにも関わらず、血液型による性格分類は立証することが出来なかった。つまり、日本国内における心理学の理論の中で最も完璧に、徹底的に否定されているもの、それが血液型による性格分類である、ということだ。
以下のグラフ参照。
1933年頃をピークに、血液型に関する論文の数が減っているのは、そのあたりで、理論が間違っていることが確定的になったからだ。
一般的に、日本に血液型による類型論を広めたのは古川竹二という教育者(心理学者ではない)だとされている。
この人物は東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大)で教諭となっていたのだが、入試の監督をするにあたり、此処の受験者の性格に配慮したやり方が必要ではないかと考えた。そのとき思いついたのが、当時(1927年)としては最新の、血液型による性格分類である。
しかし、その研究のために教え子含め子供たちから血を採取しまくったので新聞ざたに。(笑)
結果的に自分の理論が世の中に知れ渡り研究が捗ることになった。
この理論は最終的には否定されたが、数多くの学者が携わり、十分過ぎるほど研究されたことは間違いない。
もしも、血液型による性格分類に科学的な根拠があると主張したいのなら、これら膨大な先人たちの研究を踏み越えていくことが必須条件となる。過去の検証の方法が全て間違っていたと証明しなくてはならない。出来ないとは言い切れないが、テレビで小銭稼ぎをしている自称心理学者は、果たして一つでもまともにこれらの論文を読み、反駁してみたことがあるんだろうか…? 無いなら黙ってすっこんでろ。古川先生は教え子のために血液型分類を考案したのであって、おまいのメシの種のためじゃない。
どんな学者も、先人の研究への敬意は大事だと思うんだぞ!
尚、この件に関して、血液型占いなんて信じるのは女だけだ という意見を私は認めない。男性代表である我が国の大臣様が、「私は九州人だしB型だから短絡的なんです!」とか発言して、わずか一週間あまりで辞職まで突き抜けていったことを、よもやお忘れではあるまいな。
うちの親父とかも血液型占い大好きだし。
かたや女の私はどーなんだと。
女だから とか 男だから とかいう単純なカテゴライズは、A型だから とか B型だから とかいうのと同じ、根拠のない偏見だ。偏見的な根拠のないステレオタイプで人を見てる奴に、血液型占いを受け入れている人を笑う資格はないぞ。
"人は信じたいものを信じる"。
女はオカルト的な占いが好き、男はもっと理性的な生き物だ、と信じたいなら信じればよろしい。確かに性差による傾向の差異は存在する。しかしそれは、曖昧なものを信じるか否かや、単純な知性の差異ではない。
*************
「心理学には長い過去と、短い歴史がある。」
この本は日本における幕末以降の「心理学」の「歴史」を追いかけたもの。「心理」という言葉さえまだなかった時代からスタートして、「そもそも心理学とは何か」「どうやってアプローチすればいいのか」と歴代の学者たちが試行錯誤していきます。
心理学という学問はごく最近になって新しく生まれ、発展し、今もまだその途上にあるうちの一つなんだと思います。
まぁその過程で徒花も咲くんだろうが… 毒花は駆除しとくべきだよね。