(宿題1)イースター島への移住は従来説よりも遅く1200年頃であるという説がある

表題のとおり、そういう説をとなえた人がいて現地(イースター島)で公演をやっていたという話を聞きつけたので探してみた。これか…。


Science誌2006年3月号
「Late Colonization of Easter Island」
Terry L. Hunt1,* and Carl P. Lipo2

http://www.sciencemag.org/content/311/5767/1603.abstract


会員登録してないんでフルテキストは読めないけど、花粉とか木片の痕跡から調べてる?

ちなみに従来説でのイースター島の伐採しすぎによる社会の崩壊は、下記ページに書かれているような感じで。紀元後500年頃移住→1000年頃に人口が最大に→1200年頃から木材枯渇→1500年頃にはモアイ巨大化、モアイ倒し戦争が競争激化→1700年頃鳥人崇拝へ移行 という感じの流れになってます。

http://archaeology.about.com/od/eterms/qt/easter_island.htm


ナショジオの番組でやったときのまとめはキャプつきで以下のページに。

https://55096962.seesaa.net/article/201002article_16.html


この説に対し、新説は本格的な島への移住は1200年頃で、木材の枯渇は人の移住直後からスタートしていると言ってます。島から木が消えてしまうのに従来説ほどの時間はかからなかったということのようです。


実際のところ、島民は

モアイ像作る以外でも
島民 火葬と野焼きで木材消費してたみたいなんだよね…



移住民と一緒にネズミが持ち込まれたせいで、木の実たべまくって森林の再生速度を遅延させたっていう説もあるんだけど、人口に比例して火葬用の木材や畑の面積の拡大があるだろうし、。あと意外と、山火事でやらかしたとかが致命的だった気がするんだよね。あんな風の強い島で焚き火でもしようものなら飛び火の危険性は高まるだろうし。

ネズミの害があったとしても、船を作る程度の消費なら、イースター島の木材はそう簡単に枯渇しなかったと思う。



とはいえ、過去にモアイ像の修復のさいに見つかった燃えた木材の放射性炭素測定結果では700年前後という結果が出ているわけで、それとの矛盾がうまく説明づけられるのかどうか。そのへんがよーわからんので、今のところ、既存説を否定するまでには至っていないと思われ。




ちなみに島民は住居を作るのに木材は全く使わなかった。
というより住居を築くという文化がなかったようです。

神殿なども同様で、形の残る建造物にあまり興味がなかったみたいなんだ。首長の住む一番立派な家ですら、土台だけ作ってサトウキビの枝で天井作っただけの簡易なボートハウスだったし。一年を通して暖かく、とりあえず雨風ふせいで寝られれば服も家もなくても生きていけたのが大きいようです。


しかし現地まで行ってしみじみと思ったのは、やっぱ前々から言われてるとおりモアイ作りすぎたってことやね。一体作って運び出すのにどれだけの木材を使ったのかは分からないけど、何で木材が枯渇しはじめてからモアイを巨大化させてるんだと。今残ってる作りかけの中途半端なモアイの大半が木材がほとんど無くなって以降のものだそうだが、やべーなんか木が足りないかもって思った時点で止めとけよと…。

もっとも、石油が足りなくなりそうなのにいつまでもジャブジャブ使ってる現代人に言う資格は無いんですけどね。

イースター島が人間世界の縮図と言われるゆえんでございます…。

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