「はじめに神殿ありき」―アンデス文明、農耕と神殿建築の謎
アンデス文明と言ってもピンとこないかもしれないが、後にインカにつながる(正確には中断期もあるのだが)文明だと言えばイメージしやすいかもしれない。四大文明と呼ばれるものはすべて大河の側に発達しているが、中米のマヤ・アステカ、南米のインカは、大河とは関係なく、特にインカ、このアンデス文明は、その名の通りアンデス山脈という高く険しい山脈が作り出す高低差ある土地で育まれた文明だ。
「はじめに神殿ありき」という言葉は、泉靖一という学者さんが最初に言った言葉らしい。
四大文明、大河とともに発達する社会、という発想に慣れた我々にとって、文明とはまず定住し、狩猟・採集から農耕・牧畜へ移行して発展するものだろう。しかし山地とともに発達したアンデス文明の場合、まず最初に「神殿を建てる」ところから文明が開始されているというのが、この言葉の意味である。
大まかな概念は上記で説明されているとおり。
安定した食料生産によって余裕が生まれなければ、王や神官といった自ら食料生産しない特権階級は生まれない。特権階級のコントロールなしに巨大な建造物は作れないし、また作る必要もない。これが、メソポタミアやエジプトから始まる文明に慣れた者の感覚だ。
しかしアンデスはそうではない。
まだ人工的な食料生産の痕跡が見つかっていない時代に、既に大規模な神殿の遺跡が見られるのである。文明が神殿の建築から始まっているように見える。だから「はじめに神殿ありき」なのだ。
ただ、私にはどうしても、「なんで神殿から作り始めたのか」がわからない。
アンデスの神殿は、墓から派生している。しかし墓を内包した神殿を建てるということは、そこに埋葬されるのは特権階級であることを意味する。大規模な建築は特権階級の誕生とともに行われる、というメソポタミア式の文明発達モデルから完全に外れているわけでもない。
あえて言うならば、農耕が安定していないうちから何で特権階級が存在することができたのか? 特権階級だけならまだしも、神殿に収められた数々の工芸品は、専用の職人の存在も意味している。これらの人員は、自ら食料生産に関わらない。すなわち、その社会における一人の人間が生産する食料の量は、その人間の家族分を賄ってさらに余剰があることが必須になる。でなければみんな、飢え死だ。メシが食えないのに神殿作ってる場合じゃない。
余剰作物なしに、集団内に専門職を抱えることは、集団の生存という意味からしても不可能だ。
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というわけで、ここからは仮設として、「はじめに神殿ありき」な状態になっている理由を考えてみたいと思う。
【仮説1】農耕は既に始まっていたが、その遺跡が見つかっていない。
単純に神殿周辺の人間集落の発掘が進んでいないから、という可能性は、排除出来るかと思う。さすがに各国研究者はそこまでバカではない。ただ、神殿のある地域と、農作物の生産を行っていた地域が大きく離れていたとしたら、発見できずに見逃している可能性があるんではないかと思う。
のちのインカ時代になると、マチュピチュをはじめとする高山の都市と、それに対応する麓の食料生産地、という都市の役割分担が行われている。海と狭い平野、そして山脈という多様性に富んだ地形で発達した文明は、初期において既に、場所による都市の分業化を行っていた可能性はないだろうか。
【仮説2】宗教の重要性が最初から高かった。
インカとマヤ・アステカの宗教は、根本的に何となく似ている。中南米にやってきた人々は、氷河期にアラスカ経由で北米を通過して来た共通祖先を持つ。彼らの宗教が、その道程のどこかで生まれた、源泉を同じくするものだったとしたらどうだろう。つまり定住を開始する以前から、宗教は重要視され、既にある程度成熟した状態にあったとしたら。
神を持つということは、そのための神官や儀式を持つということとほぼイコールである。アンデスに移住してくる以前から人々が神の発想を持っていたとすると、定住地を定めた時点でまず真っ先にその神のための祭壇を作ったとしてもおかしくない。食料生産については、アンデスでは北米と同じ作物は育てられないから、定住開始後に独自に技術開発する必要があっただろう。
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最初の仮説1は、「はじめに神殿ありき」という発想自体が間違いで、発見されていないだけで既に農耕は始まっていて、アンデス文明もメソポタミアと同じ文明発達モデルに当てはまるというもの。
次の仮説2は、アンデス文明では農耕ではなく宗教が文明を発達させる起爆剤になっている、というもの。ちなみに現職の考古学者に広く使われている理論に近いのは、たぶんこっちのほうだ。ただし、宗教の内容自体には触れることはなく、神殿を繰り返し建てることに社会を発展させる原動力が… のような曖昧な内容になっていることが多い。ただし私は、その説には納得していない。
人間の欲求は、低次元な「食欲」などの原始的な欲求が満たされない限り、より高次な文化的な欲求に移行することない。宗教などという文化的なものを求めるには、まず衣食住の必要が満たされてから。狩猟採集生活でも食料が満たされる環境があった時代に宗教を発展させ、その後、移住して農耕を開始する、という順番であれば有り得ると思う。
アンデスの神殿は、一度建てて終わりというものではない。何度も繰り返し作りなおされ、被葬者が増えるたびに拡大されていく類のものだ。そんな果てしない作業を、明日のゴハンに困る状態で多人数が参加してやるはずがない。神殿つくってるヒマがあったらリャマでも狩りにいくわ。胃袋様は正直なのだ。やはり考えられるのは、実はゴハンに困っていなかったか、神殿を建てることが間接的に明日のゴハンにつながると信じられる、宗教的な理由が無くてはならない。
物的な証明は難しいだろうが、これらの仮説のどちらかが正しいなら私でも納得出来る話になる。
あと、アンデス文明でトウモロコシの役割に人によってバラつきがあるのは何故なんだ。トウモロコシの主な利用が儀礼用の酒だ、というのはおかしいだろう…。食料に余裕があるならともかくゴハンが足りないなら最初に食料にするだろJK。農耕初期から栽培が開始されてるからには最初の目的は食料用だよ。
盃や酒入れ用の土器が出土するかどうかで儀礼に酒が使われ出した時期は分かるだろうし、それ以前からトウモロコシの栽培やってた可能性があるなら食料利用でいいんじゃないの。人骨から食ってたものは大体見当つくんじゃなかったっけ。なんか南米での食料生産に関する研究に不安を感じる。
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* 日本隊によるアンデスの発掘は、歴史が長い分、一般人でも読める本は沢山あります。
* アメリカと日本の発掘が多くて、ヨーロッパはあまり参入してないっぽい。エジプトと比べて競争率が低いんかな?
「はじめに神殿ありき」という言葉は、泉靖一という学者さんが最初に言った言葉らしい。
四大文明、大河とともに発達する社会、という発想に慣れた我々にとって、文明とはまず定住し、狩猟・採集から農耕・牧畜へ移行して発展するものだろう。しかし山地とともに発達したアンデス文明の場合、まず最初に「神殿を建てる」ところから文明が開始されているというのが、この言葉の意味である。
文明とは何か。
定義は人により異同があるが、効果的な食料生産に支えられて複雑に専門分化した社会とそれが生み出す高度な技術や壮大な土木事業の総体という点は、大半の定義に共通するだろう。そして一般には徐々に発達する食料生産が余剰を生み、やがて分業から専門職への進展があり、社会の統合のために階級制度や国家や王が出現し、壮大な記念碑的な公共建造物を造るに至るという道筋が当然のように受け入れられてきた。
「古代アンデス 神殿からはじまる文明」 朝日新聞出版
大まかな概念は上記で説明されているとおり。
安定した食料生産によって余裕が生まれなければ、王や神官といった自ら食料生産しない特権階級は生まれない。特権階級のコントロールなしに巨大な建造物は作れないし、また作る必要もない。これが、メソポタミアやエジプトから始まる文明に慣れた者の感覚だ。
しかしアンデスはそうではない。
まだ人工的な食料生産の痕跡が見つかっていない時代に、既に大規模な神殿の遺跡が見られるのである。文明が神殿の建築から始まっているように見える。だから「はじめに神殿ありき」なのだ。
ただ、私にはどうしても、「なんで神殿から作り始めたのか」がわからない。
アンデスの神殿は、墓から派生している。しかし墓を内包した神殿を建てるということは、そこに埋葬されるのは特権階級であることを意味する。大規模な建築は特権階級の誕生とともに行われる、というメソポタミア式の文明発達モデルから完全に外れているわけでもない。
あえて言うならば、農耕が安定していないうちから何で特権階級が存在することができたのか? 特権階級だけならまだしも、神殿に収められた数々の工芸品は、専用の職人の存在も意味している。これらの人員は、自ら食料生産に関わらない。すなわち、その社会における一人の人間が生産する食料の量は、その人間の家族分を賄ってさらに余剰があることが必須になる。でなければみんな、飢え死だ。メシが食えないのに神殿作ってる場合じゃない。
余剰作物なしに、集団内に専門職を抱えることは、集団の生存という意味からしても不可能だ。
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というわけで、ここからは仮設として、「はじめに神殿ありき」な状態になっている理由を考えてみたいと思う。
【仮説1】農耕は既に始まっていたが、その遺跡が見つかっていない。
単純に神殿周辺の人間集落の発掘が進んでいないから、という可能性は、排除出来るかと思う。さすがに各国研究者はそこまでバカではない。ただ、神殿のある地域と、農作物の生産を行っていた地域が大きく離れていたとしたら、発見できずに見逃している可能性があるんではないかと思う。
のちのインカ時代になると、マチュピチュをはじめとする高山の都市と、それに対応する麓の食料生産地、という都市の役割分担が行われている。海と狭い平野、そして山脈という多様性に富んだ地形で発達した文明は、初期において既に、場所による都市の分業化を行っていた可能性はないだろうか。
【仮説2】宗教の重要性が最初から高かった。
インカとマヤ・アステカの宗教は、根本的に何となく似ている。中南米にやってきた人々は、氷河期にアラスカ経由で北米を通過して来た共通祖先を持つ。彼らの宗教が、その道程のどこかで生まれた、源泉を同じくするものだったとしたらどうだろう。つまり定住を開始する以前から、宗教は重要視され、既にある程度成熟した状態にあったとしたら。
神を持つということは、そのための神官や儀式を持つということとほぼイコールである。アンデスに移住してくる以前から人々が神の発想を持っていたとすると、定住地を定めた時点でまず真っ先にその神のための祭壇を作ったとしてもおかしくない。食料生産については、アンデスでは北米と同じ作物は育てられないから、定住開始後に独自に技術開発する必要があっただろう。
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最初の仮説1は、「はじめに神殿ありき」という発想自体が間違いで、発見されていないだけで既に農耕は始まっていて、アンデス文明もメソポタミアと同じ文明発達モデルに当てはまるというもの。
次の仮説2は、アンデス文明では農耕ではなく宗教が文明を発達させる起爆剤になっている、というもの。ちなみに現職の考古学者に広く使われている理論に近いのは、たぶんこっちのほうだ。ただし、宗教の内容自体には触れることはなく、神殿を繰り返し建てることに社会を発展させる原動力が… のような曖昧な内容になっていることが多い。ただし私は、その説には納得していない。
人間の欲求は、低次元な「食欲」などの原始的な欲求が満たされない限り、より高次な文化的な欲求に移行することない。宗教などという文化的なものを求めるには、まず衣食住の必要が満たされてから。狩猟採集生活でも食料が満たされる環境があった時代に宗教を発展させ、その後、移住して農耕を開始する、という順番であれば有り得ると思う。
アンデスの神殿は、一度建てて終わりというものではない。何度も繰り返し作りなおされ、被葬者が増えるたびに拡大されていく類のものだ。そんな果てしない作業を、明日のゴハンに困る状態で多人数が参加してやるはずがない。神殿つくってるヒマがあったらリャマでも狩りにいくわ。胃袋様は正直なのだ。やはり考えられるのは、実はゴハンに困っていなかったか、神殿を建てることが間接的に明日のゴハンにつながると信じられる、宗教的な理由が無くてはならない。
物的な証明は難しいだろうが、これらの仮説のどちらかが正しいなら私でも納得出来る話になる。
あと、アンデス文明でトウモロコシの役割に人によってバラつきがあるのは何故なんだ。トウモロコシの主な利用が儀礼用の酒だ、というのはおかしいだろう…。食料に余裕があるならともかくゴハンが足りないなら最初に食料にするだろJK。農耕初期から栽培が開始されてるからには最初の目的は食料用だよ。
盃や酒入れ用の土器が出土するかどうかで儀礼に酒が使われ出した時期は分かるだろうし、それ以前からトウモロコシの栽培やってた可能性があるなら食料利用でいいんじゃないの。人骨から食ってたものは大体見当つくんじゃなかったっけ。なんか南米での食料生産に関する研究に不安を感じる。
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* 日本隊によるアンデスの発掘は、歴史が長い分、一般人でも読める本は沢山あります。
* アメリカと日本の発掘が多くて、ヨーロッパはあまり参入してないっぽい。エジプトと比べて競争率が低いんかな?
