アレクサンドリアの興亡 The Rise and Fall of ALEXANDRIA

漠然と、ただ漠然と考えていることがある。
ナグ・ハマディ文書に述べられている思想の根底にあるのは、アレクサンドリアの哲学者たちの残した考え方の残滓じゃないのかなぁ…とか。

もちろん直接関係するプラトンの文書や、もともとギリシャ語だっただろうことからしてもアレクサンドリアの流れは組んでいるのだろうが、「知を知る」という意味でのフィロソフィアの発想とかに、初期キリスト教にツッコミを入れていたケルソスの姿がちらほら見えるとか何とか。あの考え方ってエジプトだったから生まれた発想のような気がする。

いつか抄訳じゃなくて本体を完読してみたいが、オライリー本なみに読みづらそうなのがアレだ。

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と、いうわけで「アレクサンドリアの興亡」

アレクサンドリアの興亡
主婦の友社
ジャスティン ポラード

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原題は、そのまま「The Rise and Fall of ALEXANDRIA」。かなり分厚い本だが読み応えがある。
最初ぺらっとめくった序章があまりにも小説仕立てなので、てっきり娯楽用の本だと思って図書館で借りたら全然違った。いい意味で期待を外してくれたというか。

最近公開された映画、「アレクサンドリア」(原題は”アゴラ”)と同じく、一つの「町」の誕生から決定的な衰退へと至る歴史のみに焦点を当てており、まさにタイトル通りの内容。時系列に沿って、町に起きた出来事や、町に現れては消えていく歴史上の人物たちを次々と紹介していく。その一点に集中しており、コンスタンチノープルやアテネ、ローマといった都市での出来事は、小気味いいほどダイジェストで飛ばされている。

文章が読みやすく、細かいところを端折っているので全体の流れを知りたい人むけ。

ふと訳者の来歴を見ると、共著者のどちらも本職の学者ではなかった。成程。確かに学者の書く堅苦しい本には無い、ドラマ仕立ての歴史描写が多いわけだ…。

読みやすさと歴史の流れに気を使っているので、分厚さと情報量に負けなければ、おそらく何も知らない人でも楽しく読めると思う。



実を言えば、というほどでもないのだが、自分はプトレマイオス朝時代のエジプトにはあまり興味がない。
エジプト王朝が続いているとはいっても、もはや支配者はエジプト人ではないし、「古代」エジプトでもない。一度途切れたのち再建されたエジプトの伝統は、もはや古代のものとは別物だという認識だ。

だがアレクサンドリアは、古代エジプトの後継者としてではなく、別の意味で興味深い特徴を持っている。
それは、当時の古代世界のどこにもなかった、巨大な「国際都市」としての顔だ。

大王アレクサンドロスによって都となるべく選定され、プトレマイオス1世が建造したこの都市は、プトレマイオス朝支配下にあったときも、ローマ属州時代も、常に多数の民族が入り交じる人種のるつぼで在り続けた。現在のニューヨーク同様に、ヨーロッパの各地方の人間、西アジア・中央アジア人、時にはインド人までもこの町を訪れた。文明の交差点でもあり、人類の叡智が結集された都市だった。

この本で個人的に最も盛り上ったのは、そのクライマックス部分。

「なぜ、そのアレクサンドリアが滅びてしまったのか」。


アレクサンドリアの滅亡は、ローマによる属州化が原因だったのでも、都市自体が寿命を迎えたことによるのでもない。エジプト独立時代、最後の女王クレオパトラ7世の死後ですら、都市はローマ支配下で斜陽ながら栄え続けていた。死の原因も、死の瞬間も別の時にあった。



本の著者は言う。

”アレクサンドリアで最も価値ある自由は、考えることの自由であった。”


そこには自由があった。
その自由ゆえに、ありとあらゆる人々を惹きつけた。

最も大切な自由を失ったとき、アレクサンドリアは死んだ。


一人の王のひらめきにより都市が作られることになった何もない海辺。一から築きあげられた、何の歴史もなかった無垢な町を、あらゆる人種、民族が集う一大学術都市に仕立て上げていったのは、ほかでもない、「思想の自由」だったのだと、著者は言う。そこでは誰もが好きな言語で、好きな考えを述べ、好きな神を崇めていた。もちろん他の学者たちから反論されることはあったが、異端の烙印を押され、惨殺されるようなことはなかった。奴隷身分や下層階級は居たが、考えることを強制されてはいない。
エジプト伝統の寛容さが上手く下地となって創り上げた、特異な都市だったのだ。


だが、考える自由のある町は皮肉にも、自らを滅ぼす直接原因の一つとなる初期キリスト教思想をも育ててしまう。


古典世界の学問は、”自ら考え、自ら体得する”ことを重視し、学問は限られた者のものという考え方を持っていた。人に言われたことをそのまま信じる愚かな民衆のものではなかった。
だが一部に狂信的な考えを含む初期のキリスト教は、そうして顧みられることのなかった「愚かな民衆」に語りかけ、わかりやすい奇跡や来世の約束を繰り返して信者を増やしていく。正しいことが何かを自ら考え、議論することによって自らを高めなくては見えなかったはずの真理=神は、今や、ただ"信じる"だけで簡単に見えるものになってしまったのである。

そうして、民衆の支持を得たキリスト教――正確にはキュリロス司教という人物によって、だが、アレクサンドリアは最後の、そして最も価値ある自由を失うことになる。
思想の多様性という寛容さを捨てたその瞬間から、アレクサンドリアでは古典時代の叡智は「異端」と決めつけられ、すべて廃棄される運命になった。狂信者たちによって、長年蓄積されてきた書物は焼き捨てられ、学者たちは国外へ逃亡した。

このようにしてキリスト教はまず最初に地中海世界の叡智アレクサンドリアを殺し、それからゆっくりと、西欧世界を蝕んで行くことになる。





アレクサンドリアの滅亡。

もちろん町自体が消えてなくなったわけではない。
しかし今のアレクサンドリアには、かつて地中海世界の中心であり、科学・哲学・芸術の最先端にあり、最先端の頭脳が集結した奇跡の都市の輝きは存在しない。近年になって作られた大図書館も、過去の栄光を偲ばせるには、あまりにも貧弱だ。

同じ名前を持ち、集落としては継続しても、現在あるものはかつてのアレクサンドリアと同じ町ではない。


アレクサンドリアの民衆は、"信じる"ことにより神を得たと思い、自らの手で、自らの持っていた最大の財産である「自由」を失った。その後のアレキサンドリアは没落していき、以降、ローマの衰退とともにアラブ支配下に入る。
その後も豊かな財産を持つ穀倉地帯として様々な支配者たちがエジプトを狙い、手中にし、また手放していったが、アレクサンドリアは二度と地中海世界の中心にはならず、ただ重要な貿易港として在り続けるだけだった。


最も価値あるものは、手にしている時には見えない。大したことがないと思って捨ててしまうと、もう二度と取り戻すことは出来ない。あるいは、取り戻すために長く苦しい戦いと、多くの犠牲を支払わなくてはならない。
歴史の中でこうした二者択一のターニングポイントは何度も出現し、そのたびに人間は最良か最悪か、どちらかの道を選んできた。

民衆とは、いつの時代でも、どこの世界でも、わかりやすいもの、目に見えるもの、即効性の高いものを求める傾向にある。自分もそうだが、あまり興味のないものについては深く考えないことが多いものだからだ。
麦の収穫のために明日の天気を気にする農民が、世界の成り立ちについて毎日考え続けるわけにはいかない。朝早くからロバを引いて出かける行商人が、天球儀の使い方の星の運行について知る必要はない。だから多分、彼らは、それらを捨て去ることによって自分たちの生活が一変してしまうなど、思いもよらなかったのだ。


町の死は、ひとつの国の死も連想させる。たとえばアイスランドとか、アイルランドとか。
土地はそこにあり、人は同じように住んでいても、もはやかつてと同じものではなくなっている…という。

これは現代も適応できる、強烈な皮肉なのだな と、漠然と思った次第。

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