泣ける映画っつったらビッグ・フィッシュだろ
泣ける映画ランキングに入ってないのが納得いかんぞ! というわけで勝手に語りだすこれ。
2004年の映画なので公式サイトはもうないっぽい。
公式あらすじ
人生なんて、まるでお伽話。
このキャッチコピーが秀逸。
決して楽ではなかったはずの人生、しかし彼はそれを楽しいお伽話に変えてしまっていた。
みんなに愛されているパパンは、ことあるごとに面白いお話を「現実にあったこと」として息子に話していたが、現実主義の息子はいつしかそんな父親を馬鹿にするようになり疎遠になっていく。
(自分の結婚式なのに、パパンの面白い話ばかりが盛り上がったことも癪にさわったようだ。)
しかしその父が死にかけたとき、息子は気づく。”…もしかして、お伽話はただのお伽話ではなかったのか?”
物語自体は単純。ホラ吹きの夢想家が語る美しい物語とみせかけて、実は波乱万丈の人生を美しい物語にすり替えていたという話なんで、感情移入出来なければ特に何とも思わないんだが。これが不思議と泣ける。クライマックス、病気で死にかけている時は誰でも不安で苦しいはずなのに、それすらもお伽話に変えてしまおうとする父親。そこに、父の真意をようやく理解した息子が協力して、二人で最後の物語を創り上げるところで一気に涙腺に来る。二人で車を走らせてるシーンは、コメディタッチのはずなのに何故か笑いながら泣けてくるんだ…。
「人生は楽しむものだ。」という哲学を死ぬ時まで貫き通すことは、簡単ではないと思う。
だがな、確かに、一人の人生は一つの物語に成り得るんだ。その物語を書き始めるのも、書き終えるのも自分にしか出来ない。どんな物語を書くかは自分次第だ。悲劇にするもよし、冒険活劇にするもよし、恋愛物語、時代劇、お伽話、どんなふうにでも。
タイトルの「ビッグ・フィッシュ」は冒頭から登場するが、本当は何を意味しているかは、映画をラストまで見ないと分からない。まさに「人生なんて、まるでお伽話」なのだ。
死ぬ時は、こんな風に人生の最後を飾りたい。その物語が誰にも読まれることはなくても。
そう思える映画でした。
2004年の映画なので公式サイトはもうないっぽい。
公式あらすじ
エドワードは自分の人生を、常にロマンティックなおとぎ話のように語る。魔女や巨人、そして村の伝説だった“大きな魚”との出会い─。誰もが彼の話を楽しみ、彼を愛していた。ただ一人、ジャーナリストになった息子ウィルを除いて…。子供の頃は父の話に夢中だったウィルも、今は父の本当の姿を求めていた。だがその思いをぶつけても、エドワードは一向に事実を話そうとしない。しかたなくウィルは、ホラ話に隠された父の人生を探り始める。
人生なんて、まるでお伽話。
このキャッチコピーが秀逸。
決して楽ではなかったはずの人生、しかし彼はそれを楽しいお伽話に変えてしまっていた。
みんなに愛されているパパンは、ことあるごとに面白いお話を「現実にあったこと」として息子に話していたが、現実主義の息子はいつしかそんな父親を馬鹿にするようになり疎遠になっていく。
(自分の結婚式なのに、パパンの面白い話ばかりが盛り上がったことも癪にさわったようだ。)
しかしその父が死にかけたとき、息子は気づく。”…もしかして、お伽話はただのお伽話ではなかったのか?”
物語自体は単純。ホラ吹きの夢想家が語る美しい物語とみせかけて、実は波乱万丈の人生を美しい物語にすり替えていたという話なんで、感情移入出来なければ特に何とも思わないんだが。これが不思議と泣ける。クライマックス、病気で死にかけている時は誰でも不安で苦しいはずなのに、それすらもお伽話に変えてしまおうとする父親。そこに、父の真意をようやく理解した息子が協力して、二人で最後の物語を創り上げるところで一気に涙腺に来る。二人で車を走らせてるシーンは、コメディタッチのはずなのに何故か笑いながら泣けてくるんだ…。
「人生は楽しむものだ。」という哲学を死ぬ時まで貫き通すことは、簡単ではないと思う。
だがな、確かに、一人の人生は一つの物語に成り得るんだ。その物語を書き始めるのも、書き終えるのも自分にしか出来ない。どんな物語を書くかは自分次第だ。悲劇にするもよし、冒険活劇にするもよし、恋愛物語、時代劇、お伽話、どんなふうにでも。
タイトルの「ビッグ・フィッシュ」は冒頭から登場するが、本当は何を意味しているかは、映画をラストまで見ないと分からない。まさに「人生なんて、まるでお伽話」なのだ。
死ぬ時は、こんな風に人生の最後を飾りたい。その物語が誰にも読まれることはなくても。
そう思える映画でした。