アレクサンドリアと初期キリスト教の思索者たち グノーシスの時代と「人と神」の在り方

史上最古の一神教は、古代エジプトのファラオ・アクエンアテンによるアテン神信仰だと言われるが、そんなことはない。


それまでのファラオたちが多くの神々を信仰したのに対し、アクエンアテン自身が信じたのがアテン神だけだったというだけのことで、それは「一神教」という宗教ていうよりも、個人的な信条と呼ぶのが正しいだろう。民衆はそれまでの宗教を変わらず信じ続けていたし、アクエンアテンに近しい人々以外はアテン神だけに本気ですがっていたわけではない。

一つの神のみに頼る特殊な信条を貫いた、その人物が王だったから目立つということ、また王だったがゆえに、その神のために神殿どころか町まで作る財力と権力があったというだけ、とも言える。



しかし、それはさておいても一神教の歴史をたどっていると、定期的にエジプトへ戻っていくことになる。

ユダヤ教から始まり、キリスト教、イスラム教とつながる、いわゆる一神教の系譜には、エジプトという土地が果たした役割は予想以上に大きかったようだ。



一神教の歴史にエジプトが果たした役割には、アクエンアテンは全く関係ない。
功労者は誰かというとおそらくアレキサンダー大王だ。エジプトの海沿いに自らの名を冠した「アレクサンドリア」という町を建造し、そこを東方世界と西方世界の橋渡しにしようと計画したこと、これが発端となった。一神教はシナイ半島の片田舎で生まれ、アレクサンドリアで揺籃期を迎え、やがてそこから全世界へ向けて広がっていく。

全盛期のアレクサンドリアは、人口の1/3がギリシャ人、1/3がエジプト人、残り1/3がユダヤ人だったとも言われる。閉鎖的な選民思想を持つユダヤ教が、世界に広がる力を持つ開放的なキリスト教へと変貌していったことと、この町でギリシャやエジプトの文化に触れたことは無関係ではないと思う。


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と、いうわけで、ここまでが前置き。(長いよ!)
本題は、初期キリスト教の考え方の一つ、「グノーシス」についてである。


前々から、グノーシス主義者の考え方ってモロにアレクサンドリアの哲学者の思考だよなぁ、と薄々思ってはいたのだが、調べだしてみると、やはりアレクサンドリアはグノーシス的哲学のメッカであり、アレクサンドリアの学術的反映なしに、グノーシス派キリスト教というのは生まれなかった。グノーシス派キリスト教の経典のまとまり「ナグ・ハマディ文書」が、エジプトのナグ・ハマディで見つかっていることは、偶然ではなく必然と言っていい。



ちなみにグノーシスというのは、グノーシス派キリスト教、などと言われることが多いので、キリスト教の異端派のことだと思われがちな面もあると思うが、ちょっと違う。

グノーシスというのは、世界と自己の在り方に対する考え方の一つを指す。

その考え方が当世流行だったところにキリスト教が広がってきたので、グノーシス的な考え方を用いてこの新参者の宗教を理解しようとしたのが、「グノーシス派キリスト教」と言われているものの正体だ。もちろん、普段から小難しいことを考えていた学者たちがその最初の信奉者となったことはいうまでもない。初期キリスト教は、裕福で学識ある人々の間と、単純に救いを求める貧しい下層の民衆の間で、全く違う解釈をされていたということになる。



グノーシス派という言葉の定義は、かなり曖昧だ。
ざっくりグノーシスの条件を上げると、「世界を世俗/現世と至高の世界という二元論で捉えていること」、「神ないし世界の大元は人間には手のとどかない至高のものであると考えていること」、「しかし自己の内には至高のものの一部があると信じていること」…あたりになるか。たぶん学者さんによって表現の仕方は違うが、とりあえずこのあたりの条件に沿っていて、ギリシャ古典の伝統を引き継ぐ考え方が、狭義のグノーシスとして扱われている。

グノーシスが「知ること」とか「叡智」を意味するように、その本質は「知ることによって世界の本質に近づき、死後は肉体から解き放たれ精神はあるべき至高世界へ帰還する」という考え方にある。古典哲学を知っている人なら、プラトンの「イデア論」を思い出してもらえればいい。ほとんどそのまんまの思考が、グノーシスの考え方の中にある。

プラトンは「フィロソフィア(愛知者)」という言葉を使っていたが、グノーシス派の有名学者の一人プトレマイオスによれば、擬人化されたソフィア(知恵)が父なる神を知ろうとして知ることが出来ず絶望し、至高の世界から転落しかかった時に生まれ、地上に落ちてきたのが人間ということになっている。


グノーシスの流行した時代、地中海世界ではギリシャ、エジプト、ペルシアと、様々な文明が混じり合い、宗教は形を変えつつあった。最も大きな変化は

 人と神の断絶

である。


ギリシャ神話の神々はたやすく人間と交わって子をなすし、エジプトの神々もペルシアの神々も神殿という家を建てて像を刻めばそこにいて、祈れば答えてくれることになっている。しかしアレクサンドリアの栄えた文明混交の時代には、至高の神は絶対にして永遠、人間とは全くかけ離れた存在である、として、神と人の間は断絶されていた。

何故そうなったかは諸説あるが、ユダヤ教だけを例にとるならば、神は祈りに答えないものであることが明らかになってしまったからである。バビロン捕囚の際に、神は救いをもたらさなかった。その理由を神の怠慢に求めるならば、その神は捨て去られねばならない。しかし理由が人間の不義によるものならば、苦難は神からの罰ということになり、神は捨て去られずに住む。神を捨てないために、神は人の祈りに答えるのが仕事の便利屋ではないのだ、という考え方が生まれた。

おそらく、他の民族にしても似たようなものだろう。
戦に負けるたびに神を捨てていたら、神はいなくなってしまう。しかし世界には神がいなくてはならない。
過去に栄えたどんな大国も必ず滅びている。ということはそれらの国々の神とは真の神ではないことになってしまう。

そうした積み重ねから、今まで信仰されていた神々は偽の神であり、実は真の神は人に見えていないだけなのではないか、真の至高神は低俗なこれまでの神々の上位にいて、まだ見えていないだけなのではないか。 …という考え方が生まれていったのではないかと思う。


つまり、一神教の神は、突然ぽっと出てきたのではなく、アクエンアテンのように多くの中から一つをつかみとり他を捨て去るのでもなく、ベースとなる概念に必要な条件すべてを「混ぜ込んで」生まれた、いや、「再発見された」のだ。


神のいない世界、というのが考えられなかった当時の人々にとって、これは現実と宗教が融和する、唯一の逃げ道だったのではないかと思う。死後の世界なんてなくて死んだらすべてがなくなってしまう、とすると、今まで生きてきた人生とは何なのか、生きていることの意味は何なのか、とか、絶望的な思考をしなくてはならなくなる。それよりも、人の世界に直接介入しない至高神の存在を想定したほうが、精神的に楽だったのではないか。

宗教なんかに頼る一神教の連中はバカだ、と思うかもしれないが、生きることを仕事だと置き換えて、自分の残りの人生を考えてみれば少しは気持ちがわかるかもしれない。せっせと仕事をして今は忙しいが、定年を迎え働けなくなったとたん用済みになって社会の片隅に追いやられるんだとしたら、いまあくせくと働いているのは一体何のためなのだろうと不安になったりしないだろうか。そんなだったら今すぐに仕事をやめたほうが苦しみは長く続かないのである。神はいない、と言うことは、明日を失うことを意味する。



このようにして、神と人は断絶しているとする考え方が生まれたのち、必要になってくるのが、では神と人はどのようにして繋がっているのかという問題である。

神と人に繋がりがなく、全くの他人であるならば、神がいないのと同様に、人はこの宇宙の中で孤独になってしまう。しかし絶対にして至高の神が、古来からの神々のように、軽々しく地上に降りてきて人と触れ合う訳にはいかない。

そこで仲介者が作られた。
前述のソフィア(知恵)もそうだし、イエス・キリストという存在もその一つにして現在まで生き残っている最大のものだ。

おそらくイエスは、断絶した神と人の間を取り持つものとして意図的に概念化された。

イエスをとおして奇跡を起こすなら、直接現世に介入するわけではないので神の至高性も保たれる。初期キリスト教が教義を構築していく中で、もともとあった「至高神」「人と神の断絶」を取り込み、「仲介者の必要性」から伝道者イエスを旨いこと当てはめた。図式的にはグノーシス派キリスト教と同じ。しかしグノーシス側のソフィアから人間が”流出”するにあたっての神話が非常に複雑で抽象的なのに対し、現在まで残っている「正統派」キリスト教のほうは、父なる神から息子が処女懐胎するに至るまでをお伽話に変えて簡略化している。それゆえに矛盾も多いのだが、一般大衆ウケはするだろう。

異端正統といいつつ、グノーシス派も正統派教会も、根本は似通っているのだと思う。
同じ時代の、同じ文化的下敷きの上で作られているのだから当然とも言えるが。

やはり決定的な分かれ目は、「わかりやすかったかどうか」。どれだけ筋の通った理論的で崇高な思想でも、一般人に分かりづらければ広まらないし伝わらないのである。グノーシス的考え方が広まっていた2世紀頃のアレクサンドリアにおいて、哲学は死後に聖なる至高世界へ至るために必要なものかもしれないが、宗教はどちらかというと今生きているこの地上で必要とされるものだった。結局は、そういうことなのだと思う。


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前置きから始まって結論までも長ったらしいことになっているが、要するに言いたかったことは。

「バビロン捕囚があと100年続いていたら、ユダヤ教は消えていた」かもしれない…に続く歴史ターニングポイントとして、


アレクサンドリアがなければキリスト教は広まらなかったかもしれない


学者だけではなく、民衆でもなく、町の持っていた、ありとあらゆる異文化を引寄せ、混ぜ込むエネルギーが、キリスト教を世界宗教まで育てたんではないのかな。そんなことを考えてみる。

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