水の都の物語 アレクサンドリア

「水の都」といえば、ヴェネツィアが思い起こされるが、アレクサンドリアも「水の都」と呼んでいい。
地図を見ていてふとそんなことを思いついた。


ヴェネツィアは水は水でも「海の都」である。

干潟の上に築かれた都から、人々は船を駆り地中海世界へと飛び出していった。晩期には本土と呼ばれる大陸側の領土も得るが、本質的には海の上に浮かぶ人工的な土地の上に作られた「海の」都で在り続けた。

アレクサンドリアは「海と湖の都」である。

つまり海水と淡水の出会うところにできた町である。今ではその痕跡はうっすらとしかないが、アレクサンドリア周辺に点々と残る湖たちは、かつてはナイルから流れこむ淡水が浅く広く溜まった一つの巨大な湖「マレオティス湖」だった。
海からやってきた人と荷物は、アレクサンドリアを通じて反対側のマレオティス湖に運ばれ、そこからナイルを遡る旅に出る。人とモノが集まり、エジプトへと散らばっていく玄関口でもあった。

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一度、ナイルから流れこむ水路がふさがってしまったために今では湖の大半は姿を消し、かつての淡水湖は今では海水の溜まる場所になっているが、かつてはナイルからアレクサンドリアまでの距離はごく僅かだったという。
アレクサンドリアは海水と淡水、二つの港を持つことに意味があった。そうでなければ、ここに町は作られなかったのだ。



ヴェネツィアとアレクサンドリアは、人工的に作られ、水と共に行き、首都機能を持たされた町という意味でも共通している。世界中の人と富を集め、一時は世界の中心かと思われるほどの繁栄を築きながら、やがて没落していったという意味でも。

時代は異なれど、両者はともに地中海の女王であった。



…というわけで、何が言いたいのかというと

ヴェネツィアさんとアレクサンドリアさんを擬人化すれば都市百合が出来るんじゃね? という





…え、マジメな話じゃないのかって。
マジメに考えた結論がこれなんですが。

いやーあれだよね。アレクサンドロス大王の愛娘、気位の高い女王様基質でゴージャスなアレクサンドリアさんと、新興都市だけど歴史と伝統あるエジプト式の美術に憧れてるヴェネツィアさん。合言葉は「トルコうざい」。目にも艶やかな姉妹都市になりそうじゃないですが。交易でも仲良くしちゃったりしてね。

アレクサンドリアお姉さまは妹をかわいがっており、独り立ちするためにヴェネツィアさんが聖マルコの遺骨を盗み出しても肝要に許してしまう。「ごめんなさいお姉さま…でも私にはどうしてもこれが必要だったのっ!」「うちにあってもアラブ人に荒らされるだけ…いいのよ…それを使って国をおつくりなさい」

だが時の流れは無常、そんな蜜月な二人の仲は、時の支配者たちの「異教徒同士は通商禁止な」などというロクでもない方針によって強制的に切り離される。ギクシャクする二人の間に忍び寄るイスタンブール婦人の魔の手が…!





うん、すまない。またいつもの妄想なんだ。
仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。


でも、エントリタイトルを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。
殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい、そう思って、この文章を書いてみたんだ。ただ単に妄想するより、無駄に豊富な知識をもってグイグイ設定練り込んだほうがきっと周りも楽しめると思うんだよ。

じゃあ、いつものように本を紹介しておこうか。




アレクサンドリア (ちくま学芸文庫)
筑摩書房
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以前紹介した、「アレクサンドリアの興亡」に比べると情報量は圧倒的に少なく、書いてる内容もあいまいさや誤りを含むが、あっちがへたらに分厚くて長いので挫折しかかった人むけ。何しろ本としては薄い部類なので。

著者が歴史学者ではなく物書きさんで、スタンスとしては「アレクサンドリアの旅行ガイドの一部」として歴史を紹介している、というものだから、読みやすさを重視して、何も知らない人でもイメージを広げられるよう気遣われている。

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