プトレマイオス王朝の代々の王たちの名前にまつわるあれこれ
古代エジプト王国 最後の王朝は、王朝ナンバーのついていない「プトレマイオス王朝」。
なぜナンバリングされていないかというと、そもそも王朝のナンバリングはプトレマイオス王朝時代の神官学者によるものだから… という話は 前回やったんで置いとくとして、このプトレマイオス王朝の王様の名前の特徴として、以下のようなものがある。
・誕生名は基本的にみんないっしょ
・即位名がクソ長い
・添名が採用されている
誕生名は「プトレマイオス」「クレオパトラ」、一人だけベレニケという女王もいるが、あとは家族の名前を見回しても「アルシノエ」くらいしかバリエーションがない。
家系図とか
https://55096962.seesaa.net/article/201008article_19.html
ただしこれは、プトレマイオス王朝だからー っていうよりは、エジプト全盛期の伝統に従ったものではないかと思う。新王国時代20王朝の王様はみーんな「ラメセス」。20王朝以外でも、王様の名前は一族似たような名前が多い。まあ、これはエジプトに限らず世界中の王朝に傾向のある話だと思う。
次。
プトレマイオス王朝の即位名の長さは、エジプト歴代王朝を見回しても特徴的だ。
初代が「メリアメン・セテプエンラー(アメン神に愛されし、ラー神を満足させしもの)」と、わりとシンプルなのに、代を重ねるごとに長さが増してゆき、プトレマイオス4世なんか「イウアエンネチェルウイメンクイ・セテププタハ・ウセルカーラー・セケムアンクアメン(慈悲深き二柱の神の後継者、プタハ神に選ばれしもの、ラーの魂は力強い、アメンの生ける姿)」という、もはやそれ自体が呪文のようなワケワカメな状態。
どれか2つくらいに絞れよ。ていうか、あんま長くするとカルトゥーシュも細長くなって記念碑に刻んだ時にカッコ悪くなると思うんだけどなあ。
ちなみに、クレオパトラの即位名は、再び短くなって「ネチェレト・メルトイエス(女神、父に愛されしもの)」。
クレオパトラのパパンであるプトレマイオス12世が、王位の競合者であるクレオパトラの姉(自分の娘)ベレニケを殺していることを考えると、この名前の重みも増すのではなかろうか。
さらのその次。
「添名」というのが、この王朝で独自に使われていたものになる。
添名は、それまでのエジプトの王朝が採用してきた「誕生名」「即位名」「二カ国名」「ホルス名」「黄金名」という五重名称とは少し意味が違う。その名の通り名前に添える愛称のようなもので、「プトレマイオス・○○」、「クレオパトラ・○○」というふうに、名前の後ろにくっついてくる。
ヴァイキングで言うところの渾名、例えば「”赤毛の”ソルテスティン」の「赤毛」の部分のようなもの、「シャルル・マーニュ」(シャルル大王)と同じような呼び方、と思えばいいだろう。
プトレマイオス・フィロパトルといえば、「愛父者プトレマイオス」。
プトレマイオス・エウエルゲテスといえば、「善行者プトレマイオス」。
これらはギリシア語で付けられている。プトレマイオス朝時代には、エジプトの海側ではギリシャ語も公用語の一つとなっていたから、いわば市民向けの「公式な愛称」だったのだと思う。「公式な」ということは、もちろん非公式の呼び名もあり、歴代の中には「遊び人」とか「太鼓腹」とか酷い名前で呼ばれて嫌われていた王様も…。
この名前の意味するところとは何か。
実は単に名前のつけ方が変わったということだけではなく、社会のありよう、王の立ち位置が変化したという大きな意味を持つ。
伝統的なエジプトのファラオは、一般人の触れることのできない神秘的な「神」であり、絶対的な権力を持っていた。愛称など必要ないどころか、そもそも名前を呼ぶことも滅多になかったのではないかと思う。プトレマイオス王朝の王たちが自ら名乗った公式な愛称は市民に呼ばせるためのものなのだから、一般市民が王に触れられる位置におり、自由な批判も可能だったことを意味する。
プトレマイオス王朝の創始者たちがマケドニア系ギリシア人という外来人だっただけではない。
自由貿易や貨幣経済の開始、地中海世界とのつながりによる人と物の流れなどが、市井の人々にも王侯貴族に匹敵する財力・権力を与えていた。もはやトップダウン式の絶対的な政治は不可能だった。
たかが名前一つ…なのだが、そこには、天上の神々ではなく地上の国民のほうを見ている王の姿があると言えるのではないだろうか。
なぜナンバリングされていないかというと、そもそも王朝のナンバリングはプトレマイオス王朝時代の神官学者によるものだから… という話は 前回やったんで置いとくとして、このプトレマイオス王朝の王様の名前の特徴として、以下のようなものがある。
・誕生名は基本的にみんないっしょ
・即位名がクソ長い
・添名が採用されている
誕生名は「プトレマイオス」「クレオパトラ」、一人だけベレニケという女王もいるが、あとは家族の名前を見回しても「アルシノエ」くらいしかバリエーションがない。
家系図とか
https://55096962.seesaa.net/article/201008article_19.html
ただしこれは、プトレマイオス王朝だからー っていうよりは、エジプト全盛期の伝統に従ったものではないかと思う。新王国時代20王朝の王様はみーんな「ラメセス」。20王朝以外でも、王様の名前は一族似たような名前が多い。まあ、これはエジプトに限らず世界中の王朝に傾向のある話だと思う。
次。
プトレマイオス王朝の即位名の長さは、エジプト歴代王朝を見回しても特徴的だ。
初代が「メリアメン・セテプエンラー(アメン神に愛されし、ラー神を満足させしもの)」と、わりとシンプルなのに、代を重ねるごとに長さが増してゆき、プトレマイオス4世なんか「イウアエンネチェルウイメンクイ・セテププタハ・ウセルカーラー・セケムアンクアメン(慈悲深き二柱の神の後継者、プタハ神に選ばれしもの、ラーの魂は力強い、アメンの生ける姿)」という、もはやそれ自体が呪文のようなワケワカメな状態。
どれか2つくらいに絞れよ。ていうか、あんま長くするとカルトゥーシュも細長くなって記念碑に刻んだ時にカッコ悪くなると思うんだけどなあ。
ちなみに、クレオパトラの即位名は、再び短くなって「ネチェレト・メルトイエス(女神、父に愛されしもの)」。
クレオパトラのパパンであるプトレマイオス12世が、王位の競合者であるクレオパトラの姉(自分の娘)ベレニケを殺していることを考えると、この名前の重みも増すのではなかろうか。
さらのその次。
「添名」というのが、この王朝で独自に使われていたものになる。
添名は、それまでのエジプトの王朝が採用してきた「誕生名」「即位名」「二カ国名」「ホルス名」「黄金名」という五重名称とは少し意味が違う。その名の通り名前に添える愛称のようなもので、「プトレマイオス・○○」、「クレオパトラ・○○」というふうに、名前の後ろにくっついてくる。
ヴァイキングで言うところの渾名、例えば「”赤毛の”ソルテスティン」の「赤毛」の部分のようなもの、「シャルル・マーニュ」(シャルル大王)と同じような呼び方、と思えばいいだろう。
プトレマイオス・フィロパトルといえば、「愛父者プトレマイオス」。
プトレマイオス・エウエルゲテスといえば、「善行者プトレマイオス」。
これらはギリシア語で付けられている。プトレマイオス朝時代には、エジプトの海側ではギリシャ語も公用語の一つとなっていたから、いわば市民向けの「公式な愛称」だったのだと思う。「公式な」ということは、もちろん非公式の呼び名もあり、歴代の中には「遊び人」とか「太鼓腹」とか酷い名前で呼ばれて嫌われていた王様も…。
この名前の意味するところとは何か。
実は単に名前のつけ方が変わったということだけではなく、社会のありよう、王の立ち位置が変化したという大きな意味を持つ。
伝統的なエジプトのファラオは、一般人の触れることのできない神秘的な「神」であり、絶対的な権力を持っていた。愛称など必要ないどころか、そもそも名前を呼ぶことも滅多になかったのではないかと思う。プトレマイオス王朝の王たちが自ら名乗った公式な愛称は市民に呼ばせるためのものなのだから、一般市民が王に触れられる位置におり、自由な批判も可能だったことを意味する。
プトレマイオス王朝の創始者たちがマケドニア系ギリシア人という外来人だっただけではない。
自由貿易や貨幣経済の開始、地中海世界とのつながりによる人と物の流れなどが、市井の人々にも王侯貴族に匹敵する財力・権力を与えていた。もはやトップダウン式の絶対的な政治は不可能だった。
たかが名前一つ…なのだが、そこには、天上の神々ではなく地上の国民のほうを見ている王の姿があると言えるのではないだろうか。