古代エジプトの青い焼き物 「ファイアンス」

以前のエントリで出した、「古代エジプト 青の秘宝ファイアンス」展での話の続きになる。

以下は、「大英博物館 古代エジプト大百科」からの引用。
これが基礎知識。

ファイアンス faiance

砕いた石英または石英砂と、少量の石灰、植物の灰あるいはナトロン(天然ソーダ)から成る陶器素材。この素材を用いた本体は普通、明るい青か緑のソーダと石灰、シリカで作った釉薬でおおわれる。

<中略>

ファイアンスの製作技術は、石英と凍石に釉薬をかける過程から発達した可能性がある。この素材の名としてより適切なものは「エジプト・ファイアンス」であるが、これは、もともと中世後期からイタリアのファエンツァで作られた錫の釉薬をかけた陶器と区別するためである。このエジプト素材のあざやかな色が、初期のエジプト学者たちにヨーロッパの「ファイアンス」(現在ではより正確にマジョリカ焼きと呼ばれている)を連想させたので、彼らはこのややまぎらわしい名前を使ったのである。


「ファイアンス」は、ファエンツァで作られていた焼き物に似ていたことから名付けられた名前で、古代エジプト人はこの焼き物をおそらくは「チェヘネト」と呼んでいた。これは、「光り輝く」という単語から来ている、もしくはチェヘヌなど地名由来と思われる言葉で、人工物を意味する。講演会ではほかに候補として「メフカト」「ヘスベジュ」を挙げていたが、メフカトはトルコ石だろうし、ヘスベジュはファイアンスの青よりもっとどす黒い感じの青だと思う。ラピスラズリのような深い青とか。
と、いうわけでファイアンスの古代語名は「チエヘネト」説をとりあえず採っておく。


この焼き物の特徴は、なんといっても「粘土を使わない」ということだろうか。焼き物のベースは石英である。講演会では石英(水晶も石英)を砕いたものに、ナトロンと、色づけのための銅などを入れて混ぜあわせ、自然乾燥させたあと焼きあげるという実験過程が紹介されていた。
が、ベースとなる石英が、まずもって水に溶けない。溶けないから、粘土のようになめらかになることがなく、水を入れて混ぜてもパサパサのままなのである。

エジプトの出土品というとファイアンス製のシャブティ像などが知られているが、それらを作るとき、職人たちはパサパサの原料を型にギュウギュウに詰め込まなくてはならなかったはずだ。天然乾燥させる場合も風通しのよいところでまんべんなく乾燥させなくてはならなかっただろう。

日本で作ったファイアンスはエジプトのオリジナルの色が出ず、試しにエジプトで作ってみたら似た色になった…という話もあったが、気温や空気中の水分量、それに水質が出来上がりの質に大きく関わってくると思う。日本のように年中多湿では、自然乾燥の進み方はだいぶ違うと思われる。

焼き上がりは、表面がガラス質のつやつやした一見して陶器をガラスで塗装したような感じになる。しかし実際は石英の表面にナトリウムと反応した金属粉が浮かび上がって色のついている状態で、ガラスに「なりかけている」というべき中途半端な物質だ。高温の炉が作れなかった時代には、それが精一杯だった。

だから、ガラス細工の技術がエジプトに入ってきて高温の炉が作れるようになれば、「ガラスになりかけた」中途半端な状態の物質であるファイアンスの位置づけが変わり始めたのも、当然といえば当然のことになる。



古代エジプトにおけるファイアンス焼きの技術は、ガラス製品が盛んに作られる王朝末期には次第に宗教的な意味合いを失い、ローマ支配の時代を経て、もっと簡単に青い色を出せる手法に取って代わられ消滅していく。

「古代の失われた技術」というと、なにかしら現代より進んだ不可思議な技術のように思われがちだが、実際には、このファイアンスのケースのように、キーとなる基礎技術が生まれていない状況で何とかそれっぽいものを創りだそうとして苦労したトリッキーな技術であることが多い。

キーとなる技術とは、例えば「不純物を取り除く技術がない」とか、「効率的に粉末を作れる装置が作れない」とか。ファイアンスの場合は「高温の炉」だろうか。低い温度でしか焼成出来ず、さらに青い色の原料となる銅鉱石が国内では取れないためシナイ半島まで遠征しなくてはならないことから原料を節約する必要がある。
その状況下で、手間は度外視して「青色の焼き物をよりたくさん作りたい」というニーズに答えたのが、失われたファイアンス焼きの技術だったということ。

ーーと、いう事情だったから、この技術が廃れてしまったのは必然なのだ。
高温の炉を作れる技術が出来、ガラス製品で青色が出せるようになり、さらに人口や国力の増大によって大量の銅を輸入出来るようになれば、技術のほうも変わらざるを得ない。「より手間を省いて」、あるいは「色を伝統的な青色から変えて」作る必要も出てくる。

必要があって生み出された技術は、必要がなくなれば廃れていくしかない。



あと会場で配られていた、現在推測されている、古代のファイアンス製法3種が以下の図。

会場で展示されていた、実験で制作されたのは1番上の白華法。
2番目の方法は貴重な着色剤をムダにしてしまうため古代には行われていなかったのではないかと言われているが、現在もイランの一地方で細々と続けられている製法がこれらしい。
最後の方法は若干近代的なもので、古代の伝統的な製法ではないと考えられている。

画像


ただ、白華法だけでは古代のファイアンスと全く同じものは出来てこないらしい。原材料の合成比率や、中に混ぜていた材料の種類など、まだまだ分からないことは沢山あるようだ。職人が親方から弟子に伝え、体で覚えていたような技術だと、文書記録は何も残されていないので、後世の人間から見ると謎な部分が多い。

そのへんは今後の研究に期待ですかね。

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