横浜ユーラシア文化館「古代エジプト 青の秘宝ファイアンス」展 ~ファイアンスが廃れた理由とか
横浜ユーラシア文化館で開催中の「古代エジプト 青の秘宝ファイアンス」展に付随した講演会があったので行ってきた。講師は東海大学の山花先生とINAXライブミュージアムの竹多氏のお二人。
前日11時帰宅というアレな状態のうえ直前に中華街でラーメンをたらふく食ってしまいどうなることかと思ったが、興味深い内容で何とか最後まで寝ずに聴了。
前半はエジプトマニア向け、ファンアンスの作られた時代背景とその変遷。
後半はガラス工芸品マニア向け、ファイアンスの製造方法などのテクニカルな話。
詳しい話は置いておくとして、前から気になっていたことに一つの答えが出せたので、自分的にかなり満足。
(1)ファンアンスづくりはなぜ衰退してしまったのか。
(2)ファイアンスはなぜ他国との交易品として使われなかったのか。
(1)については、話を聞いていて何となく察した。
あれだ。単純に 作るのめんどい からなんだな…。
トルコのイズニックタイルの話も出ていたが、イズニックタイル同様に珪石を砕いて作るファイアンスは、通常の粘土で作られる焼き物に比べ難易度が高く、形成もしづらく、しかも珪石の粉末を吸い込むことによる「珪肺」という職業病を引き起こす。色合いは独特で他にない技術ではあるが、それは高温でガラス製品を作れなかった技術の未熟な時代に、手に入る技術で現代のガラスに近い青色を出そうと試行錯誤した結果であって、高温が保てる炉が作れるようになってからは、むしろ非効率的な品になっていったのだと思われる。
ファイアンス技術の衰退と、陶器に釉(うわぐすり)をかけることによってファイアンスと同等の色あいが出せるようになるのとが時代的に重なっていることからしても、「めんどいから作られなくなった」というのが最大の理由なのだろうと思う。
そして、それは、現代においてファイアンスづくりの技術が残っておらず、ごくごく一部の地方で類似手法が使われるに留まっている理由でもあると思われる。
ファイアンスの青は、燃料が少なく、高温の炉も作れず、しかしどうしても青い色を出したかった、そんな古代エジプト人の執念が産み出した色。その意味で、この青は古代世界を代表する独特の色でもあると思う。
(2)については、質問タイムに前半講演者の山花先生に尋ねることができて少しヒントになった。
これも単純に、他国では人気がなかった。
まずエジプト人自身は、交易にあんま興味はなく、自分たちから積極的な売り込みはしていない、
大抵の物質は国内でまかなえた都合上、王朝時代に行われていた海外とのやりとりはほぼ朝献交易に限られる。個人の商人が国境をまたいだ交易をしていた証拠は、おそらく無い。
現代の経済概念でいう輸出というものが行われだすのはプトレマイオス朝時代以降なのだが、その時に輸出されていたのはワインやアラバスター、パピルス、あと小麦。ファイアンスは入っていなかった。ギリシャ人の交易者も興味を示さなかったということだ。
その理由はギリシャ・ローマ世界においてファイアンスがあまり人気がなかったことが挙げられると思う。ファイアンスの「青」は、砂漠と荒野の世界に住むからこそ憧れの対象、信仰の色になるのであって、地中海の反対側に住むギリシャ・ローマの人々にとってその青はあまり意味のない青なのかもしれない。
あまり研究している人はいないらしく、どおりで論文などを探しても見つからなかったわけだが、フェニキア人が仲介して西アジアに運んでいたという情報をいただくことができた。プトレマイオス朝時代にはエジプト領になっていたキプロスからはファイアンスが出ているそうで、キプロスはエジプトからの居住者も多くエジプトの神様を模したテラコッタ護符がたくさん出ているところなので妥当かなとも思うのだが、ギリシャ方面の話はなかったところを見ると、やはり、そっちには輸出していなかったと見ていいのか。
フェニキア人の仲介したファイアンス交易ルートの先も、西アジア、つまり青い魔除けの目が現在も疲れているような地域で、「青」に意味のある地域だ。
だが、それらの地域においても「青」という意味ではすでにトルコ石があり、ラピスラズリの産地バダクシャンにもエジプトよりは遙かに近い。ファイアンスの青は、青が欲しいけど青の産地に遠いエジプト人が執念で生み出したエジプト人のための色なので、他国ではエジプトほど重要視されていない。やはり他国ウケはしなかった、というのが大きそうだ。
******
と、いうわけで今回の講演会、値段のわりにボリュームたっぷりであり、内容的にも充実していた。
講演後にミュージアムに移動して現物を前にして講義が行われるという形式も良かったと思う。
ていうか、某大学がやってる、入場料が高い上に内容も芸能人まがいの学者風味の人がよーわからん雑談してサイン本売りつけるだけの講演会なんかで ('A`)<うんざりだぜ ってなったのからすると、めちゃくちゃ良心的というか。このくらいの内容の講演会であれば「また来たい」と思えるというか。
ガラス工芸学会と共同開催だったのもあるんだろうけど聴衆のレベルが全般的に高かったのも良かった。
あれだよ、教養を求める世間一般の人って、専門家が思うほどバカじゃないんだよ…。
なんもしらんカモ集めて金むしる講演会は、もう流行らないと思うんだ…。
#聞き覚えのある声で「パピルス育成してみたいんだよねー」とか
#聞こえたので振り返ったら
#別のエジプト展にいたねーちゃんがこの講演会にもいてびっくりした。世間せめえ!
#あと今回は、観客席に専門家が紛れ過ぎだったと思うの…
前日11時帰宅というアレな状態のうえ直前に中華街でラーメンをたらふく食ってしまいどうなることかと思ったが、興味深い内容で何とか最後まで寝ずに聴了。
前半はエジプトマニア向け、ファンアンスの作られた時代背景とその変遷。
後半はガラス工芸品マニア向け、ファイアンスの製造方法などのテクニカルな話。
詳しい話は置いておくとして、前から気になっていたことに一つの答えが出せたので、自分的にかなり満足。
(1)ファンアンスづくりはなぜ衰退してしまったのか。
(2)ファイアンスはなぜ他国との交易品として使われなかったのか。
(1)については、話を聞いていて何となく察した。
あれだ。単純に 作るのめんどい からなんだな…。
トルコのイズニックタイルの話も出ていたが、イズニックタイル同様に珪石を砕いて作るファイアンスは、通常の粘土で作られる焼き物に比べ難易度が高く、形成もしづらく、しかも珪石の粉末を吸い込むことによる「珪肺」という職業病を引き起こす。色合いは独特で他にない技術ではあるが、それは高温でガラス製品を作れなかった技術の未熟な時代に、手に入る技術で現代のガラスに近い青色を出そうと試行錯誤した結果であって、高温が保てる炉が作れるようになってからは、むしろ非効率的な品になっていったのだと思われる。
ファイアンス技術の衰退と、陶器に釉(うわぐすり)をかけることによってファイアンスと同等の色あいが出せるようになるのとが時代的に重なっていることからしても、「めんどいから作られなくなった」というのが最大の理由なのだろうと思う。
そして、それは、現代においてファイアンスづくりの技術が残っておらず、ごくごく一部の地方で類似手法が使われるに留まっている理由でもあると思われる。
ファイアンスの青は、燃料が少なく、高温の炉も作れず、しかしどうしても青い色を出したかった、そんな古代エジプト人の執念が産み出した色。その意味で、この青は古代世界を代表する独特の色でもあると思う。
(2)については、質問タイムに前半講演者の山花先生に尋ねることができて少しヒントになった。
これも単純に、他国では人気がなかった。
まずエジプト人自身は、交易にあんま興味はなく、自分たちから積極的な売り込みはしていない、
大抵の物質は国内でまかなえた都合上、王朝時代に行われていた海外とのやりとりはほぼ朝献交易に限られる。個人の商人が国境をまたいだ交易をしていた証拠は、おそらく無い。
現代の経済概念でいう輸出というものが行われだすのはプトレマイオス朝時代以降なのだが、その時に輸出されていたのはワインやアラバスター、パピルス、あと小麦。ファイアンスは入っていなかった。ギリシャ人の交易者も興味を示さなかったということだ。
その理由はギリシャ・ローマ世界においてファイアンスがあまり人気がなかったことが挙げられると思う。ファイアンスの「青」は、砂漠と荒野の世界に住むからこそ憧れの対象、信仰の色になるのであって、地中海の反対側に住むギリシャ・ローマの人々にとってその青はあまり意味のない青なのかもしれない。
あまり研究している人はいないらしく、どおりで論文などを探しても見つからなかったわけだが、フェニキア人が仲介して西アジアに運んでいたという情報をいただくことができた。プトレマイオス朝時代にはエジプト領になっていたキプロスからはファイアンスが出ているそうで、キプロスはエジプトからの居住者も多くエジプトの神様を模したテラコッタ護符がたくさん出ているところなので妥当かなとも思うのだが、ギリシャ方面の話はなかったところを見ると、やはり、そっちには輸出していなかったと見ていいのか。
フェニキア人の仲介したファイアンス交易ルートの先も、西アジア、つまり青い魔除けの目が現在も疲れているような地域で、「青」に意味のある地域だ。
だが、それらの地域においても「青」という意味ではすでにトルコ石があり、ラピスラズリの産地バダクシャンにもエジプトよりは遙かに近い。ファイアンスの青は、青が欲しいけど青の産地に遠いエジプト人が執念で生み出したエジプト人のための色なので、他国ではエジプトほど重要視されていない。やはり他国ウケはしなかった、というのが大きそうだ。
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と、いうわけで今回の講演会、値段のわりにボリュームたっぷりであり、内容的にも充実していた。
講演後にミュージアムに移動して現物を前にして講義が行われるという形式も良かったと思う。
ていうか、某大学がやってる、入場料が高い上に内容も芸能人まがいの学者風味の人がよーわからん雑談してサイン本売りつけるだけの講演会なんかで ('A`)<うんざりだぜ ってなったのからすると、めちゃくちゃ良心的というか。このくらいの内容の講演会であれば「また来たい」と思えるというか。
ガラス工芸学会と共同開催だったのもあるんだろうけど聴衆のレベルが全般的に高かったのも良かった。
あれだよ、教養を求める世間一般の人って、専門家が思うほどバカじゃないんだよ…。
なんもしらんカモ集めて金むしる講演会は、もう流行らないと思うんだ…。
#聞き覚えのある声で「パピルス育成してみたいんだよねー」とか
#聞こえたので振り返ったら
#別のエジプト展にいたねーちゃんがこの講演会にもいてびっくりした。世間せめえ!
#あと今回は、観客席に専門家が紛れ過ぎだったと思うの…