アテナイ市民の女性の生涯「古代ギリシアの女たち」
大学の教養科目で取らざるを得なかった「ジェンダー論」は、はっきり言って罰ゲームレベルだったが、この本は面白かった。というか、タイトルと女性著者ということで中身が痛々しい感じなんじゃないかと、おっかなびっくり開いてみたところが、ちゃんとロジカルな思考の女性が書いててくれたので本当に良かった…。
ジェンダー論が女性のヒスを体現する学問になってるのは、俺ちょっといただけないと思うんだよね。
女の権利をむやみやたらと主張したり、女性の社会的地位の歴史を作為的に語ったりする人が多すぎるんで胡散臭くなっちゃってるだけで、本来あるべきアプローチって、こういう感じだよね…。
というわけで前置きは流していただくとして、「古代ギリシアの女たち」。紀元前5世紀ごろのアテナイを基準に、他のポリスや他の時代のギリシャ世界の女たちとの比較を絡め、女性たちの「生」のあり方を描く。社会的地位や生活基盤などについて書かれている、というと堅苦しい感じになるが、古代世界に生きた女性たちを身近に感じるために生活を再現している、と言えば、もう少し柔らかい感じになるだろうか。
他の古代世界でも大半がそうなのだが、記録を残すのは男性であることが多い。古代ギリシャの女たちは公の場にあまり出てこなかったようだから尚の事である。女性たちがどのように暮らしていたのかは、男性の記録に因るところが大きい。しかし、これは男性が社会的イデオロギーをもって描いた「像」でしかなく、実態からは遠い可能性がある。
たとえるならば、男性成人むけ漫画雑誌に登場するような女性は、現実世界には居るわけねぇ、とか、少女漫画に出てくるような少年は、現実世界で見た試しがない、とか、そんな感じ。(笑)
ではあるが、この著者は賢明にも、文献に頼り切るのではなく、壷の絵、墓碑、法律の条文など、考古学的な資料も加えて全体像を描こうとしてくれている。多様な資料を用いて、過去の世界に生きた人々の事実をただ忠実に「再現」しようとしているから面白いのである。ここが、最初に決めたある結論に導くために都合のよい証拠ばかり恣意的に集めようとする、つまらない本とは違うところだ。
で、アテナイの場合、女性の扱いに関する法律は他のポリスに比べてもかなり厳しく、女性の権利はあまり認められていなかったように見えるわけだが、その理由は、こういうことらしい。
なるほどなー、と。
であれば市民ではない異国人や他のポリスからの移住者の女性たちが、市民との結婚を基本的に禁じられていたのも、市民の女の産んだ子だけが正当な後継者として相続権を得るというのも納得。じゃなきゃ特権階級になろうとしてハニートラップ仕掛けてくる他国の女が大量に移住してきて大変なことになっちゃうよね…。
階層社会にして下層階級に色々押し付けるからこそ、市民は悠々自適な暮らしができたというこか。
また当時のアテナイは、軍事力で他のポリスを制服し、ギリシャ世界の頂点に立とうとしていた時期でもあるという。軍事に従事できるのは男性だけなので、相対的に男性の地位が高くなり、男性主体、軍主導の社会に移行としていたという。(ただ、同様の傾向にあったはずのスパルタの女性たちはアテナイよりももっとオープンに暮らせていたようなのだが…)
アテナイが、最初から女性を厳しく法律で縛る風潮のあるポリスではなく、必要に応じて社会構造を変えていった結果そのようになってしまった、というのは、なるほどなーと。
それから、いちばん面白いなと思ったのは「婚資」の考え方。
婚資とは娘が嫁ぐ時に実家がつける財産で、これは基本的に妻のものだが夫が管理する。離婚の際は返却しなくてはならないのだが、使い込んでしまって返却出来無いとなると、完済まで利子を払い続けることになるという。
婚資は女性をモノとして扱っている証拠だとか、人身売買に等しいとかいう批判はまぁ、まぁ、よくある論調なのだが、実はこの婚資が「夫に離婚をとどまらせるための実家の愛」だという説がこの本に書かれていた。
婚資が高額であればあるほど、その嫁の付加価値は高まり、嫁が家に留まるうちは家も潤う。しかし離婚となると、嫁とともにやってきた財産もまた失われる。
古代ギリシアといえば、魔女メデイラが夫に追い出された神話に見るように、離婚したくなったら夫は簡単に妻を追い出せる世界である。(妻にはその自由はない) しかし婚資システムは離婚に際し家計の精算というハードルを課す。つまり、高額な婚資とともに嫁いできた妻ほど、夫は気まぐれで離婚出来無いのである。
また、婚資は嫁の所有財産なので、たとえ子供なく夫が亡くなった場合でも、嫁ぐ時にもってきた婚資をそのまま次の結婚の持参金に充て、再婚相手を探すことが出来るのだという。再婚しなくても、婚資を持って実家に戻れば、自分の食い扶持をそこから捻出できるので、肩身の狭い思いはしなくても済む。
つまり婚資とは、契約社会が女性たちの生きる権利を守るために生み出したシステムだった可能性がある、ということ。いわば一人前の女性として他家に嫁ぐ娘のために実家が与える、残りの生涯の保証だったかもしれないのだ。
(もっとも婚資の額は、実家の裕福度合いや娘の愛され度合いによってだいぶ違っていたようなのだが…。)
***
厳しく縛られ、家の中で過ごすよう義務付けられていたとしても、アテナイの女たちはそれなりに楽しく生きていたのではないだろうか。だいたい女ってお喋りと美味しいものがあれば毎日楽しく過ごせるよね。子育てして、織物して、歌でも歌って、たまにお祭り行ったりして…
私はたぶんムリだけど。
社会構造が全く違うので比較するのは難しいが、古代エジプトの女性たちはアテナイの女性たちよりはもっとアバウトに、自由意思を持って生きていたように思う。共通する部分も多いが、やはり好きに家の外に出られるか否かが大きい。気が向いた時に猫つれてぷらっと川に舟浮かべに行っちゃだめとか。いいじゃんちょっと一人で散歩出るくらい。
そこまで女性を見張ってないとダメ、女性と男性は身内であっても顔あわせないほうがいい、っていうのは、何だか現代のイスラム社会を思わせる。
本自体は面白かったが、私はアテナイでは生きていけそうにない…。
ジェンダー論が女性のヒスを体現する学問になってるのは、俺ちょっといただけないと思うんだよね。
女の権利をむやみやたらと主張したり、女性の社会的地位の歴史を作為的に語ったりする人が多すぎるんで胡散臭くなっちゃってるだけで、本来あるべきアプローチって、こういう感じだよね…。
というわけで前置きは流していただくとして、「古代ギリシアの女たち」。紀元前5世紀ごろのアテナイを基準に、他のポリスや他の時代のギリシャ世界の女たちとの比較を絡め、女性たちの「生」のあり方を描く。社会的地位や生活基盤などについて書かれている、というと堅苦しい感じになるが、古代世界に生きた女性たちを身近に感じるために生活を再現している、と言えば、もう少し柔らかい感じになるだろうか。
他の古代世界でも大半がそうなのだが、記録を残すのは男性であることが多い。古代ギリシャの女たちは公の場にあまり出てこなかったようだから尚の事である。女性たちがどのように暮らしていたのかは、男性の記録に因るところが大きい。しかし、これは男性が社会的イデオロギーをもって描いた「像」でしかなく、実態からは遠い可能性がある。
たとえるならば、男性成人むけ漫画雑誌に登場するような女性は、現実世界には居るわけねぇ、とか、少女漫画に出てくるような少年は、現実世界で見た試しがない、とか、そんな感じ。(笑)
ではあるが、この著者は賢明にも、文献に頼り切るのではなく、壷の絵、墓碑、法律の条文など、考古学的な資料も加えて全体像を描こうとしてくれている。多様な資料を用いて、過去の世界に生きた人々の事実をただ忠実に「再現」しようとしているから面白いのである。ここが、最初に決めたある結論に導くために都合のよい証拠ばかり恣意的に集めようとする、つまらない本とは違うところだ。
で、アテナイの場合、女性の扱いに関する法律は他のポリスに比べてもかなり厳しく、女性の権利はあまり認められていなかったように見えるわけだが、その理由は、こういうことらしい。
前五世紀はいわゆる民主政アテナイの最盛期であった。市民相互のあいだにかぎっては貧富・貴賤の別のない平等の実現が追求された。このような民主政が実現する背後には、下層市民が軍船の漕ぎ手として国土防衛の主要戦力となり、国力の行方を左右するにいたったという事情が存在していた。
<中略>
こうしてアテナイ市民は市民であることによって種々の利益を得ることができた。それが市民の特権であったとすれば、このような特権の基盤たる市民権をできるだけ自分たちだけのあいだで保持しようとしたのも不思議ではない。
なるほどなー、と。
であれば市民ではない異国人や他のポリスからの移住者の女性たちが、市民との結婚を基本的に禁じられていたのも、市民の女の産んだ子だけが正当な後継者として相続権を得るというのも納得。じゃなきゃ特権階級になろうとしてハニートラップ仕掛けてくる他国の女が大量に移住してきて大変なことになっちゃうよね…。
階層社会にして下層階級に色々押し付けるからこそ、市民は悠々自適な暮らしができたというこか。
また当時のアテナイは、軍事力で他のポリスを制服し、ギリシャ世界の頂点に立とうとしていた時期でもあるという。軍事に従事できるのは男性だけなので、相対的に男性の地位が高くなり、男性主体、軍主導の社会に移行としていたという。(ただ、同様の傾向にあったはずのスパルタの女性たちはアテナイよりももっとオープンに暮らせていたようなのだが…)
アテナイが、最初から女性を厳しく法律で縛る風潮のあるポリスではなく、必要に応じて社会構造を変えていった結果そのようになってしまった、というのは、なるほどなーと。
それから、いちばん面白いなと思ったのは「婚資」の考え方。
婚資とは娘が嫁ぐ時に実家がつける財産で、これは基本的に妻のものだが夫が管理する。離婚の際は返却しなくてはならないのだが、使い込んでしまって返却出来無いとなると、完済まで利子を払い続けることになるという。
婚資は女性をモノとして扱っている証拠だとか、人身売買に等しいとかいう批判はまぁ、まぁ、よくある論調なのだが、実はこの婚資が「夫に離婚をとどまらせるための実家の愛」だという説がこの本に書かれていた。
婚資が高額であればあるほど、その嫁の付加価値は高まり、嫁が家に留まるうちは家も潤う。しかし離婚となると、嫁とともにやってきた財産もまた失われる。
古代ギリシアといえば、魔女メデイラが夫に追い出された神話に見るように、離婚したくなったら夫は簡単に妻を追い出せる世界である。(妻にはその自由はない) しかし婚資システムは離婚に際し家計の精算というハードルを課す。つまり、高額な婚資とともに嫁いできた妻ほど、夫は気まぐれで離婚出来無いのである。
また、婚資は嫁の所有財産なので、たとえ子供なく夫が亡くなった場合でも、嫁ぐ時にもってきた婚資をそのまま次の結婚の持参金に充て、再婚相手を探すことが出来るのだという。再婚しなくても、婚資を持って実家に戻れば、自分の食い扶持をそこから捻出できるので、肩身の狭い思いはしなくても済む。
つまり婚資とは、契約社会が女性たちの生きる権利を守るために生み出したシステムだった可能性がある、ということ。いわば一人前の女性として他家に嫁ぐ娘のために実家が与える、残りの生涯の保証だったかもしれないのだ。
(もっとも婚資の額は、実家の裕福度合いや娘の愛され度合いによってだいぶ違っていたようなのだが…。)
***
厳しく縛られ、家の中で過ごすよう義務付けられていたとしても、アテナイの女たちはそれなりに楽しく生きていたのではないだろうか。だいたい女ってお喋りと美味しいものがあれば毎日楽しく過ごせるよね。子育てして、織物して、歌でも歌って、たまにお祭り行ったりして…
私はたぶんムリだけど。
社会構造が全く違うので比較するのは難しいが、古代エジプトの女性たちはアテナイの女性たちよりはもっとアバウトに、自由意思を持って生きていたように思う。共通する部分も多いが、やはり好きに家の外に出られるか否かが大きい。気が向いた時に猫つれてぷらっと川に舟浮かべに行っちゃだめとか。いいじゃんちょっと一人で散歩出るくらい。
そこまで女性を見張ってないとダメ、女性と男性は身内であっても顔あわせないほうがいい、っていうのは、何だか現代のイスラム社会を思わせる。
本自体は面白かったが、私はアテナイでは生きていけそうにない…。

